第16話 ジーノリウスの策略 (アナスタシア視点)

ジーノ様が体調を崩され、今日は早退されるとの連絡を使用人より受けました。

心配になり、お父様の執務室まで急ぎます。


執務室へと向かう途中、こちらに向かって来られるジーノ様とお会いしました。

ジーノ様のお顔色は悪く、今にも倒れてしまいそうでした。


「体調を崩されたと伺いました。

お加減はいかがですか?」


「ああ。少し休めばなんとかなるだろう」


そうお答えになったジーノ様ですが、大変お辛そうです。

少しだけお話しましたが、何だか心ここにあらずといったご様子でした。



「そうだ、アナ。

第一王子殿下のことをどう思う?」


馬車に乗る直前、ジーノ様はそうお尋ねになりました。


「第一王子殿下ですか?

誰に対しても平等で、理性的で果断な決断も下せる素晴らしい方だと思いますわ」


陛下の姪ということで、わたくしの周りには王家より派遣されている護衛がいます。

人払いをしないまま王家に関して迂闊なことは口に出来ないため、無難なお答えを返しました。

ジーノ様は酷く顔色が悪くなられます。


「尊敬出来る方なのか?」


「ええ。敬愛しておりますわ。

このような容姿のわたくしを一人の女性として扱って下さる数少ない方ですの」


わたくしはまた、王家の護衛に聞かれても問題ない無難な答えを返します。

実際、第一王子殿下は、表面的には紳士的な態度を取って下さいます。

しかしそれは、セブンズワース家の権力を考えてのことであることがよく分かる方でもあります。

打算的でありながら、それを隠すことはあまり得意ではない方です。


「アナは、王妃についてどう思う?

アドルニーの姉上は、全女性の憧れで、なれるものなら誰だってなりたいと言っていたが」


ジーノ様は実姉であるヴィヴィアナ様のお考えを引き合いに、わたくしの王妃殿下についての考えをお尋ねになりました。


「わたくしもお義姉様のお考えに賛同しますわ。

女性の頂点ですもの。

流行だって、王妃殿下が作られることもありますし本来なら時流の中心にいるべき方ですから、多くの女性が憧れるのも当然です。

ですが、わたくしは王妃になろうとは思いませんわ。

こんな外見ですので」


また、わたくしは無難な答えを返します。

王妃殿下は「本来なら時流の中心にいるべき方」なのですが、現在時流の中心にいるのはお母様です。

流行も「王妃殿下が作られる」こともありますが、数多の情報と莫大な財を持つお母様が作られることの方がずっと多いのです。

しかしそれを口にしてしまうと不敬ですので、誤魔化した言い回しを選びます。


いつもなら馬車に乗る前にわたくしの手を握られたりなどして下さるのですが、その日はそれをされず、ふらふらと馬車に乗られてしまいました。

相当体調がお悪いのでしょう。

馬車に乗るときも転びそうでした。

心配です。



◆◆◆◆◆



「ジーノ様。

お顔の色がかなり良くありませんが、ご無理はされていませんか?」


ジーノ様のお顔の色は昨日よりも更に悪くなられていました。

本当に大丈夫なのかと心配になり、そうお尋ねしてしまいます。


「問題ない」


(っ!!?)


いつもならこの場に留まってしばらくお話をして、それからわたくしをエスコートして下さりつつ、ゆっくりとした足取りで執務室へ向かわれていました。

しかし、今日はわたくしと目を合わせることなく、お一人で執務室へと早足で向かわれてしまいました。


ショックのあまりその場から動くことが出来ませんでした。

追い掛けなくては!

そう思い付いたときには、もうジーノ様のお姿はありませんでした。


何かジーノ様にご不快な思いをさせてしまったのでしょうか……。

ショックのあまり手足は震え、涙が自然にあふれて来ました。


「大丈夫です。お嬢様。

ジーノリウス様は、体調が優れず余裕がなかっただけです。

すぐに回復されて、またいつものお優しいジーノリウス様にお戻りになります。

さあ。お部屋に戻って休みましょう」


ブリジットはそう言って慰めてくれ、わたくしを部屋まで連れて行ってくれました。


部屋に戻ってからも朝のことを思い出してしまい、つい涙がこぼれます。


きっとわたくしが何かしてしまったのでしょう。

わたくしが何をしてしまったのかお聞きして、誠心誠意謝罪しなくてはなりません。

落ち着かないまま、ジーノ様のお仕事が終わるのをお待ちしていました。


使用人からジーノ様がお仕事を終えられたという連絡を受け、執務室へと急ぎます。


「ジーノ様!」


廊下でジーノ様をお見かけしてわたくしはお声を掛けました。


「なんだ?」


いつものお優しいジーノ様ではありませんでした。

やはりわたくしは何かしてしまったのでしょう。


「申し訳ありません。

わたくし、ジーノ様がご不快になるようなことをしてしまったようです」


わたくしは謝罪の礼をり、ジーノ様にそう申し上げました。


「別に君は何もしていない。

謝罪も必要ない」


ジーノ様とは思えないような冷たい声でした。


「ですが……」


朝から今まで、ジーノ様との会話を想定していくつも言葉を用意していました。

ですが、ジーノ様の冷たいお声をお聞きして、ショックで全て頭から消し飛んでしまいました。

お話を上手く続けられず、言葉に詰まってしまいます。


「他に用がないなら、これで失礼する。

今日は忙しいのだ」


ジーノ様はそうおっしゃり、わたくしの横を通り過ぎてお一人で玄関へと向かわれました。


ショックでした。

いつもならわたくしをエスコートして下さり、わたくしの歩調に合わせてゆっくり歩いて下さるのに。

今日はジーノ様の歩調にわたくしが合わせて急いで歩かなくてはなりません。


「あの、お加減はいかがでしょうか?

お顔の色は大分悪いようですが」


ジーノ様を早足で追い掛けて、わたくしはジーノ様に話し掛けます。


「問題ない」


ジーノ様のその一言で、その会話は終わってしまいました。

わたくしは何度も話し掛けました。

ですが、ジーノ様は全て一言で会話を終わらせてしまい、会話が弾むことはありませんでした。


ジーノ様の馬車をお見送りしてから、わたくしは部屋に籠もり一人泣きました。



◆◆◆◆◆



「ジーノ様。よろしければこれからお茶でも」


「すまない。

商会の仕事でこれからすぐにでも帰らなくてはならないのだ」


ジーノ様をお茶にお誘いしましたが、またお断りされてしまいました。

あれから何度ジーノ様に話しかけても会話が続かず、何度お茶にお誘いしても一度もお茶をご一緒して下さいません。


ジーノ様の気を惹きそうな話題を考えたり、珍しい茶葉を用意したりしているのですが成果が出ません。


「……そうですか」


声が沈んだものにならないように気を付けていたのですが、つい沈んだ声になってしまいました。


いけませんわね。

暗く沈んだ女とのお茶や会話を望む男性などいらっしゃいませんもの。

明るく、笑顔でいなくては。


『諦めるな!

幸せになることを諦めるな!

君は幸せになっていいんだ!

君だって幸せを望んでいいはずなんだ!

全てを諦めたように笑うな!

君の人生はこれからじゃないか!』


辛いときは、ジーノ様がプロポーズのときにおっしゃったお言葉を思い出します。

ジーノ様よりこのお言葉を頂いてから、わたくしは随分と変わりました。


『幸せになることを諦めない』


これが、今のわたくしの人生の指標になっています。

過去のわたくしならもう挫けてしまっていたのかもしれませんが、今のわたくしはまだ諦めません。

ジーノ様とお会いしたことで、わたくしは変わったのです。

顔中こぶだらけの醜い女ですが、それでもわたくしは、幸せになるため頑張りますわ。



◆◆◆◆◆



ジーノ様がしばらく当家に通うことを休まれると使用人から教えられました。

学園卒業を機に商会経営を別の方へと任せ、ご自身は公爵家の方に専心集中されるためとのことでした。

しばらくジーノ様とお会い出来なくなってしまうので、わたくしはジーノ様の元へと向かいました。

玄関ホールでお待ちしているとジーノ様がいらっしゃいました。


わたくしがいるのに、またジーノ様は足を止めずわたくしの横をすり抜けて外へと足を向けてしまいます。


「商会の経営がお忙しく、本日からお休みなされると伺いました」


ジーノ様を追い掛けながら、わたくしはジーノ様にお話をします。


「ああ。すまない。

これから卒業パーティの日まで来ることが出来ない」


ジーノ様はこちらを見ずに、そうお答えになりました。


「その、卒業パーティですが」


「そうだ。すまないが卒業パーティは出迎えのエスコートが出来ない。

出席はするから会場で会おう」


わたくしが卒業パーティのお話をしようとすると、それを遮るようにジーノ様が言われました。

そのお言葉に驚いてしまい、わたくしは言葉を失ってしまいました。


「……そう、ですわよね。

ジーノ様はお忙しい方ですもの。

仕方ありませんわ」


ジーノ様が馬車に乗る直前、何とか笑顔を作ってそうお伝えしました。

しかし、こらえきれずに涙がこぼれてしまいました。


ジーノ様の乗る馬車を見送っているとき、こらえていた涙があふれて来てしまいます。

ですが、今日のドレスはジーノ様が初めて贈って下さったジーノ様の瞳の色のドレスなのです。

屋敷内で着るには少し豪華過ぎますが、少しでもジーノ様の関心を引ければと思い選んだドレスなのです。

涙で染みを作ってしまったら大変です。

わたくしは涙がドレスに落ちてしまわないよう、手で顔を覆いました。


学園のパーティは学園在学生しか出席出来ません。

婚約者が学園生ではない方も少なくないので、婚約者と同伴せずお一人で会場にいらっしゃる方も珍しくありません。

わたくしも縁談がなかなかまとまらず、婚約者がいなかったためずっと一人で参加していました。


しかし学園のパーティは出会いの場でもあります。

お一人で参加している方は、結婚相手探しのため、あるいは政略結婚とは別に恋の相手探しのために皆様盛んに交流されていました。


そんな中、わたくしに近づいて来て下さる方は、いらっしゃいませんでした。

話しかけて下さる方も、挨拶と社交辞令の会話をしてセブンズワース家の顔を立ててくれる程度です。

わたくしにとって学園のパーティは孤独を実感させるものでしかなく、苦痛な時間でした。


それがジーノ様とお会いしてから、全く変わりました。

お互いがお互いの色を纏いジーノ様のエスコートでパーティに出席すると、今までは色のない牢獄のようだったパーティ会場が、とても色鮮やかで華やかな場に見えました。

ドレスで着飾った姿をジーノ様にお褒め頂ければ、まるで天にも登るような幸せな気持ちになりました。

ジーノ様のお誘いでダンスをご一緒すると、夢の中で踊っているようなふわふわした気持ちになり、つい笑みがこぼれてしまったのです。


わたくしは、ジーノ様と出席するパーティがとても楽しかったのです。

学園最後のパーティだから、またお互いの色のドレスとスーツを贈り合い、お互いの色を纏ってパーティに出席したかったのです。


ですが、結局ジーノ様にスーツを贈る話も出来ませんでした。

エスコートもして下さらないようです。


ショックです。

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