第34話 元年季冬 雉雊く 3
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圭徳十五年、啓康王の治世。蒼国南部の
仁仲の処方する薬はよく効く、と評判になっていた。
その郷や近隣の地域の人々は、病を治してもらおうと、大勢が仁仲の元を訪れた。
仁仲に処方してもらった薬を使うと、確かに気分が良くなり、病が治った、と思えた。
しかし実際には、仁仲が自身で栽培していた
ある時、腕の良い薬師がいるとの評判を聞いて、都から仁仲の元を訪れた者がいた。
しかし、仁仲に対面してみると、処方されているのが薬などではなく、実は阿片であることに気付く。そしてそのことは中央に報告された。
中央の調査によると、甘婁郷では、病でない者も、使えばずっと働き続けられるという噂の"薬"を求めるようになっており、結果、甘婁郷のおよそ三割に至るほどの者が阿片中毒となっていた。
この件を重くみた当時の啓康王は、以後許可なく麻薬の栽培、製造、所持、譲渡、譲受、所持、使用等を禁止とする法を作った。
騒動の原因となった仁仲は捕らえられて獄につながれた。
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甘婁の騒動はまさしく前王啓康を廃人にした件を思い起こさせた。
原因となった薬師の姓は、もしかしたら逃亡している呪禁師と同じ"長"であったろうか、と範玲は自分の記憶を疑ったが、夏家にある資料を確認すると、確かに"長"ではなく、"楊"という姓であった。
では、その楊仁仲は長古利とは何の繋がりもないのだろうか。
気になり始めると、確かめずにはいられなくなった。
仁仲の血縁について確認するため、範玲は大理寺を訪れた。
「許可なくこちらの記録をお見せすることはできません」
大理寺には膨大な裁判記録が保管されている。記録には仁仲の調書もあるはずだ。当時の楊仁仲の件の記録を見せて欲しいと申し出てみたが、対応してくれた職員には呆れたように笑われ、あっさりと断られた。
それはそうか、と自分のうっかりに範玲が恥ずかしくなる。
誰の許可をもらえば良いか考え、司空の英賢に頼むことにした。
忙しい英賢に職務とは少し外れたことを頼むのは気が引けたが、一番間違いがないだろうと、執務時間が終わるのを待って、英賢の執務室へ向かった。
*
英賢の執務室には、その部屋の主はおらず、何故か昊尚が一人でいた。
「あ。昊尚殿、どうしてここに?」
思っていなかった久しぶりの昊尚の姿に、範玲の顔が自覚なく綻ぶ。
「ああ、つい先程まで英賢殿と打ち合わせをしていたんだ」
そして、意地悪く笑って昊尚が続けた。
「……ようやく私の名前を覚えたようだな」
今まで範玲は、つい"彰高"と言ってしまいそうになり言い直していたが、今回は初めから"昊尚"とちゃんと呼んだことをからかっているのだ。
「"彰高"、でも、間違いではないじゃないですか」
少し口を尖らせて範玲が抗議する。
「まあな」
こんなやり取りも久しぶりで範玲は楽しくなる。
「それで、兄……碧公はどちらに?」
「陛下に呼ばれて行った。暫くは戻って来ないと思うぞ。英賢殿に用事か」
書類に目を落としながら、昊尚が範玲に聞く。
相変わらず二人とも忙しそうだ。邪魔をしては悪い。
「少しお願いがあったのですが、またにします」
今日はやめておこう、と範玲が辞去しようとすると、昊尚が書類から顔を上げた。
「何だ。せっかく会えたのにもう帰るのか」
…………。
……びっ……くりした……。
範玲は昊尚の思わぬ言いように不意を突かれた。
せ、せっかく会えたのに、って。
……いやいや。あ、そうかそうか。友人としてね。
うん。なぁんだ。ああ驚いた。
やだなぁ。私ったら恥ずかしい。
恐るべし、喜招堂のやり手商人。こうして顧客を増やしているのか?
さらっと勘違いさせるようなことを言ってくれる。
範玲は、取り急ぎ内心の動揺を押し隠す。
「お忙しそうなので、お邪魔してはいけないと思って」
平静を装い答えると、昊尚が手にしていた書類を置いた。
「いや、実はひと段落ついた。で、そのお願いというのは、英賢殿しか頼めないことか。英賢殿の方が忙しそうだから、よかったら私が聞くぞ。わざわざ碧公の執務室に来るんだ。家の用事ではないだろう?」
相変わらず察しが良い。
大理寺のことだから、その所管の司空である英賢が最適だと思ったが、昊尚に相談してみるのも良いかもしれない。
範玲は、史館の本の麻薬禁止の法の
範玲の話を聞きながら昊尚の眉間には次第に皺が寄っていった。それに気づき、範玲が慌てて言う。
「すみません。大理寺の記録を確認したいというのは、史館のお仕事とは別のことっていうのはわかっているのですが……」
「いや。よく話してくれた。……一緒に行こうか。私が行けば、記録も見られるだろう」
そう言うと、昊尚は立ち上がり部屋を出る。
「これからですか?」
範玲が驚いて昊尚に続く。
「早い方がいい」
そう言って足早に大理寺に向かった。
既に執務時間が終わっているが、昊尚は藍公という立場を使って、大理寺の書類の保管庫へ足を踏み入れた。
膨大な記録類が所狭しと棚に並べられていた。
だが、きちんと目録が作られ、案件ごとに番号が振られて整理されていたため、目的の記録は、十一年も前のものだというのに、案内されなくても比較的速やかに見つかった。
「楊仁仲は、……獄中で死亡しているようです」
投獄された末のその薬師の最期は、獄中での突然死だったことが記されていた。
調書によると、楊仁仲は初めは真面目に薬を処方していた。末期の病状の患者にのみ、痛みの緩和を目的として、阿片を処方していたようだった。ところが、次第にその目的のみではなく、誰にでも"万能薬"として阿片を渡してしまうようになった。仁仲自身も捕らえられた時は阿片中毒だったことが記されている。
「家族は……。あれ、ない」
調書には家族について書かれている箇所がなかった。甘婁郷にはある時から単身で居着いたとなっている。
そして仁仲の生まれは、"天南郷"となっていた。
「え? 楊仁仲は……」
言いかけて昊尚が、しっ、と範玲の言葉を封じた。
史館の切り取られた資料には、夏家にあるものによると、騒動は甘婁郷だが仁仲の生まれは"登南郷"と間違いなく書かれていた。
範玲がそう言おうとすると、昊尚が範玲に顔を寄せる。
いやいや。近い近い。
意外と長い睫毛がしっかり見えるほどの顔の近さに範玲が慌てていると、それには構わず昊尚が声を落として囁いた。
「誰が聞いているかわからない。書き換えられていることに気づいたことを悟られるな。君が大理寺に訪ねて来てからすり替わったか、それより以前に書き換えられていたかはわからないが、まあ、意図的にやられたのは間違いなかろうな」
そう言うと、近づいていた顔を離し、今度は声の大きさを戻して言った。
「気が済んだか? じゃあ、もういいな」
演技だ。
気付いて範玲も合わせることにした。
「はい。すみませんでした。私の勘違いでした」
しょんぼりとしてできる限り申し訳なさそうに言うと、取り出した記録を戻して、少し不機嫌な振りをして保管庫を出て行く昊尚に続いた。
大理寺から英賢の執務室に再び戻ると、昊尚が真面目な顔で言った。
「楊仁仲の生まれは登南郷だったな。甘婁と登南に人をやって、当時のことや家族のことを調べさせる。あとは引き取るから、君はもうこの事を調べるのをやめるように」
範玲としては少々不服ではあったが、昊尚がこう言うからには、自分の手には追えないのだろう、と諦めて頷いた。
「代わりに、どうなったかは教えてくださいね」
範玲が言うと、昊尚は曖昧に頷き、外を見て言った。
「英賢殿には私から話しておくから、今日はもう帰りなさい。士信の迎えはある?」
「はい。史館で待っていてくれると思います」
「じゃあ、くれぐれも気をつけて帰るように」
心配の仕方が兄上みたいだな、と思いながら、範玲はおとなしく、はい、と返事をしておいた。
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