幸せだけの世界

日曜日の朝9時半。

窓から入る白い光がリビングを満たす。少しだけ開けた隙間から入る風が、静かにカーテンを揺らす。お父さん、お母さん、私の3人で食卓について、手を合わせる。

「いただきます」

たわいもない会話をしながら、時間を気にせずにゆっくりと食事する。私はこの時間が好きだ。いや、好きだった。

今となっては日常となった光景だが、少し前までは違った。日曜日の朝に家族全員で朝食を取る事なんて、有り得なかった。

一年前、学生の私は毎日勉強と部活に励み、帰る時間も遅かったので、家はほぼ寝るだけの場所と化していた。お母さんは専業主婦だが、毎日忙しそうにしていて休む暇が無いようだった。そして警察官のお父さんが週末家にいることはほぼ無かった。必然的にコミュニケーションをとる時間は限られ、家族全員、忙しい日々に急かされるので精一杯だった。


そんな毎日が、ある日突然変わった。


憲法第十三条における、幸福追求権。

これを尊重するという宣言を初めとし、世の中は尋常ではないスピードで変わっていった。

全ては、幸福のために。

そして気づけば、

''不幸''

この概念が、ぽっかりと消えていた。

今までの生活、社会、人生が全部嘘だったかのように、世の中は平気な顔をしていた。私もその中にいた。この世界は幸せだと、私を含む全員が本気で思っていた。

でも、そうは思わない人間が、一人だけいた。

唯一彼だけは飲み込まれなかった。この狂った社会を冷静な目で見ていた。そして教えてくれた。幸せであることが、権利という名の義務に成り果てていることを。また、誰もその事実に気づいていないことを。私は彼に、今まで見ていたものは醜い幻想で、一種の洗脳のようなものだと、気づかされたのだ。

彼はいつも自分の世界にいた。生きづらいこの世界ではなく、自分の世界に。だからこそ、孤独感は人一倍だろうと思う。その他大勢とは違う彼の話はいつでも新鮮で、とても興味があった。どれだけ話しても飽きないような、不思議な魅力があったのだ。

そんな彼から手紙が届いたのは、そういうことで、紛れもなかった。でも、どこかで納得していて、受け入れることに時間はかからなかった。彼は、最後まで彼だなと、力なく笑う。

私はどこかで希望を持っていたらしい。彼に幸せを教えることが出来るのは私だと。

そう夢見ていた。知らない間に。


彼は最期の瞬間、何を思ったのだろうか。

自分の世界を終わらせることを、後悔しただろうか。もしくは、自分の世界から逃げ出す瞬間を前に、幸せだっただろうか。

後者ならいいなと思う。

最後くらい幸せでないと、さすがに彼も可哀想だ。憐れむなと叱られそうだが、もう彼はここにはいない。答えは分からないけど、この小さな世界を抜け出した彼は今、幸せだろう。


それでよかった。

幸せの形は人それぞれだと口にした彼は今、その言葉をひしひしと肌で感じ、幸せな気持ちに浸っているだろう。

彼が幸せならそれでいい。

どうやら、それが私の幸せらしい。


私は今、幸せだけの世界で、

幸せを噛み締めている。

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A world of happiness only あおぞら @bluesky0308

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