”ナルカミ”
伊月が件の二人にそれぞれ話を聞いている最中、水無月は事務所を眺めていた。
「ヤクザの事務所にも、事務用品ってあるんだ」
「そりゃあヤクザにだって帳面はあるさ。水無月さんはヤクザを何だと思ってるのかね。飯も食うしクソもする。家族もいる」
成り立ちもありようも知らないわけではないが、どんなに取り繕ったところで、結局は暴力団だ。社会から駆逐されるべき悪の一つでしかない。
どう取り繕おうと過去は消えない。水無月はそれをよく理解していた。おそらく、眼の前の先代組長も骨の髄まで理解している。
「行いがどうあれヒトですからね。代謝はあるでしょう。……それにしても」
再び岩永の正面に座り、水無月は老人を見据えた。
「この組で最近、厄介事はありましたか」
「ヤクザがそれを正直に答えると思うのかい」
「どうでしょう。今までの調査先よりも、怪奇じみたことに慣れがあるようでしたから、もしかして、と思ったんです」
言わないなら喋らせるまでだ。〝催眠〟の特殊能力にはそれができる。
水無月のブルーサファイアが煌めいた。だが、その必要はなかった。
何のことはない。自分の身に降りかかった災難を黙っておけなかったのだ。
「奇妙な経験はいくらかある。死体が動くだの幽霊が出るだの、まあこの手の話は尽きない、そういうことが起きてもおかしくない生業だからな。だがそれで人が死んだのは初めてだ。人を殺せるのは生きた人間だけだと思ってたものさ」
「その仮定はいくつかの間違いを含んでいます。殺意を抱いた瞬間は少なくとも生きた人間ですが、殺したときに生きているとは限りません」
それに、殺意なき人間による殺害も、人間以外による殺害も、十分にありうる。
とはいえ、事前情報の通りなら、この組には後がない。組織を畳む目前だったのだ。
その点、伊月は心得たもので、冷たく相手を突き放しにかかった。
「ご協力いただけないなら、調査はこれで終わりですね。畳む目前で、あまりに最難なことですが、事情を話してもらえない限り、こちらも動きようがありませんので」
悪党が何人縊り殺されようが知ったことではないし、能力者の手がかりは惜しいがこれだけ大掛かりに動く標的なら次の犠牲を待てばいい。次が一般市民かはたまた同じく暴力団かは知らないが、それこそ水無月の知ったことではない。水無月に語るべき正義はない。守りたいのは自身の研究環境だけだ。
水無月のスマートウォッチにシグナル。二度のバイブレーション。伊月からだ。
「亡くなった組員の方々にも家族がいたのでしょう? ここで真相が葬り去られてしまえば、ただ死んだだけ。家族は食べていけず、亡くなったのはヤクザだと後ろ指をさされながら、生きていかねばなりません」
微塵も憐れみを感じないが、この手の話は一定のタイプには効くらしい。
悪行を一通り揃えておいて、道理を語るなど馬鹿げているが、それで口を割るなら相手のロジックを逆手に取るだけだ。
「こちらの研究対象に関連して亡くなったことが確定すれば、ある程度の対応はできるのですが」
す、と水無月がタブレットの画面を岩永に向けた。額面は遺族年金とさほど変わらないが、添えられた条件を見て、岩永は目を見開いた。経歴の抹消。つまり暴力団員との関わりを消してやり直せる。
「……役に立つ話かわからんが、話せることは話させてくれ」
「安心してください。役に立つか立たないかを決めるのは俺達です」
勇気づけたつもりの発言で、空気が妙なことになり、伊月に頭を叩かれた。
「すみません。これは口が悪くて。何でもなさそうなことが手がかりになるケースもあります。些細なことでも構いませんから」
考えこむようにして、岩永が口にしたのは、四文字。
「ナルカミ。やつはそう名乗った。それを伝えるしか、対抗手段がないだろうと――」
やつ、と岩永は言った。
「ひとり、だったんですか」
「ああ、一人だ」
伊月が頷く。
「その〝ナルカミ〟というのは初耳ですね。先ほどお話を聞いたときには出てこなかった」
「やつが現場を立ち去った後、事務所に入ってすぐ、血文字を見た。あれはよくないものだと思って、とにかく消したんだ」
血文字のダイイングメッセージくらいありふれていそうなものだが、能力者の痕跡には迅速に消すべきものもある。
「一応聞きますが、写真も映像も、ないですか」
「何がどうって言えるわけじゃないが、あれはとっとと消さなきゃならなかったんだ。写真なんて撮ってられない」
「どう恐ろしかったんでしょうか」
伊月がじっと岩永を見下ろして聞く。
「音しか、残ってねえんだ。平仮名で書かれてたのか、片仮名か、あるいは漢字か。それもわからん。ただ、〝ナルカミ〟って音だけが頭にあるんだ」
手がかりの感触だ。
水無月は新たに仮説を立てたときのような高揚感を覚えていた。
ナルカミ。
成る神。
鳴神。
なるかみ。
果たしてどう表記するのが正解なのだろう。
今回の能力者は何がしたくてこれを起こしたのか。
考えを巡らせて、水無月は微笑んだ。
「どういう謎なのかな、〝ナルカミ〟」
未知にはそれだけで解き明かす楽しみがある。研究に専念したいと言いつつ水無月が本気でこういった調査を嫌がらないのはそれゆえだった。謎と遭遇するのはおもしろい。研究で出会いに行くのも、調査で向こうから来るのも、両方いいものだ。
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