調子外れの鎮魂歌

 部屋を出た水無月は、酔いが回った大人達のいるリビングへと向かいながら、エタノールが体内で分解される過程を思い描いた。エタノールからアセトアルデヒド、アセトアルデヒドから酢酸。理科、特に化学の分野を得意とする水無月にとって、化学反応の進みゆくさまは、興味深いものだ。

 そう、これから展開されるであろう生から死への不可逆な反応も、水無月としては特等席で眺めたいくらいに好奇心をそそるものである。しかし、水無月は好奇心に殺されるわけにはいかない。

 やっと地獄から解放されて、生を謳歌できるというのに、不用意な真似をしてそれを台無しにしたくはないのが正直なところだ。

 静かにリビングに入ると、六人の大人達が一斉に水無月の方を見た。水無月の母親は、一瞬だが、目の悪い水無月にもわかるほど明確に嫌悪感を浮かべた。そういうところが稚拙なのだが、水無月はもう気にしない。

「悠君、どうかしたかい?」

 声をかけてくるのは、慎一の父親であり、水無月の叔父である男だ。ちらりと自身の父親を見やる。父親の顔立ちは嫌になるほど水無月とそっくりで、表情を浮かべていなければ強面ゆえに警戒される叔父とは大違いだ。

「ジュースがなくなってしまったので、俺が買ってこようと思って」

 もうすぐ午後八時。小学生が一人歩くには少し遅いが、受験生でもある中学三年生が塾帰りに出歩くのは何ら不自然ではない時間帯だ。

 水無月の母親が財布から千円札を取り出そうとするのを、叔父が止めた。

「慎一の宿題まで見てもらってるからね」

 そう言って、水無月の手に千円札を二枚握らせた。母親が遠慮してみせるのをやり過ごしつつ、水無月は六人の大人達全員とブルーサファイアの瞳でぱちりと目を合わせ、“能力”にかけた。

 水無月の一言がトリガーだ。今回は、ただ単に目の前の物に飛びこませるのではないし、殺し合いをさせるので、ある程度の手順を要する。

「ストロベリーとチョコ、どちらのアイスがいいですか?」

 意味のない、お盆の夜のありがちなやり取り。

 だが、意味はあった。“能力”は正常に作動した。大人達の纏う雰囲気が、今まで殺した者のそれと重なって、水無月は安堵した。


 水無月は千円札を二枚握りしめたまま、夜の街へ歩き出した。自然、笑みが零れて、脳裏に歌詞だけが刻まれた調子外れの歌を口ずさみ始めた。

 慎一が教えてくれたから、何となく歌の形にはなっているが、生来が音痴であるため、水無月の歌は、めちゃくちゃなものだった。弱みとなりうるから、普段は決して歌わない水無月だが、今夜は特別だ。

 きっと、こういうときのために、人は歌を作ったのだろうから。

 音楽家のほとんどが激怒しそうなことを考えて、水無月は上機嫌でコンビニまでの道を行く。歌は相変わらず音痴で、聴くに堪えないが、下手でも楽しいからいいのだと、このとき初めてそう感じた。

 水無月にとっては解放の歌であり、水無月家に残る六人の大人達にとっては嬉しくもない鎮魂歌だ。

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