セブンブリッツ

 八重歯をむき出しに笑っている深紅の甲冑男はポニーテールでまとめ上げた見事な金髪を揺らし立ち上がると、甲冑と同じ深紅の瞳を見開いて、俺とハッターを交互に見るや、拳を突き出した。


「ドードー伯爵を殺ったのはお前らか? あのトサカチキンを破って、あまつさえ殺るとか、なかなかいい根性してんじゃねえか! 好きだぜオレは強えヤツ!! どっちがトドメ刺したんだ? あ? お前はいかにも弱そうに見えるが、案外そんなこたあねえのか? それとも見るからにイカレてそうなお前の仕業か? まあ別にどっちだっていい。オレは、最近入った末席とはいえ、を撃破したやつの顔が見たかっただけだ。別に取って食おうってんじゃねえ。いや、取って食うか。 オレと殺ろうぜ? なあ?」


 一方的にまくし立て、殺気を隠そうともせず深紅の瞳をギラつかせる。直接的に「殺し合おう」と提案してきたのだ。


 え? なにコイツ……? 初対面で「殺ろうぜ」とか絶対ヤバい奴やん……。


 絶対に――、絶対に関わってはいけない類の奴が目の前にいる。

 街中でいきなり知らない強面な人に絡まれた時と同じぐらい俺の心臓が早鐘を打ち始めている。なんなら、心臓だけじゃなくて手足も震えちゃってるけど……。

 

なんでこうも次から次へとぶっ飛んだ状況が続くわけ!? こっちはハッターたちとバトったばかりなんですけど!?

 というか、ワンダーランドに入ってからワンダーな要素あった!? 「不思議」じゃなくてむしろ「危険」の間違いじゃない!? デンジャー続きだったじゃん。いつから「デンジャーランド」に迷い込んだの?

 しかも、ドードー伯爵が? 初耳なんですけど……。


 甲冑男と目を合わせるのが怖いので視線を逸らしてハッターを見る。


 ――なぜか満面の笑みを浮かべていた。


 なんで? その気持ち悪い笑みはどんな感情なの? その顔、絶対悪い予感しかしないじゃん……。


 俺の悪い予感は見事に的中した。


「そこな甲冑のアナタ! 私たちがそのようなことをするわけないでしょう! どうみても堅気ですよ!? ええ、ええ! 私はしがない帽子屋です、ヨヨヨホホホ!! 帽子屋が人を殺すなんてできるわけがないでしょう! 常識で考えれば常識ですよフヒヒ!!」


「おまッ!?」

 

 お前なに話しかけてんだよ!? 空気読めよ! しかも、「常識で考えて常識」ってなんだよ!!

 俺は“余計な事いうな”と目で訴えかけるが、まったく気づく気配がない。ずっとあの張り付いた気持ち悪い笑顔のままだ。


 そんな言葉を受けて、甲冑男がハッターを睨む。


「あ? だからなんだ? 堅気だろうがなんだろうが関係ねえだろうが。てめえの常識をオレに押し付けんなよ。なにも小難しいことなんか要求しちゃいねえ。オレは単純に殺ろうぜって言ってんだ」


「では、その“殺ろう”というのもアナタの常識でしょうねえ! ええ! ええェェ!?」

 

 ちょちょちょ! ハッターってこんな挑発的な奴だった!? もとから危なそうな感じは出てるけど、頭おかしいんじゃない!?

 ひとり状況に焦りまくっていると、満面の笑みを浮かべるハッターと目が合った。

 

 なぜかウインクされた。

 

 なんでそうなる……。

 ハッターに任せていては状況が悪くなるばかりだ。ここは俺がなんとかしなきゃ……。


「ちょ、ちょっと待って! 俺らは本当に殺してなんかいないんだ! 確かにドードー伯爵とは闘って気絶させてしまったけど、それだって俺の攻撃じゃなくて自分で壁に激突したっていうか……。とにかく俺たちはなにもしていません!!」


 とりあえず両手を上げて戦意がないことをアピールする。

 正直、足はもうガクガクだ。

 俺の発言に甲冑男が今度はこちらに向けて拳を突き出してきた。


「いいねえ! トサカチキンを倒したことが事実ならそれだけで十分だ! お前、オレとケンカしようぜ? 殺られる覚悟はあるか? いや、覚悟なんかなくたって殺ってやるよ! そんで、オレのパーツの一部にしてやるぜ喜べ髑髏しゃれこうべだ!!」

 

 言い終わると同時に、甲冑男は力強く地を蹴り、直線的にこちらへ跳んできた。

 右腕を振りかぶり握った拳に全体重を乗せるような勢いで躍りかかってくる。


「さあケンカしようぜウラアアアアァァァ!!」


「――ッ!?」

 

 そんな勢いで来られたら死ぬ死ぬ死んじゃう!

 俺、ついこの間が初陣よ!? そのドードー伯爵が最初の相手よ!? ガーディアンとだって、闘ったっていうより避けてただけだし。格闘初心者になに本気で向かってきちゃってるわけ!?


 ほぼ刹那的な時間のなかで弱音をめちゃくちゃ吐いた。 

 

「なんでそうなるわけ!?」

 

 唯一口をついて出た言葉に合わせて、咄嗟に顔の前で両手を構えて目を瞑ってしまう。なんとも情けないポーズだ。

 

 ――横で不気味な雄叫びが響く。


「ヒャハハハハハアアアアアアァァァァァ!!」


 衝撃に備えて身体を強張らせていると、ハッターと思わしき叫び声と共に地鳴りが起こった。

 反射的に目を開けると、視界を遮るほどの巨大な土壁が突如出現した。


「なッ!?」

「うおッ!?」

 

 巨大な土壁の出現に驚いたのは俺だけではなく、甲冑男も同じだったようで、同時に驚愕の声を漏らす。

 予想だにしない出来事に甲冑男は一瞬拳を緩めてしまう。勢いを殺され、残った力だけで土壁を殴った。

 

 バスンッ!


 打撃音はするものの、勢いが弱まったせいか俺まで攻撃は届かなかった。


 た、助かった……。


 土が盛りあがってできただけの即席防壁――。

 強度はないためハッタリにしかならないが、初見相手には多少の効果があったようだ。とはいえ、これは一度きりしか使えない……。


 甲冑男から繰り出された拳を中心に土壁がバラバラと崩れ去っていく。

 壁が取り除かれたいま、俺の目の前に甲冑男が立っていた。


「よう」


 バッチリと目が合い、甲冑男が深紅の瞳を見開くと歯をむき出しにして口の端を吊り上げる。

 

 近いちかい!

 っていうか、なんでそんなに楽しそうなの!? 普通、殴り合ったりするのって、もっと緊迫感あるもんじゃないの!? そもそも痛いから肉弾戦とかなるべく避けたいタイプなんですけど俺!!


「ハッター! 来て! こっち!!」

 

 恐怖に震える足でカクカクしながらも、俺は何とか後ろに跳び退り、少しでも距離を取って叫んだ。

 まるで瞬間移動でもしたかのようにハッターが隣に立っている。口元には相変わらず笑みを浮かべているが、いつもの軽薄な雰囲気は見当たらなかった。

 初めて見る真顔だ。ハッターなりに危機感を持って対峙しているらしい。

 それだけハッターから見ても厳しい相手ということか……。


 それって状況的にますますマズくない……?


「なるほど、ブラフかますなんてやるじゃねえの。拳で粉砕することもできたが、明らかに能力の類だったろうし二の足踏んじまった。オレも日和見野郎になっちまったもんだなあクソがよ」


 邪悪な笑顔で甲冑男が自分の手のひらに拳を打ち込んだ。


「困りましたねえ、ホホホ……。もうハッタリは通用しません」

「困ったってレベルじゃないでしょうどう見ても! 同じ手はもう通用しないだろうし、相手の攻撃力も未知数。どう見ても人間っぽいけど、明らかに危なそうなやつだし、能力も分からない以上、下手なことはできない……」


 ぶつぶつ言いながら俺は隣にいるハッターよりなるべく後方へ下がろうと、ジリジリ足を後退させてさりげなく甲冑男から距離を取ろうとする。

 

「逃げんなよ!」


 完全にバレていた。


 甲冑男は右肩をぐるぐる回しながらゆっくりとこちらに歩みを進める。

 

 やめて来ないで!

 

 俺は後退する歩幅を大きくする。ちょっとでも距離を取りたい。


「ハッター、なんかないの!?」


 俺はテンパって、神頼みのようにハッターに泣きついた。

 土でも泥でも何でもいいから、あの甲冑男を追い払える道具か技とか出ないの!? 出るでしょう! 出るよね……!?

 

「なんとかと言われましても……」

「土を飛ばすか、土を厚くして防御するぐらいしかできない!? 他には!? 何でもいいから!!」


 ビビり過ぎるあまり、俺はハッターにまくし立ててしまう。


「んんんんんんんん……、一応、土にまつわることならそれなりに何かできると思いますが、私自身で何かを考えつくことはあまりありませんので……」


 ハッターは気持ち悪く唇に人差し指を当てている。


「土? ……つち……つち……」


 気が動転しているのか、俺はとりあえずしゃがみこんで、足元の土をひと掴みすると手の中で転がしてみる。

 とりあえず自分が考えられる土にまつわる事象を脳みそフル回転で考えてみた。

 だが、相手はそんな悠長に待ってくれるわけがない。


「さて、オレはケンカしようぜって言ってるのに、そんな逃げ腰じゃあ興が覚めちまうぞ? あ? トサカチキンを殺った時のようなバトルをオレともしてくれよ。なあ」

 

 なんかないか!? なんかないか!? なんかないか!?

 俺とハッターは視線を甲冑男に向けたまま言葉だけ交わす。


「土土土土………、泥泥泥泥……。泥水……、砂……。ハッター、【泥愚人オルタナティブマーダー】は土を扱うわけだよね? 砂だったり泥だったり――、ということは、もしかして土壌だったら性質を変えることはできたりする?」

 

 俺は理科の実験で地層を作った時のことを思い出す。

 堆積物の違いで種類を変えることができるはずだ。頭の中で泥や砂が渦を巻く想像をする。排水溝の詰まりがなくなって流れるイメージ――。

 この状況において、なんでこんなことが思いついたかは自分でも分からない。たぶんランナーズハイ的なやつ?


「性質変化というより、地中に含まれる物質でしたら分類したり抽出したりすることは可能ですよ? でも、疲れるからあまりオススメはしませんが……ええ」

「いまは疲れるとか言ってる場合じゃないでしょう!」

「まあそのようですね」


 ハッターが肩をすくめて首を振った。


「じゃあさ……、こういうことはできる?」


 俺はつま先立ちになってハッターに耳打ちする。


「ヨホホ! なるほど!! 出来なくはないですけど疲れますねえ。ええ、ええ! でもいまは出来ることはなんでもやってみましょう! ヒヒッ!!」

 ハッターが目を怪しく光らせると、いつものような怪しい笑顔になった。


「タイミングは俺が合図するから、ハッターは準備を進めてくれ」

「ハイハイナ」


 ハッターは針金細工のような長身を窮屈そうに折り曲げてしゃがみ込むと、地面に両手をついた。


「おい、そこのクレイジーマッドマン! 今度はなにしようとしてんだ? あ? いいぜ、お前の技、見せてみろよ」


 思いがけず甲冑男が足を止めてくれた。相当自分に自信があるのか。

 だが、あいにくはハッターから仕掛けるものではない。相手からこちらに来てくれないと成立しないのだ。

 逆に言えば、俺がハッターの準備が整うまで時間を稼ぎつつ、こちらまで引き寄せる必要があるわけで――。

 普段の俺なら絶対にやらないし、絶対に逃げているところだけど、逃げられないし、やるしかないんだよね……。

 すげー嫌だなあ……。足もめっちゃ震えてるし……。

 俺は拳を閉じたり開いたりした後、目を瞑ってひとつ深呼吸すると意を決して声を張り上げた。

 

「おいそこの甲冑の人!」

「あん?」


 案の定睨まれた。


「あッ、いや、その……、いえ……、甲冑の人っていうのは呼びにくいなあ……なんて……。せっかくバトルするならお互いに名乗らないか?」


 とりあえず分かりやすい時間稼ぎにかかる。


「なんで死んでいくやつに俺が名乗らなきゃなんねえんだ?」


 甲冑男が腕組しながらこちらを睨む。


「ひっ……!」


 眼光の鋭さにひるみそうになるがそこはグッと堪える。


「い、いや、仮にも俺はドードー伯爵を倒してるわけだし? あなたと名乗り合うにはふさわしいかなって……」

「てめえ何考えてやがる。さっきまで逃げ腰だったじゃねえか。明らかになにか企んでやがるだろ」

「い、いや! た、企みなんてそんな! 気が変わっただけです!」

 

 我ながら明らかに苦しい……。相手だって絶対に気づいているよね……。


「気が変わっただ? ……まあいい。オレは寛大だ。別に問答無用の殺戮を好んでるわけじゃねえ。相手が好意的なケンカであればそれに越したことはねえからな」


 あれ? いいの?

 この人、話し合いに応じられるタイプなの? なんか意外……。

 一番話が通じない脳筋タイプだと思ったんだけど……。

 でも、油断はできない。俺の失敗イコール、ハッターも失敗する。イコール、バットエンドだ。慎重にいかないと。


「俺は有栖川 有太朗ありすがわゆうたろう、こっちはハッターっていう」

「ほう、ユータローにハッターか。オレはノイジー、ノイジー・ビリーボーンだ」

「ノイジー……さん」


 いきなり呼び捨てにしていいかも分からないので、とりあえず敬称を付けておく。


「なんだ? お前たち、仕掛けて来ねえのか?」

「いや、いま色々考えてるんだ。もう少しだけ待ってほしい。というか、え? こちらから攻撃を仕掛けてもいいの?」

「ああ、構わねえぜ? 別に弱いものイジメしたいわけでもねえ。先制攻撃が譲ってやる」


 何がどうなってるんだ? ノイジーから殺意が感じられなくなったぞ? ラフ状態というか。なんならこちらに合わせてくれようとさえしている?

 正直、さっきまでの殺気が嘘みたいだ。そんな態度で来られると、漏らしてしまいそうな自分が恥ずかしいじゃないか。

 もっと俺が冷静でいられれば少しはまた違ったのかな……?

 ――いや、騙されてはいけない!

 なにが「先制攻撃は譲ってやる」だよ。いきなり爆撃してきたのはノイジーが先じゃないか!

 ハッターのほうを一瞥するが、まだ準備に時間がかかりそうだ。


「じ、じゃあ、こちらから行かせてもらうけど、その前に質問……いいですか?」

「あ?」


 相変わらず威圧的な返答に怯みそうになるが、恐怖心をグッと堪えて続ける。


「の、ノイジーさんはその……セブンブリッツなの?」

「そりゃあな。女王の側にいりゃあ面白そうだからそうしてるだけだ。俺は戦うことが生きがいだからな」

「へ、へえ……」


 あっさりセブンブリッツであることを認めた。薄々そうじゃないかなあと感じていたことだけにそこまで驚くことはない。というか、この状況で会話が途切れてしまうことのほうが焦る。


「そ、そうなんだ……。じゃ、じゃあさ、なんでここに俺たちがいるって分かったんだ?」

「ああ、そんなことか、女王は何でもお見通しなんだよ。自分に向けられる敵意に敏感なんだよな。オレも一回挑もうとしたが、挑む前にやられちまった。それ以来、女王には逆らわないと決めた」


 ノイジーは敗北したであろうエピソードを思い出したのか楽しそうに語っている。


「え!? 女王に歯向かおうとしたの!? セブンブリッツなのに!?」

「その頃はオレも血の気が多かったんだ。つーか、怖いもの知らずだな。だが、オレがセブンブリッツに入る前から見抜かれっちまってたんだな、女王には。当時、暴れまくってたからな。オレお尋ね者だったし」

「お尋ね者って……。そ、それで? ノイジーさんはいま、セブンブリッツでどんな役なの?」

「そりゃあもちろん一番槍だ。特攻隊なのは見たら分かんだろ。オレは戦いたくて強いヤツ探してんだ。今回だってなんか変な奴らがワンダーランド内をちょろちょろしてるっつーから見に来てやったんだよ」

「え!? お、俺たち、女王に捕捉されるほどちょろちょろしてる!?」

「さあな、何か感じ取ったんだろ。で、もう時間稼ぎは終わったか?」


 完全にバレている……。まああからさまだし、当然か……。


「ま、まあね」


 なるべく平静を装う。


「ハッターいける?」


 俺は隣で地面に手をついて俯いているハッターに声をかけた。


「フヒヒヒ……。思ったよりしんどいですね。発狂しそうですよ……、ええ、いまにも!!」


 ハッターが額に大粒の汗をかきながらこちらを見上げた顔は完全に目がイッてしまっていた。


「ユウタロウ……もうそろそろ暴発しそうです……ハハハ!」

「よし、じゃあ最後に無理言っていい?」

「フヒ?」

「ノイジー目掛けてありったけの泥弾丸打ち込んで!」


「お?」


 ノイジーがなにかを察したのか腕組みを解いて構える。


「フハハハハハハアアアアアァァァァ!! ユウタロウのヴァカアアアアアアアァァァ!!」


 ハッターの叫びに呼応するように地面から無数の泥が弾丸となって飛び出し、ノイジー目掛けて飛んでいく。

 力の限り放たれた弾丸の雨を目にし、俺は拳を強く握る。


 ここしかない――。ハッターもあんなだし、もう俺がいくしかないんだよね? これ逃したらたぶんもうチャンスはないんだよね?

 必死で自分を説得する。

 

 ――でも、もし失敗したら……。


 ノイジーの威圧を前に、自分がボコボコにされてしまう姿が頭をよぎる――。

 会話で少しだけ和らいでいたはずの恐怖が再び訪れ、足がカタカタと震え始めた。

 人間、どんなに場数を踏んでも、どんなに理屈をこねくり回しても、自分が恐れる相手を前にして、そんな簡単に恐怖を克服することはできないのだ……。


 いや、マイナスイメージは良くない。

 少なくとも、ドードー伯爵やガーディアンとの闘いで少しは勇気が身に付いているはずだ。

 走馬灯のように刹那の思考で色々よぎった――。 

 

 ボブの顔、鍵山さんの顔、リッキーの顔、そしてハッターの顔。

 父さん、母さん、姉ちゃん――。

 やるしかない。

 やるしかないんだ!

 

 地面から発射される弾丸に続いて、俺はスタートダッシュよろしく、地面を強く蹴って駆け出す。ノイジーへと一直線に。


「なんだこの泥団子は?」


 自分に飛んでくる最初の泥弾丸をノイジーは片手で弾くと、追随するほかの弾丸も反対の手や足を使って簡単に弾いていく。

 ハッターの泥弾丸はやまない雨のようにノイジーへと飛んでいき、ノイジーは泥だらけになっていった。


「チッ、鬱陶しいな……」


 ノイジーはまとわりつく泥を払いのける。


 いまだ――!

 俺は弾丸の雨に隠れてながら両足で地面を蹴って――。


「うおおおおおおおおおおお!!」


 ノイジーに向かってドロップキックをかました。


「うおッ!?」

 

 弾丸に合わせて俺が飛んできたので、驚いたのか、両腕を顔の前で盾にして咄嗟にガードした。

 俺は器用にノイジーの腕を蹴って後ろに跳び退る。あれ? 俺ってこんなに身体能力高かったっけ!?

 自分の行動に自分で驚いた。


「ははは、勇ましいなあ! その気概嫌いじゃねえぜ! 諦めのひと蹴りか、はたまた起死回生の一脚か、どちらにしろオレに敵意を向けたお前はもう死ぬしかねえぜ!?」

 

 ノイジーは泥を払いのけ、一度屈伸をすると、数歩後ろに下がり、助走をつけて跳躍した。

 いや、跳躍じゃなくてそれ飛んでない!? 跳躍が高すぎるせいか、太陽と重なって眩しいんですけど!


「次は俺の蹴りを食らえや!」


 片足は曲げて、もう片方の足を突き出し、まるでライダーキックのように空中で加速してこちらに迫ってくる。


 えッ!? 空気との摩擦で足から若干火出てない、それ!?


 俺はハッターより数メートル前に立ち、腰のあたりで右の拳を握る。

 左手を添えて、まるでじゃんけんを繰り出すポーズだ。

 

 腰を落として息を吐く。相変わらず足はガクガク。

 ハッターの方を一瞥する。

 なんとも気持ちの悪い笑顔で汗が顔面から噴き出していた。

 ……もう本当に限界なんだな。


「いくぞノイジー! !!」


 俺はハッターの技名を叫んで勢いよく天拳を突き出した。


「俺の蹴りに拳で対抗しようってか! 良い度胸だ!!」


 ノイジーの蹴りが迫る。めちゃめちゃ怖いけど、ギリギリまで引き付ける。肉薄寸前まで引き付けないと意味がない。でも正直、もう足が逃げそう……。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 俺は気合で足が逃げそうなのを堪える。姿勢を中腰に保つ。


「だあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 俺の叫びに呼応したかのようにノイジーも叫ぶ。


 やばいやばいやばいやばい! 逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい!

 でもダメだ。もっと頑張れ俺!

 ここ頑張ったら、もしかしたら大丈夫になるかもしれない!!


 あわや激突――! というところで、俺は両足にありったけの力を込めて後ろに跳んだ。


 ものすごい轟音と地響きが鳴り、俺が先ほどまで立っていた位置にはクレーターが出来ていた。

 ノイジーが初手で披露したものよりは若干小さいが、食らったときの衝撃がどれほどのものかは一目瞭然だ。


「ハッターああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 俺は力の限り叫んだ。


「イハハハハハハ! 待ちくたびれましたよユウタロウ! 【泥愚人オルタナティブマーダー】アアアアアアアァァァァァハハハハハハ!!」

 

 ハッターも限界突破まで溜めた渾身の一撃を繰り出す。


 ズザザザザザザザと音が鳴り始め、先ほどまで俺のいた場所――、ノイジーが着弾したクレーターが動き出す。


「なんだ!?」

 

 ノイジーはまだ膝立ちの状態だ。何が起こったのかまだ理解できないだろう。

 クレーターの土が一気に中心へ流れ始めた。

 

「うお!?」


 着弾点のノイジーを中心にが起こっているので、慌てて跳び退こうとするも、すでに片足が取られて思うように上がることができない。

 流砂――、つまり、ハッターは土を砂に分解して、俗にいう蟻地獄を出現させたのだ。


「やりやがったな!!」

 

 ノイジーは必死に抜け出そうとするが、進むことさえ困難そうだ。


「う、上手くいったよハッター!」


 俺は思わずハッターに駆け寄る。というか、あの場所から早く距離を取りたかった。怖すぎだもん。


「ユウタロウ、油断はダメです! わ、私も気を抜くと、技が解除されちゃう!! ……ヒヒヒ!!」


 ハッターの【泥愚人オルタナティブマーダー】は土を自在に操れる。

 ということは、なにも地上に土人形を生成したり、土で弾丸を作って飛ばすだけでなく、を操れるはずだ。

 つまり、理屈上は、流砂や底なし沼だって作り出せる。

 一か八かだったけど、ハッターが出来るといった以上、俺はそれに賭けた。もちろん、結果は成功だ。


「もしかしてハッター、こういった技、使ったことある?」

「はて、あったような、まだないような……よく覚えてませんねえ……フフフ」

「覚えてないってそんなことある?」

「もしかしたら夢の中で使ったことあるかも」

「なんだそりゃあ」

 

 そうこうしているうちに、ノイジーは体力的にもキツそうだ。なにせ身体がすっぽり収まるほどのクレーターサイズはある蟻地獄に囚われているのだ。相当な負荷がかかっているはずだ。


「おい! ハァ……ハァ、またハッタリかましやがったなクソ野郎!! ハァ、ハァ……、お前は卑怯な奴だ!! 二度も騙しやがって!! オレは正々堂々逃げも隠れもしなかった! お前みたいなやつは殺すだけじゃあ済まさねえ!! 骨一本残らずオレが食らい尽くしてやる!! 髑髏しゃれこうべさえ生ぬりい!!」


 ノイジーは視線で人を殺せそうなほどの眼力をこちらに向けたまま、すでに上半身まで埋まっていた。


「わ、悪いけど、頭脳プレーって言ってほしいな」

 

 眼力に怯みそうになったが、ここまできたら精一杯の虚勢を張る。ん? これ完全にフラグみたいじゃん?


「ハァ、ハァ……ユータロー……名前、覚えたからな……。ハァ、ハァ……。この後、地獄から脱出して、すぐに殺してやるから覚悟しろ!! チクショオオオォォォォォォォォッ!!」


 ノイジーは這う力も次第に弱まっていき、遂に蟻地獄に飲み込まれていった。

 頭が飲み込まれる瞬間、視線が合ってしまい、夢に出てきて殺されそうなほど鋭い眼力を食らった……。


「お、終わった……?」

 

 俺はその場にへたり込む。


「そ、そのようですね……、ハァ……ハァ、もう、いいですか……? フヒヒヒ……」

 

 ハッターの頭がゆらゆらしている。本当に限界なのだろう。


「念のため、流砂を元に戻して土も埋めてほしい……」

「無茶なことを言う……フフフ! ハァ、ハァ……、物質を変化させるのは簡単ではないのですよ!?」

「ごめん、でも念には念を入れたいんだ……」

「仕方ないですね……」


 蟻地獄のような流砂が流れを止め、周りの土が流砂に流れ込んでいき、あっという間にもとの地面に戻っていった。これ、結構恐ろしい技だな……。【泥愚人オルタナティブマーダー】はリッキーのサポートなしでも、十分戦えるものなんじゃないか……。


 穴を埋め終わると、ハッターも仰向けに倒れ込んだ。


「フヒヒ……、さすがにキツいですね……。でも、ユウタロウの作戦勝ちです……ホホ!!」


 俺はへたり込み、ハッターは仰向けに転がり、静寂が訪れる――。

 

 そこで初めて周りを見る余裕が生まれた。

 半壊した家の方を見る。

 そういえば、鍵山さんは大丈夫だろうか? ボブは大丈夫だろうか?

 自分のことでいっぱいいっぱいで二人の安否を考える余裕が全然なかった……。 

 たぶん、ふたりとも1階にいたはずだから、そこまで影響は受けていないはず……。見に行きたいのはやまやまだけど、アドレナリン全開だったのか、緊張の糸が切れたのか、手足に力が入らない。立ち上がることさえできない。ハッターの横で俺も仰向けに倒れ込んだ。

 

 鳥のさえずりさえ聞こえてきそうだ。空は青い――。

 このまま眠ってしまいたいぐらいだ。

 

 そんな平和な願いは一瞬の夢――。

 先ほどハッターが埋めた土の辺りで不気味な地鳴りが起こる。

 

「今度はなになに!?」

「マサカですか!?」

 俺とハッターは首だけ動かして目を合わせる。


 直後――。


「クソがあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 【忘却ノ鎧テイルカットアーマー】アアアアアアアァァァァァァァァァ!!」


 先ほど流砂でノイジーを埋めたあたりの地中から怒号が響くと、内側から爆発があったかのように地面が爆散し、何かが勢いよく飛び出した。


「なッ!?」

「フヒッ!?」

 

 俺とハッターは同時に上空へと目を向ける。

 先ほど勢いよく飛び出した何かは文字通り、ノイジーが空に飛び上がったものだった。

 その背中に翼のようなものを携えて、羽ばたいていた――。


「なんだあれ!?」

「飛んでますねえ、ええ、ええ、デュフフ!!」

「どうなってんだよ一体!?」

「どうなってるんでしょうねえ、一体……ハハハァ」


 俺は呆然と空を見上げた。


「ははは……、あんなの、いまの俺たちじゃあ無理だよ……。そもそも俺の相棒はボブだし……」

 

 せめてボブがいれば……。時間操作が出来たら……。

 力なく笑うしかなかった。


「ホホホ、これは困りましたな! 私は土を媒介にして戦えますが、上空からの攻撃ぐらいは防げないでしょうか?」


 そう言って足元の土をボコボコと盛り上げている。


「いや、あの隕石みたいな攻撃見たでしょう!? あんなの防げっこないよ!! いよいよ終わりだよ!!」

 

 ただただ、二人して空を仰いでいる。


 「死ねやボケエエエエエエエエエェェェェ!!」


 上空でノイジーの咆哮が轟くと同時に、無数の何かが降ってきた。


 終わった……。

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