昨日の敵は今日の友

 ボブを抱えた俺は慌てて家の中に駆け込む。鍵山さんがソファで眠っていたので叩き起こした。

「鍵山さん! 起きて! そこどいて! ボブが怪我してるんだ!!」


 俺の声で鍵山さんは飛び起きた。なんでこんな時に居眠りなんかしてんだよ……。ひとの気も知らないで……。


 試されていたとはいえ、ボコボコにされた俺たちは、ひとまずリッキーたちの家で治療を受けていた。

 俺自体は体力面での消耗以外は、かすり傷程度で済んでいたため、約束通りハッターの淹れたオレンジペコをちびちび嗜んでいた。相変わらず味なんて分からない。オレンジの味がするのかと思ったら、そもそもオレンジペコというのは銘柄ではなく、グレードのことなんだとか……。また感想を求められたらとまずいと思って、鍵山さんに聞いたら普通に知っていた。なんでそんなに詳しいの? だって知るわけないじゃん庶民だもん。俺が普段飲んでるのコーラとかばっかよ?

 鍵山さんによると、いま飲んでいるのはセイロンティーというものらしい。

 いやだから分からんて……。


 そんなことより重症なのはボブのほうだ。

 文字通り、完膚なきまでにリッキーの手で叩きのめされてしまい、今はソファーで眠っている。というか、気を失っている。


「まあ、ちいとばかしやり過ぎちまったなあ」

 リッキーが行儀悪くダイニングテーブルに足を乗せて椅子をカタカタ揺らしている。


「こらこらリッキーィィィィ? お客さまが紅茶を楽しんでいるのにそんな足を乗せないで。フフッ!」

 ハッターは相変わらず挙動不審な物言いだ。


「そうよリッキーさん、ここは私の家じゃないけれど、足をテーブルの上に置くのは良くないわ。まるでボブさんみたいよ?」

 鍵山さんが委員長を発揮する。


「なんだよ揃いもそろってうるせーなあ。ここは俺んちなんだから、俺がどこに足を置こうが勝手だろうよ。まあ、ここは嬢ちゃんに免じて引き下がってやるけどよ……今度ボブと同じなんて言ったそん時は容赦しねえぜ?」

 癇に障ったのか、リッキーが鍵山さんをジロリと一瞥したのち、足を下ろして大股開きに浅く腰掛け直した。

 身体が大きいだけあって、威圧感半端ないッス……。


「……で、ボブはその……、大丈夫なの?」

 俺は委縮してリッキーに尋ねた。


「ただの掌底を何発か食らわせただけだから大したことねえよ。じきに目が覚めるだろ」「いやいやいやいやヤヤヤ! リッキーの掌底は平手打ちや突っ張りとはわけが違いますよ! あれは重い重い! 顔面に食らえば頭ごと飛んでいってしまうかと思うほどですよ! ええ! ええ!!」

 ハッターが自分の頭を掴んで左右に振っている。


「ボブが回復するまでどのくらいかかりそうですか?」

「さっきも言ったが、ただの掌底を何発か食らわせただけだから、少し寝てりゃあすぐ回復すんだろ。こいつは結構タフなやつだと思うぜ?」


 俺はソファーのボブを見る。顔がパンパンに腫れていて、どう頑張っても少し寝ただけでは回復は難しいだろう……。


「この先どうしたら良いんだ……」

 思わず口から漏れてしまった。


「ごめんね、私がまた何の役にも立てなかったから……」

「いやいや、鍵山さんが謝ることじゃないよ。だって鍵山さんは能力がないんだから……」

 自分で言ってハッとした。


「いや、その、そういう意味じゃなくて……」

「いいのよむしろ正しいわ。有栖川くんが謝る必要なんてないの。私が能力を持ってないのがいけないのよ」

 ティーカップを遊ばせる手に目線を落としながら、鍵山さんはどこか悲観的にそう言った。


「亜莉子さん、そんな悲観的になることはないのですよヨヨヨ。私だって、リッキーがいなければ、せいぜいただの土人形を生成できるだけですから。ええ、ええ。見ましたでしょう? 私のノロノロ土人形。フフフ!」

 ハッターが肩をすくめる。


「でも、私はそんな土人形さえ作れないただの凡人よ。有栖川くんだって頑張っているのに。私悔しい……」

「鍵山さん……」

 悔しいが俺から声をかけることができなかった。


「嬢ちゃん、能力がないことを何そんなに悔しがってんだ? 別に能力がないことは特別なことじゃねえし、むしろ普通なことだ。だから気にする必要なんかまったくねえぞ? それに、嬢ちゃんは気づいてねえかもしれねえが、俺の見立てではそのうち開花するから心配いらねえよ」

 リッキーがポケットに両手を突っ込んでそう言った。


「リッキーさん、開花って何を根拠に? 気休めにもならないわ」

「そう言うなって。俺たちがいったい何年ここで過ごしてると思ってんだ? こちとら修羅場も数え切れねえほど潜って来てんだ。能力の開花や昇華だって幾度となく見て来た。だからそんなに陰気になる必要なんかねえってことだ。俺が言ってんだ信じろって」

「い、いや、ボブをボコボコにしたあなたの言うことを誰が信じろって?」

 俺史上でも精一杯の抵抗を試みる。


「あ?」

 リッキーに睨まれた。


「い、いえ……」

 完全に委縮してしまう。


「ボブをのしたのと、俺の言うことはカンケーねえだろうよ。なあ兄ちゃん、俺のことを信用するもしないも勝手だが、ここへ来たのはボブの提案だろう? お前さんたちはそれに乗ったわけだ。だから今この場でこの話を聞いてどうするかはお前さんたち次第だ。先に進むもよし、ボブをこのまま置いて帰るもよし。嬢ちゃんの能力開花もまだだし、兄ちゃんの能力もボブなしじゃあ今のところ使えねえみたいだしな」


 痛いところ突かれた。俺は思わず俯いてしまう。


「帰るなんて冗談じゃないわ! 有栖川くんとボブさんとも約束したもの! リッキーさんが私の能力がそのうち開花するっていうなら信じるわ。ボブさんが協力者だって紹介してくれた人たちだもの。ちーちゃんをもう少し探してみるわ。気休めでも元気づけてくれてありがとう」

 鍵山さんは前向きだなあ……。


「いや、別に気休めでもなんでもねえよ。事実を言ったまでだ」

 リッキーが肩をすくめる。


「とはいっても、このままボブさんをここに置いてはいけないわ。療養が必要よね?」

「こいつの家は知らねえのか?」

「いえ?」

 俺は別に否定したわけじゃない。ただ、家があるなんて聞いたことがなかった。


「家なんてあるの? 聞いたことないけど……」

「ワンダーランドの住人なら、増してあのなりで流浪人ってこたあねえだろさすがに。家ぐらい持ってるさ。それに、ここよりは幾分か落ち着いて静養できんだろ」

「でも、家があるなんて俺たち聞いたことなくて……」

「なんだ、あいつ家教えてねえのか。なんで先に俺たちの家を教えてんだよ」

「リッキーさんはご存じなの?」

 鍵山さんが尋ねる。


「ハッターのやつが知ってるよ」

 顎だけでハッターを指した。


「ホヨヨ?」

 途中から話を聞いていなかったのか、ハッターは乾燥されたいくつかの茶葉を缶に仕分けている。


「つーわけでハッター、兄ちゃん嬢ちゃんたちをボブの家まで案内してくれや」

「それぐらいお安い御用! ええ、ええ!! では、さっそく旅支度をしましょうね! イヒヒ!!」


 俺たちは、ボコボコにされた相手に、ボブの家まで案内されることとなった――。

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