第2章 国の混乱と支配
第2話 フェンリルの森
暖かく照りつけてくる眩しい太陽の下、手を胸に当てて自分の心音を確かめると、「ドクン、ドクン……」と、心臓がしっかりと動いていることが分かり、生きているということを実感する。
「ふむ。どうやら術式は上手く発動したようだな」
そう言うとガトレスは、天を見上げ、瞼を閉じ、ゆっくりと大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。
そんな他愛もないような動作が、ガトレスにとってはとても久しいものだった。それこそ、こんなにもゆっくりと時間を浪費するのはいつぶりだろう。数十年ぶりか、あるいは数百年ぶりか。どちらにせよ、一度死んでから改めて生の素晴らしさを実感することになるとは思わなかったと、ガトレスは少し感慨に浸った。
一体、目覚めてからどれ程の時間が過ぎたのだろう。魔王城でギーラに追い詰められ、自害をしてからどれ程の時間が過ぎたのだろうか。いつか自分が殺される時が来るかも知れないとは考えていた。そして、そうした事態が起きた場合に備えて、念のためにこうして代わりの肉体まで用意していた。……してはいたが、まさかこんな事になるとは正直思っていなかった。否、思いたくなかっただけかも知れない。
ギーラとは300年来の付き合いだ。300年もの月日を共に分かち合い、お互いに全て分かりあったつもりになっていた。だが、実際は何も分かっていなかった。その結果がこのザマだとすれば、なんとも滑稽なものか。
周りを木々に囲まれた静寂の森の中で、ガトレスは自分に対して呆れたようにため息を吐いた。
途端、森の雰囲気が一変する。先程までの静けさが嘘のように、木々が、鳥が、動物たちが騒ぎはじめ、森に何かの獣臭が漂い始めた。
森のざわめきは時間が経つにつれて、止むどころか、段々大きくなっていく。と同時に、何かの獣臭もどんどん強くなり、此方に向かって何かが近付いてきてるのが分かった。
ガトレスは、何かが近付いてくる音と臭いがする方向を向くと目を見開き、千里眼を発動した。
ーー千里眼とは、視界を妨げるあらゆる物をすり抜け、対象物をすぐに見つけることが出来るという能力である。
千里眼を発動したと同時に、此方に迫ってくる主の姿が映し出される。千里眼に映し出されたのは、10メートルを有に超えるほどの巨体を誇る黒い体毛の狼だ。
大きな牙が鋭く尖っており、その口からはヨダレが少し垂れている。
「ふむ……、魔獣フェンリルか」
千里眼を解除し、少し顔を下に傾けて手を顎に当てながら、ガトレスはそうポツリと呟いた。
ーー「魔獣フェンリル」と言えば、世界各地に生息する魔獣の中でも特に名の知れた魔獣である。人間の兵士が百人でかかっても倒せないと言われるほどの強さを誇り、これまでにフェンリルによって殺された人間の数は計り知れない。
そんなフェンリルの殺戮を止める為に、この千年間で幾度となくフェンリルと人間の兵士との戦いが繰り返されてきた。戦績は、人間側が5勝6敗。フェンリル側が6勝5敗と、両者どちらとも譲らぬ一進一退の攻防が続いているのだが、不思議な事にこの約100年間の内にフェンリルと人間の兵士との衝突は一度たりとも起こっていない。
その大きな理由が、フェンリルがこの世界にもう残り一体しか存在しないという事だ。元々フェンリルは、六大陸にそれぞれ一体ずつしかいない、とても希少な魔獣であった。更には、子孫を残す術も無かったため、それ以上の数に増えることも出来ず、結果的に人間たちに絶滅寸前まで追い込まれてしまったのだ。
そして、追い込まれたフェンリルは、約100年前にこの森に入ったっきりこの森から動かなくなった。人間たちも無闇に犠牲は出したくない為、結局こうして人間たちとフェンリルとの均衡は、この100年もの長きに渡って保たれ続けているという訳だ。
だが、そんな事はガトレスには関係ない。ガトレスは元『魔王』である。ガトレスにとっては人間とフェンリルの戦いなど、些事に過ぎない。何故なら、人間もフェンリルも、全ての存在がガトレスの前に立てば等しく『弱者』になるのだから。
ーーガトレスは、フェンリルが迫ってくる方向に向けて一歩足を進めると、スッと右手を伸ばして「ヘルフレイム」と呪文を紡いだ。
瞬間、森に巨大な爆発が巻き起こり、辺りの木々が爆風で吹き飛ぶ。やがて炎は辺りに残った木々に燃え移っていき、あっという間に森は炎の海へと変化した。そこにはもうフェンリルの姿は見当たらない。それどころか、森の木はほとんど消失し、無残な焼け野原へと変貌を遂げている。広大な森が炎に包まれ、フェンリルが為す術なく死んだことを確認するとガトレスは目的地へと歩き出した。
****************
特別な日でもないのに、珍しく王国が騒がしい。王国中の人間が一体何事かとパニックになっている。だが、それもその筈だ。何故なら、王国のすぐ近くにある『フェンリルの森』から何の前触れもなく爆発が起こり、現在進行形で森が勢いよく燃えているのだから。
理解不能の事態にパニックになっている人間の中には、天に祈り、神に縋っている人間も何人かいる。だか、そんな行為に意味はない。何故なら、今回の事態の原因が史上最悪の魔王だからである。彼の前には、神への祈りなど何の意味もなさない。この世の理を超えた力を持つ、天上世界に住まう天地神明の神々でさえ、ガトレスには敵わないのだから。
ーそして、そんな史上最悪にして史上最強の魔王ガトレスが既に人間の街へと侵入したことをこの時、人間たちはまだ知らなかった。
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