憐憫の笑みさえ美しく

 熱帯夜ではないものの、暑い日が続いて、ようやく、涼しさがやってくる節目となるお盆を迎えた。水無月は、今や関係も冷え切って会話のなくなった両親と、その大きな原因を占める自身とで過ごす空間を持て余し、陰湿な叔母夫婦でさえも歓迎したいと思うほどに誰かの来訪を待ち望んでいた。

 水無月家の、割と広く、普段は母親が水無月に食事を投げつけたり手を上げたりと暴虐の限りが尽くされるリビングは、大人達の宴会に備えて、テーブルとクッションが増やされていた。

 車の音がして、水無月は立ち上がる。車で訪れるのは、叔父一家だとわかっている。慎一は、あの何も知らない笑顔で、水無月に笑いかけるのだろう。それを思えば心底腹立たしいが、両親と息の詰まる時間を過ごすよりは多少ましになるはずだ。

 それほどに、両親と過ごすのは限界だった。二人の不仲に巻きこまれたくはない。

 玄関を出て、水無月家の車の隣に駐車された五人乗りの小ぶりな車を見る。車内から楽しげな声がして、慎一が降りてきた。

「悠君! 久しぶり」

 満面の笑みで水無月に会えた喜びを表明する慎一に、嫌悪感はある。だが、水無月はここでは“優しいお兄さん”なのだ。計画にも慎一は使えるので、関係は良好な方がいい。

「お正月以来だね。元気してた?」

 水無月も笑みを浮かべた。いつものそれとは違い、地獄の終わりが見えたがゆえに本物の希望も混ざった笑みだったことに、気づいた者はないようだった。

 それもそのはずで、水無月家に集まる人間は水無月だけでなく、水無月の両親の稚拙な嘘にさえあっけなく騙されてくれるほどに、勘が鈍いのだ。

 リレーの選手に選ばれて、運動会で活躍したのだと日焼けした顔で話す慎一の言葉を聞いてやりながら、水無月は笑みを深くした。

 それは、慎一への羨望であり、憐憫であり、軽蔑の意味をも持っていた。

「いつも慎一のこと見てくれてありがとうね。一人っ子なものだから、すっかり悠君に懐いちゃって」

 慎一の母親が、水無月に気を遣いつつ、慎一を優しく見守っていた。

「いえ、俺も弟がいるみたいで楽しいですよ」

 今日で終わりの虚飾を並べ立て、水無月は“いい子”を演じる。

 せいぜい、最後の晩餐を楽しむといい。

 そんな言葉を隠して、水無月は美しく笑んだ。

 特段恨みはないが、水無月にとってはこの女も邪魔だから、排除する。それだけのことだ。


 叔母夫婦も到着して、大人達にアルコールが回り始めた頃。来客に備えて綺麗に整えられた部屋で、水無月は慎一とともに、お菓子とジュースを楽しんでいた。

 時折、どっと笑い声がする。六人しかいないのに、醜悪なことだと水無月は内心ため息をつく。それに比べて慎一は天真爛漫で存在が喧しくはあるが、目の前にある溜めていた宿題に熱心で、一応は静かだった。そもそも、宿題を夏休みが残り一週間あるかないかのこの時期に必死に片付けている時点で、水無月としては少し呆れるが、おそらく慎一は水無月に教わりたいからそうしているのだ。現に、自由研究は既に終わっているらしい。

「……あれ、もうなくなったね」

 空になったペットボトルを振る。子ども達のためにと用意されたアップルジュースと緑茶はどちらも空になっていた。

「慎一君、このページ解いてなよ。俺がコンビニでお菓子とジュース買ってくる」

 自分も同行する、と言いたそうな慎一の目を見つめ、水無月は“能力”を使って慎一を眠りの谷に突き落とした。

「おやすみ。次起きたらおまえの現実は地獄だ」

 部屋を出る水無月は眠りに落ちる寸前の慎一に笑いかけた。それは、ぞっとするほど美しい、憐憫の笑みだった。絶望は、ブルーサファイアのごとき、美しい青色をしているのだ。

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