第29話 テレビ生演奏
俺は照明の明るさに驚きながら、指定の位置に移動する。
俺の斜め前には既にピアノが用意されていた。
そのピアノを見ると段々と緊張が和らいでいくのを感じた。
俺は四六時中ピアノに触ってばかりいるので、ピアノを見るだけで自然とリラックスできる。
ある種のルーティーンとなっていた。
葉鳥はとりさんは俺が小学一年生ということもあり、俺の紹介を代わりにしてくれた。
周りのゲストの人たちは大袈裟に驚いた反応をしている。
よくテレビで見る光景だけど、その対象が自分であるとやはり嬉しいような照れ臭いような変な気分になる。
そのおかげもあり、最初にあった緊張はほとんど無くなって、この場を楽しむ余裕も生まれてきた。
葉鳥さんも俺のそんな心境の変化を細く感じ取り、質問を振ってくれる。
流石プロである。出演者の状態をよく観察している。
俺にはとても出来ない芸当で、すっかり感心してしまった。
「蒼くんがピアノを始めたきっかけってなにかな?」
俺は思考を戻して質問に答える。
「はい、お母さんに勧められてやってみたら、とても面白くて.......それがきっかけです。」
「そうなんだ。でも、コンクールで一位になるなんてすごいよね。何か特別なことをしていたの?」
「えーと、特に変わったことはして無いです。ただ、ピアノの先生と一緒に頑張ってきたので.......先生のおかげです。」
「そうなんだ。小さいのにしっかりしてるね。」
葉鳥さんや他のゲストの人達も俺のしっかりとした言葉使いに驚くも、どこか微笑ましそうな表情だった。
小学一年生の声変わりしていない高い声だと、どうしても幼さや可愛さというものが出てしまう。
だから、俺の今の受け答えも小さな子供が頑張って丁寧な口調で答えているというホッコリする状況になっていた。
「すごいね〜」
「こんなにしっかりした小学一年生は見たことない。」
そんな声がスタジオ内に満ちた。
「そんな蒼くんの恩師であるピアノの先生の清水久美子(しみずくみこさん)に中継が繋がっています。
現場の高橋さーん。」
葉鳥さんがそう呼び掛けると、モニターが変わり見慣れた住宅街の一軒家を映す。
そこにはマイクを持った女性ーーアナウンサーの高橋さんーーと少し緊張してオドオドしている先生がいた。
「はい!こちら現場の高橋です。私は今、佐藤蒼くんの恩師である清水久美子先生の自宅前にいます。
そして、今私の右手にいる方が清水久美子先生です。
少し、お話しを伺ってみたいと思います!」
「清水先生、蒼くんについて教えてください。」
先生は少し緊張気味に話し始めた。
「えーと、そうですね......蒼くんは本当に、なんて言うでしょう......良い意味で異常でした。」
「......と言いますと?」
「蒼くんの成長速度は異常でした。蒼くんはピアノを教えて数十分で尋常じゃない技巧を披露して私の度肝を抜いてきました。
そして、今やプロ顔負けの演奏をするまでに成長しています。これは人間を超越しているとしか言い表せません。
でも、私としては自慢の教え子なんです。
私が教えたことはほんの少しですが、それでも蒼くんの演奏に私が教えたことを見つけた時、私は幸せな気持ちになるんですよ。
しかも、蒼くんの演奏からは私の一番の願いである『ピアノを心から楽しむ』ということを大切にしているのがよく分かるんです。
それは私の理想のピアノ演奏なので蒼くんは本当に完璧な生徒なんです。
しかも私の夢まで叶えてくれるし......
ですから、今日の演奏も頑張ってもらいたいです!」
「それは確かにすごいですね!清水先生のお話から蒼くんの凄さが伝わってきます!これからの演奏も期待せずにはいられません!現場からは以上です。」
そう言って葉鳥さんに再び進行が戻される。
先生の心からの言葉を聞けて俺は嬉しかった。
今の先生の言葉で心が一杯になる。
それと同時に今日の演奏を頑張ろうという意気込みも出てきた。
正直、今日はあまりやる気が出ずにいた。
しかし、先生があそこまで言ってくれたので中途半端な演奏では失礼だろう。
「高橋アナウンサー、清水先生ありがとうございました。それでは早速、気になる蒼くんの演奏に移りたいと思います。今日弾いてくれるのは全国大会で演奏をしたという『月の光』です。しかも、立ったまま演奏するという離れ技を披露してくれます。
それでは蒼くん、どうぞお願いします!」
俺は葉鳥さんの合図に合わせて演奏し始める。
俺が音を発した瞬間、スタジオの空気が一変する。
スタジオの出演者やスタッフこの場にいる全ての人の心を一瞬うちに掴んで演奏に注目させる。
曲の冒頭部分の優しい和音がスタジオに居る人の心に染み入っていく。
どこまでも優しく、美しい音色が空間を包む。
スタジオを忙しなく駆け回っていたスタッフ、次のことを考えていた出演者、それら全ての人が一旦行動や思考を止め、目の前の小さな少年が奏でる音に耳を傾ける。
この時間だけは日々の憂鬱や不安などの雑念が綺麗に忘れ去られ、ただ優雅なピアノの音色が心身を満たす、満ち足りた時が流れて行く。
誰もが、小さな少年のピアノの世界に魅せられていた。
スタジオは照明で痛いくらい明るい筈だが、その光は夜の月明かりのように感じられる。
スタジオ全体に夜のような静かな雰囲気が漂っていた。
それは全てピアノの音によって創られた幻であったのだが、それに気付く者はいない。
それほどまでに圧倒的な表現力と技巧がその小さな少年にはあった。
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