八年前、暑さの厳しい札幌

水無月悠の夏

 心身の傷が癒えぬうちに傷口をこじ開けられ、傷つけられるような日々が、窓を開けて暮らすのが当然の季節になってからは、少しばかり緩やかになる。十歳になるかならないかの頃からの日常だった。

 賢い水無月は、それが近所や警察の目から家の中で起こっていることを隠すためなのだと知っていた。窓を開け、扇風機を回して涼を取る北海道の夏に、窓を閉め切っている家というのは、少しばかり怪しい。さらに、他の家は窓を開けているものだから、母親が水無月を怒鳴りつけたり派手に手を上げたりすれば、その音も冬よりはずっと届きやすいだろう。

 高級住宅街であるからこそ、そんな音はよく響き、近所の住人の気を引くに違いない。

 プライドの高い両親のことだ。一度でも通報されたら人生にとんでもない汚点ができたと思うだろう。

 そして母親にとって最大の問題は、水泳の授業だった。アルビノゆえに日焼けに弱い水無月は、その日の天候次第で水泳の授業を見学することになっているが、授業に参加する日もある。そのため、母親は水泳の授業が終わるまでは水無月の身体に目立った傷をつけられないのだ。

 母親はこのことが外に知られるのをひどく恐れている。法の裁きと己のキャリアを失うことが怖いのだ。

 父親はそもそもにして、息子に性的接触を強いているつもりもないようだ。水無月もそれを望んでいると考えている。だが、厄介なことに、隠さねば父親の言うところの「愛」は阻まれてしまうことくらいは理解している。

 周囲からいろいろなものを隠したい水無月の両親にとって、夏は非常にやりにくい季節なのだ。

 小賢しい、と水無月は思う。

 春の面談の時点で、母親は自分が異常な母親であることを隠しきれていなかった。担任の目が節穴だったから、今水無月家があるだけだ。

 それでも自分達を聡明で正しいと思いこんでいる両親を人間と思うことなど、水無月には不可能だった。


 春に希望を手にしながら、水無月が両親を殺すのをお盆に設定したのには、訳がある。

 水無月悠にとって、親戚というと、母方ではなく父方を指す。母方の親類は遠方にいるのだか疎遠なのだか早死にしたのだか、とにかく母方の祖父母とかそういうものは不在なのだった。当然、母親に聞けるはずもなく。だが、付き合いのある様子はないことくらい、把握していた。

 それとは対照的に、水無月家、つまりは父方の親戚との付き合いはよかった。早くに父方の祖父母が亡くなっていることもあり、父親は長男らしく自分の妹夫婦と弟一家を呼んで、お盆の集まりを取り仕切るのだった。法事とか墓参りとか、それから酒の入る宴会もだ。

 水無月は叔母夫婦も叔父一家も嫌いだった。

 叔母は父親の見ていないところで、長男の嫁として働く母親の粗探しをする陰湿さを持ち、その夫はそれを知っていて止めないくらいには傍観者が板についている。叔母は子どもを欲しがっていたから、子どもがいる水無月家が妬ましいのだろう。しかし、水無月悠は十分に叔母にとって妬ましく憎い対象だ。絶対に関わりたくない。

 そして、叔父一家。水無月はこの一家の子どもがどうしようもなく嫌いだった。水無月慎一しんいち。水無月の三つ下で、名前に似合わず、慎重さなんて持ち合わせておらず、騒々しく、幼さを残した少年だ。水無月を「悠君」と呼んで慕ってくるが、こんなにも愚かで馬鹿な生き物が、水無月が両親にされるよりずっと叔父夫婦に大事にされていると思うと、怒りで気が狂いそうだった。優しいお兄さんをやるのも、楽じゃない。

 両親を殺すことに成功すれば、どちらかに引き取られる可能性がある。それは水無月の望むところではない。

 どちらにも引き取られないためには、どちらともに死んでいてもらわねばならないのだ。

 児童養護施設の環境は劣悪だと聞く。しかし、法律を少しばかりかじった水無月には、親権者がいないより親権を振りかざし支配をしていることの方が厄介に感じられた。

 だから、親戚一同には、死んでもらう。

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