第17話 三日目 御前会議 3


 壮哲が王を抱えて退出し、議場が混乱に満ちている中、後方の衝立の陰から退出しようとする者がいた。


「使者殿、何をしておられる?」


 扉に手をかけたところで、英賢が呼び止めた。

 「使者殿」と呼びかけられた者は、一瞬動きを止めたが、俯いたまま言った。


「取りこんでおられるようですので、当方の用件は一旦持ち帰り、日を改めた方がよろしいかと……」


 そのまま部屋から出ようとする。

 ところが、それを遮る人物がいた。


「会議中でしたか。私は何も聞いておりませんが、一体何事ですか?」


 朱国へ行っていた都省長官である斉丞相が入り口で立ちふさがり、よく通る声で言った。佑崔の父親である。

 横には蒼国では見かけない者を伴っている。


「只今幡朱国から戻りました。ちょうどそこで峯紅国からの客人とお会いしまして、お連れしたのですが」


 共にいるのは峯紅国からの客であると言う。

 その客人は今しがた扉から出て行こうとしていた者に目をやると、少々大げさに驚いた顔で話しかけた。


「おや、貴方は幡朱国の范雲起殿では?」


 話しかけられた方は、眉を顰めて顔を上げると、ぎくりとした表情になった。


「……いえ。私はただ朱国から遣わされた者です」


 再び顔を伏せて相手の言葉を否定した。

 騒めいていた室内が、静かになる。皆が聞き耳をたてる。

 范雲起とは幡朱国の第三皇子の名であるからだ。


「それはそれは。随分お顔立ちが似ておられる方もいたものですね。失礼いたした。もしかして当方と同じ用件で来られたのかと思い、つい声をかけてしまいました」


 紅国の客人が続ける。


「私は、この度蒼国が開発された絹織物の新しい技術について、紅国への輸出の交渉をするためにきたのですよ。我が紅国の陛下は殊の外、蒼国の技術に関心がありましてね。今後も蒼国の技術の発展に期待されておられます」


 にこやかに、滔々と聞かれてもいないことを話す。

 大国である峯紅国の現王は大変なやり手であるが、無駄に他国を攻めて国土を広げることは好まない。むしろ周辺各国の文化や技術を保護し、紅国の周りの国々の安定をも保つことに気を配っている節がある。


「ですから、もし、万一、陛下のお気に入りの蒼国に手を出すような国があれば、陛下も黙ってはおられないでしょうねぇ」


 にこやかな表情を崩しはしないが、朱国の"使者"に向ける目は笑ってはいなかった。


「そうですか……。それは我が国の主も同じお考えのことと存じます」


 朱国の"使者"も顔を伏せたまま明らかに表面上のみで笑う。

 声にはわずかに苛立ちが垣間見える。


「それでは、蒼国は大変お取り込み中のようですので、我が国からの申し出はまた改めてとさせていただこうと思います。急ぎ主に報告せねばならないので、これにて失礼いたします」


 そう言うと朱国の使者は部屋から出た。その背中に向かって、紅国の客人が戯れの混じった声を投げかける。


「叔母上によろしく」


 しかし朱国の使者は振り返りもせずに去って行った。

 その場にいた官僚たちは、他国の自称使者たちのこのやりとりを呆気にとられて見守っていた。

 朱国の使者が出て行くと、紅国の客は、途端に相好を崩した。


「という感じでいいのかな」


 瞳から厳しい光が消えて、人懐こい笑顔が浮かぶ。

 振り返って向けられた笑顔が誰へのものなのか。


「ああ。十分です。感謝します。芳太子」


 向けられた先には、昨夜から出かけていたはずの彰高が立っていた。





 遡ること半日。

 彰高は峯紅国の首都華京に来ていた。

 夜通し馬を飛ばしてきたため、足腰背中がぎしぎしいう。酷使してしまった馬も可哀想に倒れてしまった。

 しかし申し訳ないが今はそのことを言っている暇はない、と自らを急かした。

 彰高の祖母は紅国現王の伯母にあたる。

 彰高が祖母の生家を頼って紅国に身を寄せていた頃、梁家との縁から紅国の王家とも親交を結んだ。ちょうど同じ年の皇子がおり、たまさか気があったのも縁である。

 久しく紅国の宮城には足を踏み入れていなかったが、親しい皇子の伝手つてから王への接見を申し入れると、早朝にもかかわらず、意外にもあっさりと受け入れてもらえた。


「久方ぶりだな。しばらく顔を見せなかったと思ったら、早朝から面白くもない話を持って来たようだな。茶が不味くなる」


 通されたのは謁見の間ではなく内廷の客間であった。

 金糸の刺繍がふんだんに施された赤い衣装を羽織り、紅国王が不機嫌に座り茶を飲んでいる。朝餉の前の時間を割いてくれたとみえる。脇には皇太子が控えていた。


「蒼国に澄季が干渉しようとしているというのはまことか」


 紅国は芳氏が治める王国である。

 現王は芳慧喬という女王だ。慧喬が王になってから更に紅国は発展し、豊かな国となっている。

 その慧喬には澄季という妹がおり、朱国の王に嫁いでいる。


「蒼国で朱国皇子の雲起殿をお見かけしたのですが、身分を隠したまま、名も偽って使者として来ておられるようでした。目的は蒼国王の公主と雲起殿の婚姻の申し込みと聞いております。と言ってもまだ公主は幼女。それに我が蒼国の制度上、王と姻戚関係を結んだとしても王権に対しての利は生まれません。更に、雲起殿に先立ち、呪禁師が宮城に入り込んでいます。出自は蒼国とのことですが、雲起殿と繋がりがあるようです。厄介なことにその呪禁師は人心を操る術を使うようです。現在、蒼国の王位継承権を周氏の直系のみにしようとする謀略が企てられております。それを唆したのは彼らでしょう」


 彰高がざっと説明をする。


「雲起か……。朱国の三男だな。澄季が可愛がっているようだな。得体の知れない男らしいが」

「武力でもって蒼国を支配下に置こうとしているわけではないようです」

「そっくりそのまま王家を乗っ取ろうとしているか」

「恐らくは」

「……澄季はかなり蒼国に執心している、と耳にしたことがある。蒼国で採れる青玉や金銀、それを加工した装飾品。それから絹。あれの好きそうなものが蒼国には多くある。全てを自分のものにしたいのであろう」


 うんざりとしたように慧喬が言った。


「あれは昔から下品な女だった」


 慧喬は扇で口元を隠しながら溜息をついた。


「人のものをやたらと欲しがる。そのくせ手に入れるとそれを壊して捨てる。最悪な女でな」


 吐いた言葉はそのまま凍ってしまいそうに冷たい。


「人は中々変わらぬな」


 気だるげに切り捨てるのを、彰高は僅かに頭を下げたまま聞いていた。


「それで、こちらの利益はなんだ。何と引き換えに手を貸せと言う」


 慧喬が面白くもなさそうに彰高に言葉を向ける。


「今陛下がご自身でおっしゃったではないですか」


 彰高が口の端を少し上げて真っ直ぐ慧喬を見た。


「我が蒼国は独自の文化や技術を発展させています。紅国にもない技術を独自に開発しております。陛下も我が国の技術などお気に召していただいていると自負しております。朱国の支配下に置かれたらそれを維持できると思われますか」


 慧喬が片眉をぴくりと上げる。


「小国が大国に併合されるのは果たして良いことでしょうか。それぞれ独自の土壌や歴史があってこそ、それぞれが違う方向へ、文化や技術も発展するというものです。陛下もそう思われるからこそ、小国である我が蒼国を隣国として尊重してくださっていると承知しておりますが」


 室内には慧喬の扇を仰ぐ音だけが聞こえる。他に音を立てることが憚られた。

 慧喬の冷んやりとした視線に肌がひりつく。

 しかし彰高は辛抱強く待つ。


 ここで次の言葉を発するのは紅国の主だ。


「彰高」


 慧喬の射抜くような琥珀色の瞳が彰高を見据え、低い声で呼んだ。彰高の背中を冷たい汗が伝う。


「余はそのように甘いかのう」


 彰高も慧喬から目を逸らさず答える。


「甘いなどと恐れ多い。さすが大局から物事を俯瞰することができる稀代の名君と敬服しております。我が蒼国も陛下の目論見を外れれば、不要なものと滅ぼされるであろうと畏敬の念を抱かざるを得ません」


 ふっ、と慧喬の真っ赤な唇から笑いが漏れた。


「そのような巧言は不要だ。……わかった。助力しよう。兵は出さぬが、使者ならそちらに遣わそう」


 彰高は胸を撫で下ろした。


「大雅がよかろう。そなたとは積もる話もあろう」


 脇にいる皇太子に目を向けると、見慣れた笑顔で手を振っていた。

 相変わらず緊張感がないな、と彰高の力が抜ける。

 こうして彰高と親しい峯紅国皇太子、芳大雅が蒼国に赴くことになった。


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