不条理
一瞬の動揺の後に、水無月が選んだのは沈黙だった。
ヴァイオレットの瞳が、水無月を射抜く。無機質に、伊月が告げた。
「確定した。水無月悠は”能力者”だ」
どこかの誰かに通信が繋がっている。
車は信号が青になったのとともに動き出し、すぐ横のドラッグストアの駐車場で停止した。
生き延びる術は、あるだろうか。
水無月の頭に浮かんだ選択肢は”能力”の使用だった。成功しそうにないが、それしか現状で縋れるものがない。
考えを読んだように、伊月が告げた。
「水無月。私に”能力”は効かない。それに、おまえは今”能力者”と知れただけだ。おまえはこれから保護される」
無駄な抵抗は趣味じゃないが、敵を少しでも傷つけることは諦めない精神性をしているのが水無月だ。
「保護? 監禁とか社会的抹殺の言い換えじゃないんですか?」
はっと笑って、水無月は伊月を挑発する。そうでもしなければやっていられなかった。
「”能力者”だからとそのような扱いをするほどの非道を許すわけがないだろう。おまえが”したらしきこと”についても、私は確信しているし、おまえを絞れば自白くらいはするかもしれないが、それらすべては、起訴どころか、逮捕の根拠にすらならん。だが、おまえは”能力者”として保護され、監視されながら、ここではないどこかで生活をすることになるが、学業は問題なく続けられる。……不条理だが、そういう風にできている」
水無月を裁く法は、現時点では存在しないらしかった。
伊月は悔しそうでもあり、申し訳なさそうでもあった。
それとは逆に、水無月を包んだのは安堵だった。
成功したのだ。育ちという呪縛を断ち切れた。
無論、伊月の言葉に嘘がなければ、だが。
「不条理? それって、俺がされてきたことですよね?」
水無月の”したらしきこと”を責める伊月の口ぶりに、水無月は躊躇なく怒りをぶつけた。
責められるいわれはない。
なぜなら、水無月悠の手に解決策はそう多くなく、最も自由になれる選択肢がそれだったから。
「……そうだ。それも、含まれる」
なぜこの女は、こんなにも項垂れているのだろう。
水無月は疑問でしかなかった。
虐待の被害から逃れた少年が、その罪を裁かれずに先の人生を送れるというのに、何を悔やむことが、悲しむことがあるのだろう。
少年が虐待されているままでいればよかったなどと、伊月が考えている可能性は低い。
伊月直とは、よくわからない生き物だし、関わりたくない。
気味が悪い。
理解できないし、したくもない。
出会った当初からの伊月への苦手意識が、水無月の内で明確な形を持った。
「袋、追加でもらっていいですか。車酔いじゃなくて、伊月先生のせいで吐く」
無言で、無造作に顔に袋が投げつけられる。
水無月は、車酔いと伊月への忌避感が混濁したまま、胃液を袋に吐き出した。伊月への嫌悪感を叩きつけるように嘔吐し、これまた無言で差し出された箱ティッシュを箱ごと受け取った。
鼻腔に残る胃液を鼻をかむことで外に出しながら、水無月は考え事をした。
水無月と同じく、アルビノで弱視のはずの伊月は、どうやって車を運転していたのだろうか。学校で聞いたのは、とても運転免許など取れない視力だったはずだ。
しかし、その疑問は水無月の口から発されることはなかった。
嘔吐の後始末を終えた水無月は、強烈な眠気に襲われ、眠りに落ちたからだ。
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