第21話 真相を知って (アナスタシア視点)
「お父様、お母様。
わたくし、ジーノ様にお会いしに行ってみようと思いますの。
病名さえ付いていない奇病を治して下さったのですもの。
セブンズワース家の者として、お礼を申し上げないわけにはいきませんわ」
治療に成功してから二週間ほど経った日の夕食の席で、わたくしは両親にそう切り出しました。
「お父様、ジーノ様の居場所はご存知ですの?」
わたくしがそうお尋ねすると、お父様は執事長に視線を向けます。
執事長は首を横に振りました。
「奴の居場所は分からんが、浮気相手の居場所なら分かるぞ。
今のところ、奴の手掛かりはそれだけだ」
浮気相手……
あのジーノ様の瞳の色のドレスを纏ったケイト様という方でしょう。
浮気相手に会わなくてはならないとお聞きして、一気に気持ちが沈みます。
ですが、それでもわたくしはお会いしに行きます。
薬の開発が成功したと聞いたなら、きっとジーノ様は喜ばれるでしょう。
お喜びになるご様子を直接目にすることは
それでもジーノ様がお喜びになることをしたいのです。
今のわたくしがジーノ様のために出来る数少ないことなのです。
「そうだ。
浮気相手のところに行くなら、伝言を頼みたい。
セブンズワースを侮辱したことは、アナの病気を治したことで
配下の者を通じて伝えても罠だと警戒されて姿を見せないだろうが、お前がその姿で行って直接伝えれば奴も信じて姿を現すだろう」
……聞き捨てなりませんわね。
まさか、お父様はジーノ様を害されようとお思いなのでしょうか。
それに気付かれて、ジーノ様は身をお隠しになったのでしょうか。
「お父様!
まさか、お父様はジーノ様を害されようとお考えではありませんよね!?」
「い、いや。だから
わたくしの剣幕にお父様は狼狽えていらっしゃいます。
ですが! これは許せませんわ!
「よろしいですか! お父様!
もしジーノ様に何かされたら、絶対に!
何があっても、わたくしはお父様を
もしお父様がジーノ様にかすり傷一つでも負わせたなら、わたくしは修道院に行ってジーノ様への贖罪のために生涯祈りを捧げることにしますわ!
二度とお父様とはお会いしませんから!
面会要請など、くれぐれもなさらないように!」
お父様がジーノ様を害することだけは絶対に避けなくてはなりません。
わたくしはそうお伝えして念を押します。
「いや、だから、もう
それに、別に怪我をさせようと思っていたわけではなくて、まずは捕らえて話を聞こうと思ってだな」
「よ・ろ・し・い・で・す・わ・ね!?」
「あ、ああ。害することはないと誓おう」
お誓い下さったのでようやく安心します。
貴族は誓いを破りません。
これでお父様がジーノ様を害されることはないはずです。
ですがこれで、どうしても浮気相手の女性にお会いしなくてはならなくなりました。
逃亡生活はお辛いと思います。
一刻も早く当家の意向をお伝えし、ジーノ様が普通の生活へお戻り出来るようにしなくてはなりません。
◆◆◆◆◆
ジーノ様の現婚約者であるケイト様は、ラーバン商会の王都本店で働かれているとのことでした。
ラーバン商会は、ジーノ様が経営されている商会です。
お父様がジーノ様に対して良からぬことをお考えにならなければ、きっと仲睦まじくお二人で商会を経営されていたのだと思います。
馬車を降りて店内に入ると、店員の方がご用聞きに来られます。
「ケイト様にお話がありますの。接客をされているようですから、お待ちしますわ」
店の隅でケイト様の接客が終わるのをお待ちします。
気にしないように努めても、視線はついケイト様に向かってしまいます。
ケイト様は何度も屈託のない笑顔で笑われています。
明るい方のようです。
人懐こいご気性なのか、男性客を冗談で笑わせていらっしゃいます。
明るく快活で、よくお笑いになり、お話もお上手な方だと、少し拝見しただけでも分かります。
いじけていて、引っ込み思案で、顔のコンプレックスから上手く笑えず、冗談も苦手でつまらないわたくしとは正反対です。
どちらが魅力的か、なんてどなたでも分かります。
そして、ケイト様はわたくしよりもずっと豊かなお胸をお持ちです。
男性は大きなお胸がお好きだとお聞きしたことがあります。
ジーノ様も男性です。
きっと、あのようなお胸がお好きなのでしょう。
まだケイト様とお話もしていないのに、敗北感に叩きのめされて惨めな気持ちになります。
これからお話ししてお二人のお幸せなご様子をお聞きしたら、この比ではないくらい叩きのめされるでしょう。
表情を取り繕えるでしょうか。自信がありません。
「お待たせしました。私にご用とお伺いしましたが」
接客を終えられたケイト様がわたくしのところにいらっしゃいます。
茶色い髪に茶色の瞳。
お近くで拝見すると目が大きくお可愛らしい顔立ちです。
この方がジーノ様のご寵愛を受けられ、ジーノ様のお子様を宿された方ですのね。
もちろんわたくしとジーノ様は、そのような関係には至っていません。
この女性は、わたくしの存じ上げないジーノ様をご存知なのです。
ついジーノ様のお子様を宿すお腹に目が行ってしまい、嫉妬と敗北感で押し潰されそうになります。
「ご挨拶するのは初めてですわね。
改めましてご挨拶申し上げます。
セブンズワース家が長女、アナスタシアと申します。
お会い出来て光栄ですわ」
精いっぱいの笑顔を作ってご挨拶すると、ケイト様は目を丸くされて驚かれます。
まさか、捨てられた女がお会いしに来るなんて思わなかったのでしょう。
「ええええ!?
ジーノ様のお姫様ですか!?
全っっ然別人じゃないですか!?」
ああ。
そういえば卒業パーティでお会いしたときとは、まるで容姿が違いますわね。
驚かれたのは容姿の方ですのね。
恋に敗れた女だと強烈に自覚させられて、それで頭がいっぱいだったのですっかり忘れていました。
それにしても、やはりケイト様は、ジーノ様を愛称でお呼びしているのですね。
男女の契りを交わされるほど深い仲なのです。
わたくしとジーノ様よりずっと深い間柄なのですから、愛称でお呼びするなんて当たり前なのでしょう。
ケイト様の言動一つ一つでいちいち傷付いてしまいます。
失恋の傷が癒えたと言うには程遠いことを実感します。
「はい。ジーノリウス様から頂いたお薬のおかけで治りましたの」
婚約者の前でジーノ様を愛称でお呼びするわけにはいきません。
ジーノリウス様とお呼びします。
わたくしにはもう、ジーノ様を愛称でお呼びする権利はありません。
捨てられた女として立場を弁え、距離を置いた呼び方でお呼びしなくてはなりません。
バルバリエ家から勘当され、アドルニー家からも復帰を認められなかったジーノ様は、現在家名をお持ちではありません。
名前呼びが一番距離を置いた呼び方となります。
「あー。
そういえばそんなこと言ってましたね。
半信半疑でしたけど、本当に薬の開発に成功したんですね」
ケイト様はシシシシと笑われます。
笑顔の絶えない明るい方ですわね。
陰気なわたくしでは、ケイト様のように笑顔を絶やさないことは出来ないでしょう。
明るく朗らかなケイト様と共に過ごす時間は、暗いわたくしと過ごす時間よりずっと楽しい時間なのでしょうね。
ケイト様の何を拝見しても惨めな気持ちになります。
「はい。治療薬を頂いたのでせめて一言お礼をと思いまして、こちらにお顔を出させて頂きましたの。
ジーノリウス様はどちらにいらっしゃいますの?」
「知りませんよ」
これは、セブンズワース家を警戒していらっしゃいますわね。
「ご心配なさらなくても、セブンズワース家は、もうジーノリウス様に何かをするつもりはありませんわ。
わたくしを治療して下さった功績を以って、当家を侮辱されたことは相殺されることになりましたの」
「ああ。
そうなんですか?
でも私、本当に知らないんです」
どういうことでしょう?
身重の婚約者を置いてお逃げになるなんて、まさかジーノ様がなさるはずありませんし……
つい怪訝な目をケイト様に向けてしまいます。
「あの、ご婚約されている方の居場所をご存知ないんですの?」
「あー。
ジーノ様、私との婚約、破棄しちゃったんですよ」
「ええっ!!?」
驚きで淑女らしからぬ声が出てしまいます。
「よろしければ事情をお話ししましょうか?
私、平民だからお貴族様の礼儀とかさっぱりですけど。
それで良ければお話ししますよ?」
ニコニコとお笑いになって、ケイト様は
「平民の方に貴族の礼儀を押し付けるようなことはしませんけれど。
ですが、部外者のわたくしにお話ししてしまってもよろしいのですか?
こちらとしては、大変ありがたいお話ですが」
お聞きしたくて
立場を弁え、第三者がお聞きしても良い話なのか確認を取ります。
「もっちろんです。
私がジーノ様と結んだ契約は『お姫様と婚約破棄するまで婚約者のふりをすること』です。
『婚約破棄した後に事情を話すな』とは契約で取り決めてませんから」
「へっ!? 婚約者の、ふり!?」
またしても淑女らしからぬ声を上げて、わたくしは固まってしまいます。
そんなわたくしをご覧になって、ケイト様はニシシシシと笑われます。
「ささ。
行きましょ。行きましょ。
ここじゃなんですから、応接室で話しましょ♪」
そう仰ったケイト様は、ぐいぐいとわたくしの背中を押されます。
護衛が反応し掛けましたが視線で制します。
ケイト様に押され、わたくしは店の奥へと向かいます。
「では、第一王子殿下もしくは王太子殿下とわたくしの婚約を成立させるために、ジーノリウス様は身を引かれたということですの?」
「そうなんですよ。
ジーノ様、お姫様のこと本気で愛してたんですよ。
婚約破棄した後なんて、泣いちゃって大変だったんですから」
そう
笑い話に仕立ててくれて助かりました。
真面目にお話し下さったなら、きっとわたくしは泣き崩れてしまったことでしょう。
おかげで、はらはらと涙を落とす程度ですみました。
ですが、ジーノ様のお顔をケイト様がお胸に
ケイト様は、ソファに置かれていたクッションをジーノ様の頭に見立て、その様子を実演しつつ笑い話として話して下さいました。
笑顔でお話をお聞きしていましたが、心の中では黒い感情が湧き上がっていました。
そんなの、破廉恥ですわ!
わたくし以外のお胸に……いえ、わたくしにはとてもそんな勇気はないのですが……
ですが、ジーノ様がどうしてもと
一日に二度も婚約破棄したお話は声を上げて笑ってしまいました。
ケイト様がされたジーノ様の口真似は、特徴を捉えていて良く似ておいででした。
最大の懸念であるお子様のことですが、お子様を宿すどころか口付けも交わされていないとのことです。
心から安堵しました。
淑女らしくかなり遠回しにお尋ねしたのですが、極めて
平民の方は、随分と開放的なのですね。
こういうお話を平民の方としたのは初めてなのですが、女性でもこれほど直接的な表現を使われるとは存じませんでした。
ケイト様からお教え頂くまで存じませんでしたが、平民の皆様は家族や婚約者だけではなく親しい友人なども愛称で呼ばれるそうです。
貴族女性にとって異性の愛称呼びは大きな意味を持ちます。
ですが平民の方にとっては深い意味はなく、ケイト様は幼馴染の男性なども愛称呼びされているとのことでした。
ケイト様はジーノ様を愛称呼びされているのは、別にお慕いしているからというわけではないようです。
安心しました。
ケイト様がジーノ様のことを何とも思っていらっしゃらないと分かり、本当に良かったです。
陽気で人懐こく、お話も面白く、お胸も大きいケイト様は、女性のわたくしから見ても大変魅力的な方です。
もし、この方とジーノ様の取り合いとなったら、わたくしでは勝てないと思います。
そう思っていることをケイト様にお伝えしました。
「ええっ?
いやいや。何言ってんの?
ジーノ様、凄くカッコいいし、優しいし、紳士だし、商才凄いし、私の体じろじろ見たりしないし、凄く信頼感あってちょっといいなって思ったけど、お姫様相手じゃ到底勝ち目ないから私諦めたんだよ?」
どうやらケイト様は、ジーノ様を何とも思っていないわけではなかったようです。
「諦めた」と
ですが、やはりこれほど魅力的な方が僅かなりともジーノ様に好意をお持ちだと思うと不安になります。
それにしても「諦めた」なんて、言わなくて良いことまで言ってしまわれるのですね。
素直で素敵な方ですわ。
こんな素敵な方の豊かなお胸にお顔を
ああ。今気が付きました。
わたくしは、悔しいのですね。
浮気などされない真面目な貴族令息なら、女性の体で触れたことがあるのは手のひらだけでしょう。
ジーノ様もおそらく、女性のお胸にお顔を
出来ればその初めてのお相手は、わたくしであってほしかったのです。
この黒い感情は嫉妬ですわね。
「私がお姫様に話そうと思ったのは、ジーノ様があんまりにも可哀相だったからですよ。
お姫様のために平民にまで落ちて、商会も手放して、今も浮草の逃亡生活でしょ?
ジーノ様は何も悪くないのに、あんまりじゃないですか」
そのお言葉だけは、これまでの笑い話のような軽い口調ではなく真剣なものでした。
「わたくしもそう思いますわ。
このままではジーノ様があまりにもお可哀想です。
私の方でも、ジーノ様が失くされたものを取り戻せるよう尽力することをお約束しますわ」
ケイト様はお話ししなくても良いことまで正直にお話しして下さいました。
ケイト様の正直さに誠意を以って応えるため、わたくしもケイト様には自分の気持ちに正直に振る舞おうと思います。
ですので、ジーノ様を愛称でお呼びします。
この愛称呼びは、わたくしの決意です。
わたくしはもう、幸せを諦めません。
「頼むわね、お姫様。
そういうの、平民の私じゃ無理だから」
ケイト様は真面目なお顔でそう
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