第19話 後始末

「恩を仇で返すようなことをしてしまい申し訳ありませんでした」


卒業パーティの日の夜、私はバルバリエ家の執務室でバルバリエの義父上ちちうえ義兄上あにうえに対して片膝を突いて頭を深々と下げ、そう言う。

前世での土下座に相当する最大級の謝罪方法だ。


「それで、この後始末はどう付けるつもりだ」


怒りをこらえる渋顔で義父上ちちうえが私に言う。


「勘当して頂ければ幸いです」


私は義父上ちちうえにそう答えた。


「アドルニーの家に戻るつもりか?」


義父上ちちうえが私に尋ねる。


「いえ。アドルニーの家は私を受け入れてはくれないでしょう。

公衆の面前で婚約破棄をしてセブンズワース家の令嬢を侮辱し、バルバリエ家から勘当されるのです。

受け入れたらセブンズワース公爵家とバルバリエ侯爵家、大貴族二家を敵に回すことになります」


「当然だな。

それでは、勘当されてその後どうするつもりだ?」


「平民になろうと思います」


「浮気相手は商家の娘だったな。

浮気相手の家の商会にでも転がり込むつもりか?」


私の回答に対して義父上ちちうえは怒りを抑えきれない様子で私にそう尋ねる。

まだケイト嬢のことは話していないのだが、もう素性も押さえているようだ。


「いえ。彼女との婚約は破棄しましたので」


「「はあっ!?」」


義父上ちちうえ義兄上あにうえが声を揃えて驚く。

やはり親子だな。息がぴったりだ。

そんなどうでもいいことが思い浮かぶ。


「はあああ。

おかしいと思ったんだよね。

騒動の話を聞いて、慌てて情報集めたんだけどさ。

婚約破棄を宣言したっていうのに、その相手のことべた褒めしたらしいじゃないか。

わざわざパーティの席上なんて場違いなところで婚約破棄するのも、浮気相手の腰を抱きながら婚約破棄するのもジーノらしくない。

今回のこれ、単なる浮気じゃないよね?」


深い溜息の後、義兄上あにうえは私にそう尋ねる。


「こちら慰謝料になります。

お納め下さい」


義兄上あにうえの質問に私は答えず、懐から袋を取り出して頭上に掲げる。

執事長がそれを受け取り、中をあらためると驚愕で目を見開く。

慌てて袋を義父上ちちうえの机の上に置くと、義父上ちちうえ義兄上あにうえも中を覗き込む。


「「これは!!」」


義父上ちちうえ義兄上あにうえが声を揃えて驚く。

やっぱり親子だな。息がぴったりだ。


私が慰謝料として渡したのは紅玉貨二十一枚だ。

紅玉貨は、国家間貿易の決済や多国籍大商会同士の巨額取引の決済などに使われる通貨だ。

この国の国家予算が年間で紅玉貨八十枚前後だから、今回渡した金額は国家予算の四分の一ほどになる。


これは、化粧水の売上金額のうち使い切れなかった余りで、私のほぼ全財産だ。

これだけの大迷惑を掛けたのだ。

謝罪をするなら一文無しになる覚悟で行わなくてはならない。


アドルニー家には迷惑料をもう送金してある。

残りをバルバリエ家に渡せばセブンズワース家と分け合ってくれるはずだ。


金貨の上が大金貨で、その上に白金貨、大白金貨、青玉貨、紫玉貨、紅玉貨と続く。

上級貴族の大豪邸が青玉貨数枚程度だ。

生家のアドルニー家の屋敷なら白金貨一枚でお釣りが来る。

この国の国家予算が年間で紅玉貨八十枚前後だから、今回渡した金額は国家予算の四分の一ほどになる。

慰謝料としては十分だろう。


「これだけの金額を今日の今日で用意出来るはずがないよね?

やっぱり、突発的に馬鹿なことをしたんじゃなくて前から計画していたんだね。

何を狙っているんだい?」


義兄上あにうえが私に尋ねる。


「後ほど王家とセブンズワース家から発表があると思います。

別に王家やセブンズワース家と相談したわけではありませんが、私はこれが王家とセブンズワース家にとって最善であると信じています」


私は義兄上あにうえに答える。


「ああ。

セブンズワース家との相談がなかったのは分かるよ。

ジーノが帰るより前、セブンズワース公爵が猛抗議しに来たからね」


皮肉気に笑いながら義兄上あにうえが言う。

義兄上あにうえがこんなことを言うなんて、相当な抗議だったようだ。

申し訳ない。


「ふむ。

王家が絡んでいて、お前が詳細を話さないなら、我々は深入りしない方が得策ということか。

では教えてくれ。

今後、我々はどう動くべきだと思う?」


しばらく考えた義父上ちちうえが、私の目をじっと見詰めながらそう尋ねる。


「私を勘当し、私からの慰謝料を使ってセブンズワース家に婚約破棄の補償をすることが最善かと愚考します」


私はそう答えた。


「……分かった。

お前に付き合ってやろう。

勘当はしてやる。

ただし仮の勘当だ。

こちらの一存でいつでも取り消すから、そのつもりでいろ。

これでも私はお前を買っているのだ。

どうか、いつかまた息子と呼ばせてくれ。

ジーノリウスよ」


「ありがとうございます」


そう言う私の声は震えてしまった。

義父上ちちうえの言葉に涙がこぼれてしまったのだ。

アドルニー家の家族といい、セブンズワース家の人たちといい、バルバリエ家の人たちといい、私は本当に人には恵まれている。


こうして私は、バルバリエ家を追い出されることになった。

出ていくとき、玄関ホールで義妹二人に泣かれたのには参った。



◆◆◆◆◆



追い出されても終わりではない。

肝心なことをしなくてはならない。


私はセブンズワース家に治療薬を送った。

公然と家門を侮辱した私の名前では、中身の確認もせず捨てられてしまう危険がある。

それくらい憎まれることをした自覚はある。


かと言って、匿名や偽名で送っても、そんな怪しげな人物から送られた怪しげな薬など誰も飲まないだろう。

だから、匿名で送り、更に慢性魔力循環不全の発病原理と治療法についての理論をまとめた文書も添付する。

どうしても飲んでもらいたいから、アナの寿命がいつ尽きるか分からないことも手紙に書いておく。

これまで一度も触れなかった話題だ。

余命幾ばくもないことを知ればアナはショックを受けるだろうが、治療薬も一緒に送るから絶望はしないだろう。


アンチエイジング化粧水は、もう送ってある。

化粧水は、アナが王宮で立場を確保するための戦略物資だ。

品切れさせるわけにはいかない。

当面必要な分として二年分をまとめて送った。

経年劣化するので、化粧水の品質を考えると二年分以上は送っても無駄になる。

期限切れのものは捨てることを前提に化粧水を供給するだけの資金的な余裕もない。

二年後以降分のものは、また時間を置いてから送ることにする。


これで私はほぼ文無しだ。

手持ち資金は平民の一ヶ月分程度の生活費しか残っていない。

着ている服などはバルバリエ家の紋章が入っているから売ることは出来ない。

紋章はその家の者であることを証明する身分証だ。

勝手に売って市場に流すと大問題になる。

燃やすなどして処分するしかない。


文無しになったので、私は働かなくてはならない。

しかし、セブンズワース家や他の貴族家、他国の手の者の目に付くようなところでは働けない。


特に、セブンズワース家に見付かるわけにはいかない。

見付かれば相応の制裁があるだろうが、自分の両親が私を害したことを知ればアナは傷付く。

それだけは、絶対に避けなくてはならない。


とりあえず王都からは離れよう。

セブンズワース始め有力貴族の拠点と近すぎて隠れようがない。

他国の手の者だって、私が失踪したらまずは今まで私が住んでいた王都から探し始めるだろう。

足跡そくせきを残さないよう注意しつつ王都から離れ、それから職探しでもしよう。


なお、ゴーレム屋敷と研究所はそのままだ。

処分するには時間がかかるため断念した。

ただし魔法的なセキュリティガードは掛けておいた。

現代の魔法使いには解けないだろうから侵入されることはまずないだろう。

これらの場所はそのまま残されているが、セブンズワース家などに感付かれ、出入りを見張られる危険が高い。

いかに宿無しとはいえ、あそこで寝泊まりすることは出来ない。



◆◆◆◆◆



追手を撒くためにあちこちを転々とした後、私は王都から徒歩で四日ほど離れた街の貧民街で暮らしている。


家は集合住宅の一室。

前世のトイレ風呂共同の貧乏アパートみたいなところだ。

部屋は一部屋だけで収納はない。

普通の貴族ならこんなところで暮らすことは出来ないだろう。


しかし私は、前世ではワンルームマンションで暮らした経験もある。

あれよりも質は低いが、慣れてしまえば大して不便ではない。


仕事も見つけた。

今の仕事は飲食店でのコックと、歓楽街の店の用心棒だ。


貴族令息となった今世で料理をしたことはない。

だが生涯独身だった前世では、親元を離れてからずっと料理をしていた。

加えて、大学時代は人前に出ないアルバイトを好んで選んでいた。

厨房でのアルバイト歴も長い。

包丁や鍋の扱いには、そこそこ自信があった。


それに、前世の豊かな食文化も知っている私は、この世界には無い料理を作ることも出来る。

その飲食店で採用が決まったのは、前世の料理を作ってみせたからだ。


歓楽街の用心棒は、貧民街で私に絡んで来た男数人を叩きのめしたらスカウトされて就いた仕事だ。

困った酔客や無法者が現れたときに応対するだけの仕事なので、普段は連絡の付くところにいるだけでいい。

数日に一度呼び出され、店に迷惑をかける客を相手に荒事をこなせばいいだけの楽な仕事だ。

それでいてコックよりも高い給料を貰えるのだから、この仕事を得られたことは幸運だ。


用心棒は、身体強化魔法を使っているからこそ出来ることだ。

さすがに前世の格闘家やスポーツ選手ほど巧みに身体強化魔法を使うことなんて出来ない。

しかし、高校の体育で赤点を取らない程度の身体強化魔法なら私だって使える。

小学生レベルの身体強化魔法さえ知らないこの世界の人たち相手なら、その程度で十分だった。


化粧水は、またセブンズワース家に送るつもりだ。

化粧品関連製品は、どれも原価が恐ろしく安い。

化粧水もそれは同じだが、それなりの量を送らなくてはならない。

そして平民の収入は雀の涙だ

必要な資金を貯めるには時間がかかる。

だから、二つの仕事を掛け持ちしても、収入の大半を化粧水作製のための貯蓄に回さなければならなかった。


生活はかなり苦しい。

そんな私を見兼ねた歓楽街のお姉さんや勤務先の飲食店の女性常連客が、私に食事を奢ってくれることがよくある。


飲食店の店長からは、常連客の誘いは断らずなるべく受けて機嫌を取るように言われている。

営業時間外での接待強要など前世なら法的にアウトだが、この国では当たり前のことだ。

夜の店の方も実際客にサービスを提供してお金を稼ぐ女性たちは発言力が強く、こちらも女性従業員から誘われると断りにくい。

どちらも断りにくい誘いだが、食費にも事欠く有様なので奢って貰えたら助かるというのが本音だ。

だから誘われたら食事くらいはするようにしている。


何度も食事に誘われていれば女性から交際を申し込まれることもある。

すべて断っている。


私が恋人を作るのはおそらく無理だと思う。

収入の大半を元婚約者のために使うつもりなのだ。

もし恋人が出来たなら、恋人だって面白くないだろう。

金の使い途でトラブルは必至だから、私は恋人を作るつもりはない。


商人になれば、もっと楽な暮らしが出来るだろう。

しかし、それをすればセブンズワース家に見付かってしまう危険性が高い。

セブンズワース家は、私が商会経営者だったことを知っている。

商人には網を張っているはずだ。

偽名を使った程度では探し当てられるだろう。


このまま行くと独居老人だが、それはもう半分諦めている。

もしかしたら私はそういう運命なのかもしれない。


前世の会社の後輩に、無類の魔導車好きがいた。

給料の大半を車の改造費に使ってしまう奴だったので、いつもカツカツの生活をしていた。

ところがその後輩は、デキ婚して娘が生まれた途端に人が変わったように車趣味を止めた。

スポーツタイプの魔導車は売り払い、代わりにファミリータイプの魔導車を買った。

給料の大半を注ぎ込むほどのめり込んだ趣味を捨てるなんて、相当な苦痛だろうと私は思った。

後輩も「いやあ、娘が出来ちゃいましたからね。まじツライっす」と口では言ってはいた。

だが、そう言う後輩の顔はとても幸せそうだった。


後輩がなぜ幸せそうな顔だったのか。

前世では理解出来なかったが、今なら分かる。

愛する人のために何かを我慢するのは苦痛ではないのだ。

それが確かに愛する人のためになるなら、むしろ喜んで犠牲を払いたいくらいなのだ。


私の生活は苦しいし、将来の独居老人は確定したようなものだ。

だが、これが確かにアナのためになると私は知っている。

だから、私はそうしたいのだ。

ただ自分がしたいようにしているだけだから、無理をしているという感覚もないし苦しくもない。


自室の窓から王都の方角の空を見る。ここに来てから空を見ることが増えた。


あの空の下にアナがいる


そう思うだけで、働く気力が漲って来る。

明日も頑張ろう、そういう気持ちになれる。


前世では、女性を愛したことなんてなかった。

今世でも親しくなれたのはアナだけで、今後私が恋愛をすることはもう無い。


だからアナ。

すべてを君に捧げよう。


前世の分も、今世の分も

私の愛のすべてを


君が負担に思う必要は一切ない。

私がしたいようにしているだけだ。


あの空の下の君の幸せを、今日も祈ろう。

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