第18話 卒業パーティでの婚約破棄

「アナスタシア・セブンズワース嬢、君との婚約を破棄する」


卒業パーティに遅れて会場入りして早々、私はアナに対して大声を上げた。


私が別の女性をエスコートして会場に入ったのを見たアナは、それだけでもう真っ青になっていた。

そして今、こうやって婚約破棄を通告されて足元までフラついている。


「……え……あ……」


言葉ともつかないような声を漏らし、アナはフラフラした足取りでこちらに向かって来る。


「あ……な……なぜでしょうか?

わたくしに何か至らない点があったのでしょうか?

もしわたくしに何か問題があるならどうぞおっしゃって下さいませ。

どんな問題でも必ず正してみせます」


こちらへ向かっているうちに、ようやく少しは気を持ち直したようだ。

アナからようやく声が出た。

それでも、さっきから遠目から見て分かるほどガクガクと震えている。

あれでは立っているのもやっとだろう。


「その質問には答えよう。

皆、聞いてくれ。

この場にいる全員に証言しよう。

アナスタシア・セブンズワース嬢に非は一切ない。

彼女は心清らかで、優しく、慎み深く、常に人のことを気に掛ける気配りに優れた女性だ。

貞淑であり、聡明であり、そしてしっかりとした自分の意思を持っている。

たとえ人が見ていないところでも厳しく自分を律することの出来る気高い女性でもある。

高潔という言葉は、まさに彼女のためにある言葉だと言っていい。

親孝行な娘であり、彼女ならどこに嫁いでも立派に家を盛り立てることが出来るだろう。

マナー、礼儀作法は完璧と言っていい。それは皆もよく知っているだろう。

字も美しく、話の組み立ても上手で、彼女の手紙を見た者はきっと感動することだグフッ」


私の隣に立つ女性、ケイト嬢が私に肘打ちをした。


「話が長すぎ。

褒めるのはそれくらいでいいから」


ケイト嬢が私に言う。


「とにかく、アナスタシア・セブンズワース嬢という女性は、世界最高の女性と言っても過言ではない。

もし、未来の王妃に最も相応しい女性は誰かと問われたら、私は彼女を挙げるだろう。

いや、彼女以外に考えられない!」


アナは、ぽかんと口を開けている。

自分の欠点や問題行動でも指摘されるとでも思っていたのだろう。

べた褒めは、彼女にとって想像出来ない展開だったに違いない。


「そ、それでは、なぜ婚約を破棄されるのでしょうか?」


懇願するような目で私を見詰め、アナがそう言う。


「簡単だ。私の浮気だ。

下半身の締まりが良くない私は、別の女性と情を交わし子供を作ってしまったのだ。

そして、彼女こそが私の新たな婚約者、ケイトだ」


そう言って私はケイト嬢の腰を抱き寄せる。


「……そんな……」


顔から表情の一切を消し、アナは膝から崩れ落ちる。

絶望の色一色となったその瞳は床に向けられ、焦点が合っているようには見えなかった。


「皆、騒がせて済まなかった。

私たちはこれで退場するとしよう。

引き続きパーティを楽しんでほしい」


最後にそう言って、ケイト嬢をエスコートしてさっさと会場を後にする。


パーティ会場施設の廊下は誰もおらず静まり返っていた。

その廊下を私はケイト嬢をエスコートして歩く。

お互い口を開かず、ただ無言のまま並んで歩いた。


「ねえ。本当に良かったの?」


沈黙を破ったのはケイト嬢だ。


「もちろんだ」


ケイト嬢を見ずに私はそう答える。


「じゃあ、なんで泣いてるの?」


……ああ。私は泣いているのか。


ここは、アナと初めてキスをした場所だな。

あのときは、アナから告白されて天にも登る気持ちだったな。


アナを自分と同じぐらい大切にしようと思ったのは何時だったか。

もしかしたら、前世の自分とアナを重ね合わせた出会いの日からかもしれないな。


アナとの思い出が鮮烈に脳裏に蘇り、それが消えるとまた別のアナとの思い出が鮮烈に蘇る。

そのせいで考えをまとめられず、会話をそれ以上続けられなかった。



私は事前に覚悟を決めていたからこの程度で済んでいるが、アナはどうだろうか。

公衆の面前で突然婚約破棄を言い渡されて泣いているのではないか。


駄目だな。

つい、いつものようにアナのことを考えてしまう。




気がつけば私は、学園内の人気のない場所にあるベンチに座らされていた。

ケイト嬢をエスコートしていたはずだが、気付けばいつの間にかケイト嬢に手を引っ張られて歩くようになっていて、この場に連れて来られたのだ。

座ったのも、ケイト嬢に肩を押されて半ば無理矢理だ。


「ほら。思いっきり泣いていいよ」


ベンチに座る私の正面に立ち、ケイト嬢はそう言うと私の頭を自分の胸に抱き寄せた。


別に思いっきり泣くつもりはなかった。

しかし、視界が遮られ、誰かの温もりを感じる状況は泣くには条件がよく、いつの間にか私は嗚咽を漏らしていた。

嗚咽はやがて慟哭となり、ケイト嬢にしがみ付いて声を上げて泣いた。


アナ。

どうか、どうか、幸せになってくれ。


君は幸せになって良いのだ。

この国の全ての女性が羨むくらい、最高に幸せになって良いのだ。

君こそが、この国の女性の頂点に相応しい。


君に待っているのは、輝かしい未来だ。

容姿が治ったなら、君を蔑む者はこの国には一人もいなくなる。

国中の人たちから敬われる存在に、君はなるのだ。


今は、裏切られて辛いかもしれない。

だがアナ。

親しくなった男性が私だけだから、君は知らないのだ。


私は、彼女いない歴が一世紀にもなる駄目な男だ。

君と婚約出来たのだって自分の力じゃない。

一世紀もの時間を費やしても、自分一人では一度たりとも女性と親しくなることが出来なかった。

そんな、情けない男なのだ。


他のどんな男だって、女性の扱いは私よりずっと上手なはずだ。

他のどんな男だって、私よりもずっと君を幸せに出来るはずだ。


老後に振り返ってみれば、きっと思うだろう。

あのとき婚約破棄されて良かった、あの不出来な男と結ばれなくて良かった、と。



……アナ……愛している……




喉が枯れるほど大声で泣いたことで、私は大分落ち着いた。

人間は泣くことにより精神のバランスが取れるという話を聞いたことがあるが、きっと本当なのだろう。


「ねえ。普通に円満に別れるんじゃ駄目だったの?

それなら、もう少しジーノ様の傷も浅かったんじゃない?」


女性にしがみつき、顔を女性の胸にうずめているという大失態を学園内でしていることに気付き、慌てて離れた私にケイト嬢が尋ねる。


ケイト嬢とは学園の応用授業で知り合った。

商人志望の彼女は私が商会経営者だと知っていて、人脈作りのために私に近付いて来たのだ。

応用授業を受講する貴族なんて何人もいないから、周りは名前も知らない平民ばかりだった。

授業でディスカッションなどがあるときは班分けするが、知人がいないと組んでくれる人がおらず余ってしまうことになる。

一人余り物になるという悲惨な状況を避けるため、私は彼女の下心を知りつつ親しくなった。


「いや。駄目だ。

それではアナの汚点になる」


私はそう答えた。


「それは前も聞いたけど、なんで汚点になるの?」


ケイト嬢がそう言う。


「今日はやけに追及するな。

何か興味でも持ったのか?」


「違う違う。

前からずっと聞きたかったの。

でも、詳しく聞いてジーノ様がもう一度よく考えちゃって、それで婚約破棄止めちゃったらこっちは大損でしょ?

だから聞きたいのをずっと我慢してたのよ。

でも、今はもう契約も履行したし、聞いても損はないでしょ?

だから聞いてみたの」


大した商人だ。破天荒な人だが、合理的な人でもある。


「平民の君はピンと来ないかもしれないな。

婚約解消となった場合、貴族社会では女性に責任があるとされるのだ。

男性は当主として家を栄えさせ、女性は女主人として家をまとめ家中の和を保つ、というのが一般的な貴族の価値観だからな。

多少性格に難のある男性でも、上手に手のひらの上で転がして夫婦間・家族間の和を保つ、というのが貴族女性の責任だ。

婚約破棄されたら、まず最初に和を保つ責任を負う女性が悪く言われることになる」


大失態を見せた直後の気不味い雰囲気が変わるのは助かる。私は詳しく答える。


「もちろん女性の努力では、どうにもならないケースだって多い。

だが、普通に婚約解消するなら、婚約解消の場は密室だ。

第三者には詳しい経緯なんて分からない。

そうなると、アナには何一つ悪いところがなくても周囲はまずアナの責任だと思うのだ」


「ふーん。それで?」


「ところが、婚約破棄によって女性の評価が下がるどころか逆に上がった稀有けうな例があったのだ。

リラード家のフランセス嬢が王太子殿下から婚約破棄された事件だ」


「あー。それ知ってる。それで真似したんだ」


「そうだ。あの事件では、婚約破棄の協議に相当するものが卒業パーティで行われた。

密室ではなく大勢がいる場だったからリラード嬢には大きな責任がないことを皆が理解出来た。

加えて、浮気相手の腰を抱きながら婚約破棄を宣言するという、王太子殿下の非常識さにもリラード嬢は助けられた。

婚約者間の和を保つのは、女性の責任だ。

だが、度を超えて非常識な男性相手にもただ耐え忍ばなくてならないということではない。

限度というものがある。

男性があまりに非常識な場合は、女性が責任を問われない。

逆に、あの男相手に今までよく耐え続けたと称賛されることになる」


「だから浮気相手が必要だったわけね?」


「そうだ。

ただ浮気相手がいるだけでは駄目だ。

その場で浮気相手の腰を抱きながら婚約破棄をするという非常識さが必要だったのだ」


「でも、そんなことしなくてもお姫様は王子様と結婚出来たんじゃないの?

詳しく知らないけど、セブンズワース家って今すごいんでしょ?」


「結婚は出来る。

だが、元より大きな権力を持っていたセブンズワース家がここ最近急速に権勢を増していて、それを快く思わない者も多いのだ。

もしアナが婚約解消を汚点として抱えるなら、セブンズワース家を抑えたい勢力からすればアナは格好の攻撃材料だ。

数少ないセブンズワース家の弱点となったアナは、何かに付けて攻撃されるだろう。

王宮でも苦しい立場に置かれることになる」


「だったら、セブンズワース家の人たちと話し合ってお芝居でもしたら良かったんじゃない?」


「それは駄目だ。

あの家の人たちは高潔で善い人なのだ。

セブンズワース家の都合での婚約解消なら、私の立場が悪くならないよう取り計らってしまう。

私が不利にならないということは、つまりアナが不利になるということだ。

これから大変なのは、王宮での権力闘争に巻き込まれるアナだ。

アナのために、セブンズワース家に相談せず決行するする必要があったのだ」


「でも、何も卒業パーティですることなかったんじゃない?」


「いや、あのタイミングが最適だ。

卒業前にしてしまうと、アナがショックを受けて不登校になり卒業資格を得られない危険がある。

王妃になるなら学園卒業の肩書きは必須だ。

決行はアナが卒業資格を得た後、つまり卒業式後でなくてはならない。

社交界デビュー前のこのタイミングにしたのは、まだ社交界のことを私がよく知らないからだ。

大人の世界には色々な貴族がいるが、社交界に出ていない私がその人となりを知るのは極僅かだ。

中には私の暴挙を止めに入るタイプの人がいるかもしれないが、誰がそうなのか私にはあまり情報がない。

だが学園なら、参加者の人となりは大体把握している。

止めに入りそうな人間がいないことも分かっていた。

成功率はこのパーティが一番高かったのだ」


「でも、普通に卒業パーティに参加してる人からしたら迷惑じゃないの?」


随分と純粋な子だな。思わず温かい目でケイト嬢を見てしまう。


「迷惑しているように見えたか?」


「ううん。お姫様の近くにいた人たち以外は、みんな楽しそうだった」


「貴族社会に立ち入るつもりのない君には、理解しにくいのかもしれないな。

貴族はもちろん貴族と関係を持とうとする平民にとっても、パーティは楽しむためのものじゃない。

情報収集と人脈作りをする仕事の場だ。

国内最大の権勢を誇るセブンズワース家だ。

その影響力が及ぶ範囲は広い。

もし婚約解消があったなら、多くの者が内情を詳しく調べようとするだろう。

目の前で婚約解消の協議をしてくれたら、楽に情報が集められて大喜びなのだ。

そうでなくても、この手の醜聞は貴族の大好物だ。

これで全員に共通の話題が出来たから、今日のパーティでは誰に話しかけても話題に困ることはない。

社交という仕事がやりやすくなって、みんな嬉しいのだ。

アナは……アナには……悪いことをしたがな……」


きっと今頃、アナは注目を集めているだろう。必要なこととはいえ、胸が痛い。


「うわあ。やっぱりお貴族様の世界って嫌だな」


「……そうだな。嫌な世界だ」


愛していても、公衆の面前でその人に婚約破棄を突き付けなくてはならないこともある。

泣いているその人を、慰めたい気持ちを押し殺して無視しなくてはならないこともある。

本当に、本当に嫌な世界だ。


「ふーん。

ちゃんと考えてるんだね。

知らなかったよ。

今まで、頭のネジが飛んだイカれたお貴族様だって思ってたよ。

ごめんね」


「そんな風に思われていたのか……」


「それはそうでしょ。

平民はお貴族様のルールなんて知らないもん。

好きな人のために、みんなの前でその人をこっ酷く振るから手伝ってくれ。

なんて言われたら、誰だって頭がおかしい人だと思うんじゃない?」


「なるほど。君には迷惑を掛けたな。

狂人と思える人間の相手など、さぞ苦痛だっただろう」


「平気だよ。報酬が魅力的だったからね」


「それ以外にも、君には大きな損失を負わせてしまった。

これだけのことをしたのだから、君もまた二度と貴族社会に立ち入れないだろう。

今は興味がないのかもしれないが、この先貴族と関わる必要性を感じても、もう手遅れだ」


「別にいいよ。お貴族様とはあんまり関わりたくないし。

それはこの先も変わらないと思うし。

その程度の損失、ラーバン商会貰えるならお釣りが来るよ」


「そう言ってくれるとありがたい。

約束通り、私の持つ商会の権利証を全て渡そう」


「やった!」


ケイト嬢は飛び上がって喜び、その後ニシシシと笑う。


「それから、これからセブンズワース家からの報復が予想される。

一応君に被害が行かないように手は打ったが、完璧ではない。

君の安全を考えたら、今後私には近付かない方がいいだろう。

というわけで、だ。

ケイト嬢、君との婚約を破棄する」


ケイト嬢はきょとんとした顔をして、その後腹を抱えて笑い出す。


「ヒヒヒヒヒヒ。

真顔で冗談言うんだもん。

イヒヒヒヒヒヒ

は、反則だよお。

イヒヒヒヒ」


冗談を言ったわけではないのだが。


フランシス嬢を公然と侮辱され、リラード家は王太子派から離反し第一王子派へと宗旨変えした。

長らく王太子殿下派だったリラード家は、長い時間を掛けて派閥内での地位を築いてきたはずだ。

王太子殿下から別の王子に神輿を変えるにしても、派閥の中心に居座りつつ神輿だけすげ替える方が合理的だ。


だがリラード家は、派閥内で積み上げて来たもの全てをかなぐり捨て敵対派閥の第一王子派へと飛び込んだ。

派閥の新参になり努力のやり直しになることもいとわずにだ。

実利より名誉を取ったのだ。


セブンズワース公爵も義母上ははうえも、名誉を重んじる貴族だ。

事が家門の名誉に関わる問題なら、私にだって容赦はしないだろう。

最悪の場合私は命を失うだろうし、温情があったとしても腕の一本くらい切り落とされる。


家の権威を維持するため、ときに貴族は非情に徹しなくてはならない。

だからこそ、私は商会を別の人間へと渡し、婚約破棄を明言してケイト嬢との関係を断ったのだ。


「ヒヒヒヒヒヒ。

一日に二度も婚約破棄ってえええ。

イヒヒヒヒ。

お腹痛いいい」


まだ笑っている。その能天気さが羨ましい。


「あーあ。

せっかくジーノ様、

あ、違った。バルバリエ様の婚約者になってタメ口で話せるようになったのにー。

もう婚約破棄されて、まーた敬語ですかー」


まさか、それで敬語を使っているつもりなのだろうか……

というか、出会った当初から今に至るまでほとんど口調が変わっていないように思うが。


「いや、敬語は必要ないぞ。

今日から私も平民だ」


大げさにつまらなそうな顔をしているケイト嬢に言う。


「ええっ!!?」


「当然だろう?

絶大な権勢を誇るセブンズワース家を公然と侮辱したのだ。

どの家だって、報復の巻き添えを恐れて私を切り捨てるに決まっている。

貴族とは、そうやって家を守るのだ」


大きく目を見開いて私を見詰めていたケイト嬢だが、やがてその目を酷く優しげで、そしてどこか悲しげなものへと変える。

ケイト嬢はそのまま私を見詰め続ける。


「……そこまであのお姫様のこと好きなんだ?」


ポツリと呟くようにケイト嬢は言う。

どう答えていいのか分からなかったので、そっぽを向いて誤魔化す。

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