第15話 本選までの1ヶ月間 part

 俺は本選出場が決まり、毎日ピアノに明け暮れる日々が続いた。 

 しかし、嫌な気分にはならなかった。

 やればやるほど、ステータスは上昇するので、それがモチベーションとなり練習が楽しくてしょうがなかった。

 そんなピアノ漬けの日々を送っていた俺はあるビックイベントを失念していた。


 そう、9月に行われる事と言ったら運動会である。


 俺は一年生のこの5ヶ月間、ほとんどピアノしかやってこなかった。

 だから、運動が全く出来ないのだ。


 前世では小さい頃、外で日が暮れるまで遊びまわっていたから、運動は得意な方だった。


 しかし、今は全くと言っていいほど、運動していないので、全く出来ない。


 運動会がある事に気づくのがもう少し早ければ、頑張って練習してステータスを上げることが出来た。


 でも、気付いたのは前日で今からでは何も出来なかった。


 仕方なく俺はこのピアノにステータスを極振りした状態で運動会に臨むことにした。


 そして、運動会当日の朝を迎えた。


 俺はいつものようにリビングで朝食を食べていると母さんが話しかけてきた。


 「今日の運動会、お母さんも応援に行くから頑張ってね!でも、怪我だけは十分注意してね。」


 「うん、わかってる。あまり期待しないでね。運動は、からっきし出来ないから。」


 そう言うと、母さんは微笑しながら言った。


 「いいのよ。出来なくても。蒼が頑張っている姿が見れれば、それだけ満足よ。」


 その言葉に少し気が晴れてたような気がした。


 そして、支度を済ませ学校に向かった。


 学校に着くとそこは運動会ムード一色だった。

 校庭には万国旗が四方に飾られ、白い大きなテントが並べてられ、そこに先生方が座っていた。


 生徒たちはどこかそわそはしていた。

 学校という日常の空間に突如として現れる非日常的な時間に浮き足立っているのだろう。


 クラスのみんなは運動会定番の話で盛り上がっていた。


 「俺、今日かけっこで一位になったら、ゲームのソフト買って貰うんだ!」

 「僕も一位になったら、お小遣いくれるって、お父さんが言ってた!」

 「え〜いいなー、俺なんて何もないよ。」


 そんな会話が至る所から聞こえてきた。

 しかし、俺は会話に入ることがない。

 何故なら、クラスの男子から避けられているからだ。


 音楽室での一件でいっとき、俺は人気者になった。

 しかし俺は放課後になればすぐに帰ってしまうし、休み時間は音楽室に行くという、人付き合いの悪さのせいで、結局友達が出来ないままだった。


 しかも、友達がいないだけでなく、男子たちから悪口を言われるようになった。


 「ピアノばっかやってるなんて女みたい」

 「オカマ」

 「オネエ」 

 など色々言われるようになってしまった。


 でも、俺はあまり気にしていない。

 精神年齢が30を越えていることもあり、その程度悪口は痛くも痒くもない。


 そんなことを考えていると、開会式が始まった。


 炎天下の中、校長先生の無駄に長い話を聞き終わり、開会式が終わった。


 こういう行事の校長先生の話の長さには驚く。

 しかも、大抵中身がスッカスカであることにも驚く。

 どうせ、長い方が威厳があるとか変な固定概念に縛られてしまっていることだろう。


 そんな愚痴を零していると、一番目の競技が始まる。

 それは俺たち一年生のかけっこだ。


 これは50mの距離を男女混合になって走り、順位を争うものである。


 男女混合なのは一年生なので、男女力の差がほとんど無いからだろう。

 俺は3番目のグループで走る。

 隣を走るのはなんと佐々木さんである。

 一緒に走るあとの3人の名前などもはやどうでも良かった。

 しかし、嬉しいのと同時に不甲斐ない姿を見られるのは恥ずかしかった。

 佐々木さんは勉強だけでなく、スポーツもできるのだ。

 だから、かけっこも速く、俺なんてそうそうに置いてかれて、一位でゴールすることだろう。

 そのあと最下位でゴールする自分を思い浮かべるととても惨めだった。


 「パッン!」

 俺たちの前のグループがスタートして行った。

 いよいよ俺たちの番だ。


 「位置に着いてー」

 俺は肩幅より少し大きく足を開き、腕を構える。


 「よーい」

 腕を動かし、左右の前後を入れ替え、後ろ足に力を込め最後の合図を待つ。


 一瞬の静寂が訪れた。

 心臓の鼓動がうるさいくらい鼓膜に響く。


 その静寂を切り裂く、破裂音が校庭に響いた。

 「パッン!」

 それと同時に一斉に俺たちはスタートを切る。

 俺も後ろ足を思い切り蹴って前に出る。

 そして、前に勢いよく飛び出した瞬間だった。


 俺の脹脛ふくらはぎに電流が走った。


 そして、力が抜け、同時に激しい痛みに襲われて俺はその場につんのめって転んだ。


 足を攣つったのだ。


 最初は何が起こったのが分からず、混乱した。

 しかし、脚の脹脛から伝わる感覚から、攣ったと言う事を理解した。


 俺はなんとか進むもうと、立ち上がり、足を踏み出したが、その瞬間激痛に襲われ、その場に突っ伏した。


 周りから見た俺の姿はとても滑稽なものだろう。


 それを考えると俺は恥ずかしく、穴があったら入りたい気分だった。


 そう思いながら、地面に転がっている時間は実際には数秒にも満たない時間だったが俺には途方もなく長い時間に感じられた。


 そんな絶望感の淵にいた俺の頭上から柔らかなでもどこか、はっきりとした芯のある声がした。


 誰だろうと思い顔を上げるとそこには天使が立ってこちらに手を差し伸べていた。


 佐々木紬さんだった。


 「大丈夫?立てる?」

 俺はなぜここに佐々木さんがいるのか理解出来ず混乱した。そんな俺の思考を他所に佐々木さんは次々と行動に移していった。


 俺を立たせて、攣つっている左足を庇うため、佐々木さんが左側の脇に潜り、支えてくれた。


 「こうすれば歩ける?」


 俺はこの状況についていけず、ただ頷く事しか出来なかった。


「良かった。じゃあこのまま一緒にゴールを目指しましょう。」

 そう言って佐々木さんでは俺を支えてながら歩き始めた。


 俺は初恋の人にこんな醜態を見せた上、助けられるという無様な姿を晒したことがとても恥ずかしかった。

 しかし、それと同時に佐々木さんが自分を助けてくれたという事実が俺を大きく舞い上がらせていた。


 しかもこんなに近くに佐々木さんが居るという状況に俺の心臓は破裂しそうな程激しく鼓動していた。


 観客の人たちも、佐々木さんの勇気と優しさ溢れる行動に胸を打たれ、拍手や称賛の嵐だった。


 そうして、俺たちは無事にゴールすることができた。

 そのあとは、ひたすら佐々木さんにお礼を言い、先生たちに保健室に連れて行かれた。


 この時、俺はまた佐々木さんに惚れ直してしまった。


 幸い俺の足はただ攣っただけで、全く大事には至らなかった。

 そして、あとの競技は見学することになった。


 こうして、運動会は終わりを告げた。

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