現在、水無月の自室にて

朝をまとう

 遮光カーテンの隙間から朝陽が差しこむ。水無月は気だるげにアラームを止め、虚空を睨みつけつつ、ベッドの上に起き上がった。

「ふあ……眠い……」

 先日伊月にも言われた通り、水無月は寝起きが悪い。不機嫌を隠さないまま立ち上がって、キッチンへ向かう。起きぬけに水を飲む。

「あ、また」

 飲みかけの水をシンクに捨てる。どこでも水道水が飲めるってわけじゃないんだ、沸かすとかそれ用のものを飲むとか、対策しろ。言われて久しい言葉で、記憶に支障もない。それでも、水無月は時折水道水をそのまま飲んでしまうのだった。

 水道水どころか、不衛生な水をかけられても人はそう簡単に死なない。無論、何の汚れかには影響されるが、ここ日本でそこまでの不衛生には出会わない。

 水道水を飲むことがいけないのではなく、自分の健康や安全を失念する水無月のあり方自体が問題なのだ。水無月達能力者を診察している医師の耳に痛い指摘を思い返し、わかってる、と内心で口答えする。

 その口答えもまったくの的外れではない。水無月は薬学を学んでいる。日本最高の学力を誇る帝都大学で薬学を学び、薬学研究者となるべく、博士前期課程に所属している。D進――博士後期課程への進学、博士号取得は水無月の一つの目標であり、潜在能力者研究機関との約束でもあった。

 特殊能力者についてわからないことは多い。原因も発生のメカニズムも、何一つ体系立てられないままに、手探りを続けている。実家のつてで史料へのアクセス権を持ち、データ分析も得意な伊月の存在は組織にこの上ない成果をもたらした。

 伊月の成果を元に、過去にどのような能力者がいた可能性がどれほどあるかを具体的にすべく、データベース作成が進められている。

 絶望的に人手が足りない。自然科学に精通した、信頼できる人材がいないのだ。能力者に関わるとなれば、利害が絡む。少しでも漏れれば、戦争利用も政治利用も起こりうる。

 そりゃそうだ、俺もそうする。

 水無月自身は戦争や政治に利用される気はないが、能力者をそう扱おうとする人間がいることに憤りも驚きも覚えない。自分が非能力者で誰かを利用できる立場なら迷わずそれを選ぶだろうから。

 そんなわけで、常に人材不足の潜在能力者研究機関において、水無月は研究者として戻ってくると確約した上で勉学に励んでいるわけだ。

 薬学を極めるのに異論はない。しかし、立証されてはいないが殺人の疑いがあり、学費の負担が難しい水無月の足元を見る研究機関の交渉に軽蔑はある。同時に惚れ惚れするほど合理的だ。

 西への興味を封殺されたのは不服だが、キャンパスライフはそれなりに有意義だ。

 研究機関が人材不足に悩まされているせいで、学業のみに専念できないのはご愛嬌としておく。


 今日は、学業と研究機関の手伝いに翻弄される水無月の久しぶりの休日だった。休日でも、読むつもりの論文はいくつかあるが。大学院生とはそんなものだ。

 アルバイトを探さずとも、研究機関での仕事が転がっているだけ、ましといったところか。

 ダイニングテーブルに置かれた眼鏡をかけ、肩まで達した白銀の髪をまとめた。

 お盆も過ぎれば、夏休みが明ける北海道とは違う。そろそろ、彼らも己の置かれた状況に気づいて泣きついてくる頃だろう。

 水無月の寝起きがよくないことは周知の事実なので、来訪は昼過ぎと当たりをつけて水無月はタブレットを起動した。

 出来の悪い生徒を相手にする前に、論文にざっと目を通しておこう。

 今日もまた、既存の薬が別の疾患に効果を示す可能性がいくつも報告されている。


 昼頃、予想通りに水無月の部屋に現れた二人の少年、碓氷唯と如月瞬を前に、水無月は微笑んだ。

「予想を裏切らない愚直さで、ちょっとおもしろいね。……入りなよ。結論のわかりきっている問答をする気はない」

 見え透いた会話など、退屈なだけだ。

 それよりは彼らの苦戦するさまを眺める方がおもしろい。

 躊躇を見せるが、碓氷も如月に続く。

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