第24話 全国大会 part3

 俺はステージに上がる月城玲奈つきしろれいなさんを見て、これから彼女がする演奏に期待せずにはいられなかった。

 俺は彼女が出てきた瞬間、違いに気付いた。


 本選の時とは明らかに纏っている雰囲気が違った。

 彼女はとてもリラックスしていて、何処か楽しげだった。


 そんな様子を見て、これは俺と同種だと思った。


 ピアノを弾くことを心から楽しんでいる者だけが出す雰囲気だった。


 彼女は気付くことができたんだ。


 そして、気付くことが出来た者の演奏はそうでない者の演奏とは一線を画す。


 そんな彼女の演奏が始まった。

 彼女の力強い音がホール内の空気を揺らし、観客の心を動かす。


 演奏者も終盤に入り、観客の耳も肥えて段々反応が鈍くなってくる時間だ。


 そんな淀んだ空気を一新させるようなフレッシュな音がホールを満たす。


 観客は他の演奏との違いを感じ取り、崩していた姿勢を正す。


 彼女の発した音がホールを楽しげに踊る。


 コンクールという静粛で重々しい空間を破壊していく。

 そして、遊園地のような楽しい空間を創造していく。


 しかし、ただの遊園地ではなかった。

 絶叫系が中心である。


 彼女のパワフルな音が観客にジェットコースターに乗ったような感覚を感じさせる。

 音がすごいスピードで駆け回ったり、急に止まったり、急降下したりと規則的な動きをしない。


 それが、観客をハラハラさせ、高揚させる。

 皆、怖いのに楽しいという変な感覚を味わっていた。


 俺もこういう演奏は大好きだ。


 演奏者が心から楽しんでいないとこんな音は出せない。


 しかし、観客の中の一部の頭の硬い音楽好きは、簡単に受け入れられない演奏だろう。

 こういう演奏を「若い」や「何も分かっていない」などと言って拒むのだろう。


 別に彼女の演奏が楽譜を無視した、破茶滅茶な演奏であるわけではない。


 ただ、楽譜を忠実に再現しつつ、自分の感性や心に従い弾いているのだろう。


 だから、この曲で楽譜には書かれていないが、不文律的に定められている所などを彼女のオリジナルで弾いたりしているのだ。


 こういう行為に音楽好きで保守派の観客は反発するだろう。


 しかし、新たな道を切り開き、変革をもたらすのはいつも保守派ではない。


 反発を受けながらも自分の信念を見失わず、茨の道を歩む革新派だ。


 特に彼女のようなまだ未完成な状態の演奏では、余計に叩かれる。


 でも彼女は流石である。

 ここに居る観客が彼女の演奏に呑まれつつある。


 彼女から発せられる音の一音一音が観客を興奮させ、彼女の世界に引き込む。


 演奏がクライマックスに突入する。


 激しいオクターブの連打、その一打ごとに会場のボルテージが上がる。


 そして、彼女が最後の和音を渾身の力で弾き切った。


 彼女の手は空中に僅かの間とどまる。


 会場を静寂が支配する。


 彼女が腕を脱力させ、下に降ろした瞬間、観客が一斉に拍手を送る。

 拍手を送る人は興奮を隠せずにいた。


 彼女がお辞儀をすると、その拍手はより一層大きくなった。


 彼女の顔にも達成感が浮かんでいる。


 俺も精一杯の拍手を送った。

 彼女はステージから去り際に俺の方を向いて、微笑んだ。


 それにグッドポーズで返した。


 俺も、彼女に負けないぐらい楽しまなくてはと思った。




 

 いよいよ、俺の演奏の番がやってきた。


 ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。

 などと、回想出来ればいいのだが、生憎俺はこの全国大会に参加しているどの演奏者よりもピアノ歴は短い。

 そんな俺が頑張って努力した、などと言っては他のもっと頑張っている人に失礼だ。


 しかし、だからと言って一位の座を譲るつもりもない。


 俺は与えて貰ったステータスを存分に活用して、楽しく生きるだけだ。


 だが、俺はここのホールにいる人にだけでも伝えたいことがある。


 それは月城さんもやったことだが、ピアノを心から楽しむ感覚を思い出して欲しいということだ。


 無論、たった8ヶ月しかピアノをやっていない人が何を言っている、とか、勝手にお前の負けない物差しで測るな、と言う意見もあるだろう。


 しかし、この大会でピアノを弾いている人は何処か苦しそうだった。


 俺は数ヶ月しかピアノをやっていないが、だからこそ分かる事がある。


 俺は今、ピアノを弾ける幸せを感じている。


 俺は前世ではもちろん、数ヶ月前までピアノを弾けなかった。


 だから、ピアノを弾ける楽しさ、色んなことをピアノ一つで表現出来る自由さ、などをより新鮮に感じている。


 こういう感覚は生物なまものだ。


 時間が経つにつれ、薄れて行く。

 だから、俺はこの今、感じていることをみんなに伝えたい。


 誰もが初心の頃に感じていた感覚を。





 俺は大きく深呼吸をして、軽やかにステージに向かって行った。

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