第14話 王太子の婚約破棄

「やった!

見つけたぞ!」


聖マリリン魔法医科薬科大学跡地から帰って三ヶ月後、私はようやくアナの病に効く治療薬の製法に辿り着いた。

念のため、魔法治癒学科と魔法薬学科が両方ある大学を選んで良かった。

魔法薬学に関する書籍や論文も十分揃っていた。


治療薬を作るために必要となる材料は、魔法を付与しやすい特性を持った素材で、金さえ掛ければ手に入れられるものばかりだった。

多少金は掛かるが、化粧水のおかげで資金には何の問題もない。

すぐにでも集められそうだ。

だが、付与する魔法はかなり高度なもので、熟練の魔法薬師の技術が必要だった。



ちなみに、アナの病気は極度魔力過剰症で確定だった。

慢性魔力循環不全の診断方法についての文献を見つけ、その診断方法でアナを診断したのだ。

唾液を採取させてもらったり、一日の体温の変化を測ってもらったりと、

隙を見つけてはアナを診断することを繰り返してようやく病名を確定させた。

唾液の採取は小瓶に唾液を落としてもらったのだが、その小瓶をポケットに仕舞ったらブリジットさんから物凄い目で睨まれた。



◆◆◆◆◆



あれからまた月日が経ち、あと一ヶ月ほどで学園卒業となる。

学園卒業後は、私とアナは成人となる。

社交界への参加が認められ、私は本格的に公爵家後継としての仕事が始まる。


その日、私は公爵を補佐する仕事のため公爵の執務室にいた。

一人仕事をしていると執務室の扉が開き、来客への応対のためしばらく席を外していた公爵が戻って来た。

執務室に戻って来てからずっと公爵は渋い顔で、自分の椅子に座ってから深いため息をく。


「何かあったのですか?

来客があったようですが、馬車の紋章は王家のものですよね?」


渋い顔の公爵に私は尋ねる。


「ああ。婚約の話だ」


「はっ!?」


公爵の予想外の返答に私は固まる。


「王太子殿下が婚約破棄をされた話は知っているか?」


「ええ。知らない人などいないでしょう」


動揺で声が震えそうになるがそれを必死に抑え、努めて平坦な声でそう言う。


数年前の学園での卒業パーティで、王太子殿下は婚約者のフランセス・リラード公爵令嬢に婚約破棄を突き付け、同時にリリアナ・マリオット男爵令嬢との婚約を宣言した。

そのとき王太子殿下は、婚約破棄の理由としてリラード公爵家令嬢の悪事を列挙した。

しかし、リラード嬢は『金色鸞こんじきらん』と言われるほど非の打ち所のない女性だ。

そんな悪事を仕出かす人柄ではないし、悪事を行ったにしても簡単に尻尾を掴ませるような人でもない。

しかも、マリオット男爵令嬢の腰を抱きながらの断罪だ。

その場にいた誰もが「いや、お前の浮気だろ?」と思ってしまい、殿下のお言葉の信憑性はゼロだったという。


卒業パーティという多くの人が集まる中での婚約破棄宣言であり、しかも別の女性の腰を抱きながらそれをするという人の好奇心を掻き立てる手法だ。

もはや貴族はもちろん平民でさえ知らぬ者がいないほど広く知れ渡っている。


「第一王子殿下の勢力が勢い付いていることもあって、王太子殿下はその地位が危うくてな」


宗教的な理由からこの国は一夫一婦制なので、本来なら国王陛下といえども妻は一人だ。

しかし長らく王妃殿下との間に子供が出来なかったので、陛下は側妃を立てた。

この国では王や王太子に子が出来なかった場合、宗教的な戒律よりも国家存続を優先し、例外的に重婚が認められる。

そうして立てられた側妃殿下は無事男子を産み、国家の重鎮たちは一安心した。


しかし、しばらくしてから王妃殿下もまた男子を産んだのでややこしくなる。

法的には王妃殿下の子が継承権第一位であり、正統後継者は王妃殿下の子だ。

継承権の順位通り王妃殿下の子が王太子となった。

しかしこの方は、見目こそ麗しいが破天荒なのだ。


このため現在の王太子殿下を廃太子とし、新たに第一王子殿下を立太子させるべきだと唱える勢力も存在する。

王太子殿下の婚約破棄騒動は、第一王子殿下を担ぐ勢力にとってまたとない好機になった。


ちなみにセブンズワース家は、この問題に関しては中立派だ。

義母上ははうえがシスコン陛下に可愛がられていることもあって、セブンズワース家の立ち位置は陛下と近い。

継承権争いは、王太子殿下を推す王妃殿下の勢力と、第一王子殿下を推す側妃殿下の勢力との争いだ。

つまり王妃殿下と側妃殿下の争いなので、陛下寄りのセブンズワース家はこれを静観している。


「それで、王太子殿下から婚約の打診があったということですか?」


私は公爵に尋ねる。

卒業パーティで男爵令嬢との婚約を宣言したものの、王太子殿下と男爵令嬢の婚約は陛下には認められなかった。

男爵令嬢の家であるマリオット男爵家は、宿屋を多店舗展開しその財力が認められて男爵位を叙爵された家だ。


財力と言ってもそう大したものではない。

ぶっちゃけ、私の商会の方が経済規模では大分上だ。


元平民ということもあり貴族の人脈も弱く、およそ王妃の後ろ盾が務まる家ではない。

何より、最近叙爵したので令嬢はちょっと前までは宿屋の仕事を手伝っていたというのが致命的だ。


宿屋の看板娘という前歴は、王妃を目指すに当たって大きな足枷になる。

この国の宿屋は飲食店も兼ねることが多く、夜になれば酒も出す。

酒場で働くということは、貴族から見たら水商売をしているのと同義だ。

実際、酒場では看板娘の尻を触る酔客なんて珍しくもない。


まあ、多店舗展開する宿屋オーナーの娘だ。

平民から見たら資産家のお嬢様だし、親だって実際に娘を酒場で働かせることはしていないだろう。

だがそれでも、宿屋の仕事を手伝っていたのは王妃候補としては致命傷となってしまう。


「婚約の打診と言っていいのか……。

王太子殿下は、アナを側妃にとお望みだ」


「え!? 側妃?

しかし、王太子殿下はまだ王太子妃も娶られてませんよね?」


意味が分からない。

たとえ王といえども、不妊による後継者不在という緊急時以外の重婚は認められない。

まだ正室も娶っていないうちから、なぜ側室の話になるのだろうか。


「そうだ。

王太子妃を娶ってからしばらくは子を作らないから、五年後に側妃になってほしいとのことだ。

しかも王太子妃は、あの宿屋の看板娘だ。

そんな娘の下にアナを置くつもりのようだ。

全く、人を馬鹿にした話だ。

五年もアナを独り身で置こうとするその態度も許せん」


なるほど。

意図的に緊急事態を作り上げるのか。

公爵令嬢との婚約が破棄されリラード公爵家の後ろ盾を失った王太子殿下は、新たな後ろ盾としてセブンズワース家を考えているようだ。


いや、後ろ盾を失ったなどという生温いものではない。

公然と家門を侮辱されたリラード公爵家は、今や第一王子派の急先鋒だ。

強力な味方が減っただけでなく、強力な敵を増やしてもいる。


それにしても滅茶苦茶だな、王太子殿下。

話を聞くだけで第一王子派になりそうだ。


「しかし、なぜこの時期に。

婚約破棄なんて、何年も前の話でしょう?」


「第一王子殿下の婚約者であるグリマルディ家の令嬢が今年卒業して成人となるからだろうな。

王太子殿下と第一王子殿下、お互いに手を打っているということだ」


公爵の言葉の意味が分からなかった。

第一王子殿下の婚約者が成人となっても、グリマルディ家は力の弱い侯爵家だ。

王太子殿下の地位を脅かさないため、王妃殿下が奮闘し、家格は高いが力は弱い侯爵家の令嬢を宛てがったのだ。

その家の令嬢と結婚したとしても、既に婚約しているなら情勢に大きな変化はないはずだ。


「面倒事に巻き込まれないよう中立を保っていたが、いずれどこかのタイミングで第一王子派に付くことが得策かもしれんな。

第一王子殿下の方からの話は、まだまともだったぞ。

側妃などと言わず普通の婚約打診だったからな」


「こ、婚約の打診!!?

第一王子殿下には、婚約者がいらっしゃるのでは!?」


「ああ、もちろん婚約されていらっしゃるが、王侯貴族の結婚は政略結婚だからな。

政局次第で相手を変えることはよくあることだ」


そうだった。

忘れていた。

私とアナの婚約も政略によるものだった。

政局次第では破棄されるものでしかなかったのだ。


「そんなに不安そうな顔をするな。

心配せんでも、もう断ったわ。

当家が第一王子殿下の後ろ盾となれば第一王子殿下の立太子が決まるだろう。

しかしそれは、アナが未来の王妃となるということだ。

王妃というのは国の顔でもある。

愛する我が子にこんな言い方はしたくないが、あの容姿で王妃となればアナは相当苦労することになるだろう。

つまり、アナは王妃には向いとらんのだよ」


私を安心させるために笑いながら公爵はそう言う。


「それはつまり、アナは奇病にさえ罹らなかったなら王妃になれたということですか?」


「うむ。アナは最高に素晴らしい令嬢だからな。

国内外を見渡してもアナほどの令嬢は見たことがない。

世界最高の令嬢であるなら、当然最も王妃に相応しいのはアナということになるな」


決定的だ。

第一王子はアナを望んでいて、公爵もまた奇病さえなければアナは王妃に相応しいと思っている。


断ったのは、アナが奇病だから。

ただそれだけの理由でしかない。

つまり、極度魔力過剰症さえ完治すれば、アナは王妃という栄華を極めた輝かしい道を歩めるということだ。


政略結婚なのだ。

病気が治ったなら、公爵も政局を見て結婚相手を再考するだろう。

現状では、第一王子殿下が立太子に向けてアナへの婚約者変更を望み、それに対抗した王太子殿下が側妃としてアナを望んでいる。

王太子殿下と第一王子殿下。

どちらに嫁いでも、セブンズワース家が後ろ盾となった方が次の国王だ。


そしてアナは一人娘だ。

子が生まれたなら長男が次期国王に、二男以降の誰かがセブンズワース公爵となる。

つまり、次代のセブンズワース公爵は王の実弟だ。


義母上ははうえが陛下の実妹であるためセブンズワース家は大きな権力を持っている。

その栄華が次代も続く、ということだ。


対して、私は元貧乏子爵家の四男だ。

政略結婚という土俵では、逆立ちしたって勝てるわけがない。


立っていられなくなるほど動揺した私は、体調不良を理由に早退させてもらった。


「ジーノ様」


アナが私の元へと駆け寄る。


「体調を崩されたと伺いました。

お加減はいかがですか?」


アナはそう言って不安そうな顔で私を見上げる。


「ああ。少し休めばなんとかなるだろう」


重たい口を何とか開いて私はそう答える。


そのまま並んで玄関ホールまでアナと一緒に歩いた。

アナは心配して色々と言葉を掛けてくれたが私はそれどころではなく、無難に言葉を返すので精一杯だった。


「そうだ、アナ。

第一王子殿下のことをどう思う?」


馬車に乗る直前、私はアナにそう尋ねた。


「第一王子殿下ですか?

誰に対しても平等で、理性的で果断な決断も下せる素晴らしい方だと思いますわ」


まさかのベタ褒めだ。

ショックを受けたが、最後の望みをかけてもう一度確認をする。


「尊敬出来る方なのか?」


「ええ。敬愛しておりますわ。

このような容姿のわたくしを一人の女性として扱って下さる数少ない方ですの」


「……そうか」


衝撃の回答だった。

二人が結婚したなら、間違いなく良い関係が築けるだろう。

やはり私が身を引くことが最善ということだ。


「アナは、王妃についてどう思う?

アドルニーの姉上は、王妃様は全女性の憧れで、なれるものなら誰だってなりたいと言っていたが」


アドルニーの姉上を引き合いに出して王妃についてのアナの考えを探る。


「わたくしもお義姉様のお考えに賛同いたしますわ。

女性の頂点ですもの。

流行だって、王妃殿下が作られることもありますし本来なら時流の中心にいるべき方です。

多くの女性があこがれるのは当然かと思いますわ。

ですが、わたくしは違い王妃になろうとは思いませんわ。

こんな外見ですので」


そう言ってアナは苦笑いをする。

やはり王妃に憧れているのか。

外見に問題がないなら王妃になりたいのか。


グラつく足を何とか動かし馬車に乗り込む。

馬車の扉を閉めると、私はこらえていた涙をあふれさせた。


バルバリエ家の自室に戻っても私は何もする気力が湧かなかった。

ベッドに潜り込んで、ただ涙を流すだけだった。

長雨のときに屋根から落ちる雫のように、いつまでも涙がぽたぽたとこぼれ落ちる。

最後にこんなに泣いたのは、いつだっただろうか。


元々私とアナが婚約したのは、アナの奇病のせいで縁談がなかなかまとまらなかったからだ。

だからこそ、私のような平民落ち寸前の子爵家の四男が公爵令嬢であるアナの婚約者に選ばれたのだ。

アナが第一王子の婚約者となっても、それは病気のせいで歪んでしまった人間関係が本来のものに正されるだけだ。


そう。

そうだ。

本来あるべき位置に戻されるだけのことなのだ。

本来のアナは王妃の座に最も近い最高の女性で、本来の私は平民落ち待ったなしの底辺貴族だ。

接点などあるはずもない天と地ほどの身分差だったのだ。


元に戻るだけ。

奇病により捻れてしまった関係が本来の自然な形に戻るだけのことだ。


そう何度も自分に言い聞かせてみても、心は全く納得してくれない。



苦しい。



◆◆◆◆◆



帰ってからすぐベッドに潜り込み、夕食も摂らずにずっとベッドの中にいたのに一睡も出来なかった。

翌日そのままセブンズワース家へと向かう。


「ジーノ様。

お顔の色がかなり良くありませんが、ご無理はされていませんか?」


一睡もしていない私を見てアナは気遣いの言葉を掛けてくれる。


「問題ない」


アナに目を向けずに私はそう言うと、そのままアナの横を通り過ぎて一人執務室へと向かってすたすたと歩き始める。

以前ならアナとお喋りしながらアナをエスコートしつつのんびり歩いて執務室に向かっていた。

その変わり様に使用人たちが目を見開く。

アナの顔は見ていないが、きっと驚いているだろう。


もうすぐ終わる関係なのだ。

これ以上親しくなってもお互いに辛いだけだ。

だからこれでいい。


そう自分に言い聞かせてはみたが、実はそうではないことを自分自身がよく分かっている。

今アナと話したら泣いてしまう。

だから話せないのだ。

みっともなく泣き縋ることは許されない。

それは、輝かしい未来へと進むアナの道を塞ぎ妨害する行為だ。


私も男だ。

愛する女性の栄光への道に立ち塞がるような、情けない男にはなりたくない。


こんなとき第一王子殿下なら、いつものように優しい言葉を掛け、いつものように愛を囁くのだろう。

貴族には向いていない私には無理だ。

普段から愛を囁くことさえ出来ていない。

だが王族なら、それくらい簡単にこなすだろう。

お会いしたことはないが、何世紀にも亘って美男美女の遺伝子を集めた王族の血筋だ。

きっと私なんかとは比較にならないくらい見目麗しい方なのだろう。


無意識のうちに第一王子殿下と自分を比較していることに気が付く。

そして、それが嫉妬からのものであることにもすぐ気が付く。


まったく。小さい男だな私は。

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