有栖川 VS ハッター
何度目か分からないガーディアンのタックルを躱すと、足が意志とは相反してもつれる。俺は派手にズッコけた。
慌てて上体を起こしつつ振り返ると、ガーディアンは既にUターンしてこちらに向かっていた。
あの、もう本当に限界なんだけど……!
俺の短い人生でこれほどまでに本気の鬼ごっこなんかしたことがない。心臓が破れてしまいそうだ。リレーやマラソンだってこんなに喉がカラカラになってまで走り続けたことなんかない。
もちろん、すでに体力を消耗している状況じゃあ【
いや、正確に言えばどんな状況においても、ボブがいないと発動できないのだ。
どういうカラクリかは分からないが、ボブと目を合わすことで能力が発動する。
停止世界なんてチート級に近い能力だ。発動条件に制約があっても不思議ではないのかもしれない……。
でも、副作用だってあるじゃん! コスパ悪くない!? 必要なのってこういうタイミングじゃないの!?
無情にもガーディアンは目と鼻の先まで迫っている。
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁ! 来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るなあああああぁぁぁぁ!!」
俺はあえて声に出すことで身体を奮い立たせ立ち上がる。足腰に力を込めて飛び込む準備だけする。幸いにも、ガーディアンは突っ込むか殴りかかるかの単調な動きしかしてこない。
……いや、それだけでも充分やっかいなんだけど。なんせ硬いから当たっただけで痛いし、完全に交通事故だからね?
なんとか肩で大きく息をしながら呼吸を整える。
一応、心の準備はできた……と思う。
ガーディアンは両手を組んで高く持ち上げると、重力に任せて振り下ろしてくる。
この技も何度か見ているので躱すことはできる。躱すことは別にできるのだ……。むしろ、ガーディアンのほうへ飛び込んでいけば自然に足の間を抜けて躱せる。
でも、もう限界よ!? これ以上、避け続けられないよ!?
「だあああぁぁぁもうッ!!」
勢いよく駆け出してヘッドスライディングを決める。
「いったいボブは何をやってるんだよ!?」
さきほど視界の端で捉えたボブとリッキーのほうを見やる。
まるでボロ雑巾のようにボブが地面にうつ伏せで転がっていた――。
「ボブッ!?」
声をかけても反応がない。
「おいボブ!! ボブったら!!」
反応はない……。隣で一服しているリッキーが舌を出しながら自身の首の前で親指を立てて線を引いた。
「お、終わった……」
僅かに残っていた気力も、ボブの敗北を目の当たりにしたことで雲散霧消してしまった俺は、膝から崩れ落ちる。
ボブが負けたんじゃあ、あのガーディアンを止められる者はもうここにはいない……。
ダメだ。もう避けられるだけの力が残っていない。
一度抜けてしまった力はそう簡単に戻りそうにない。もう先ほどのように足は動いてくれないだろう。
顔を上げると、ガーディアンが振り下ろした腕を持ち上げて振り返るところだった。
ああ……、俺はここで虫みたいに潰されて終わるんだ……。
ドードー伯爵との闘いで何を学んだというのだ。
所詮、俺はただの人間だ。あんな岩石の塊のような巨体をどうやって倒せっていうのだ。
ドードー伯爵の時より無理ゲーじゃねこれ?
なぜかふとエレベーターでのボブと鍵山さんとの会話が脳裏に浮かぶ。
《教養なんてそんなもん犬に食わせとけ》
あの時のボブの顔を忘れない。
濁った赤い目だけど、俺をまっすぐ捉えてくれていた。俺を相棒に選んでくれた。
今回だって見捨てないで、あんな潰れたあんぱんみたいな顔のボロ雑巾になってまでリッキーを止めようと闘ってくれた。
ここでいま俺が動かないで誰がやるっていうんだ。
もちろん、鍵山さんがちーちゃんを見つけて解決してくれるかもしれない。でも、それは今ではないことは確かだ。
そういえば、鍵山さんはちゃんと避難したかな?
顔を上げて辺りを見回すと、鍵山さんの姿がないのでたぶん家の中に避難したんだと思う。良かった。
俺は自分の顔を両手で一度パンッと叩くと、膝に力を入れて立ち上がる。
正面にはガーディアンが右肩を前にタックルをする体制に入っている。
俺も両指を地面に付き、左足の膝を立てて右足は後ろに伸ばすとクラウチングスタートの姿勢を取る。
ガーディアンが動き出すと同時に俺も駆け出した。せめて、正面から突っ込んでどうにかなれば儲けもんだ。
というか、あんな巨体、避ける以外には方法を思い浮かばなかったので、打開策としてはもう正面から突っ込むしかないのだ。
やぶれかぶれというより自殺行為以外のなにものでもないわけだが、何もしないよりは状況の打破としては十分だ。
正面衝突による交通事故上等。
ここはワンダーランドだ。もしかしたら何か奇跡が起きるのではないか……。
――と、信仰心のかけらもないくせに、こんな時だけ都合の良い神にすがるしか手はない。
ガーディアンの無骨な質感が見て取れるほどに接近し、そのまま衝突――とはいかず、あわやというところで俺は横跳びする。横跳びした数メートル先には奇抜で針金細工のようなハッターがこちらを見てギョッとしている表情が伺えた。
「エエッ!? オホッ! ワワワワ、ワタシィィィィ!?」
ハッターを止めれば、ガーディアンも止まると踏んで、俺は主を直接狙うことにした。というか、なんで今まで気づかなかったんだ。
俺の咄嗟の行動に慌てふためくハッターはキョロキョロオロオロとしているだけだ。
顔面を捉えられる距離まで詰めた俺は拳を強く握りハッターに躍りかかった。
「残念。ヒヒ!」
ハッターが満面の笑みを浮かべ、目の前で両手をパンッ! と叩く。
瞬間、目の前にガーディアンが出現した。
「えっ?」
一度ついた勢いは止まらない。しかも躍りかかってしまっているのだ。
思考停止――。
というか、耳鳴りがすごい。心音も聞こえてくる。世界がスローだ。でも、【
これ、思いがけずに死んでしまう時とかで直前に見るって光景? 走馬灯じゃなくて?
俺は咄嗟に手をクロスして顔を守る。殺せない勢いはどうにもならないので、そのままガーディアンの胸めがけて突っ込んだ。
ガーディアンの肌……というか、表面に触れる感覚があった。
チリチリと擦れる皮膚と次第に身体全体が岩石にめり込んでいくような感覚がなんだか不思議だ。
前にドードー伯爵に突進された時とは違う。あれは、本当に車に撥ねられたかのように吹き飛ばされた。今回は岩にめり込むというか、巨体にぶつかった時って、撥ね飛ばされるんじゃなくて、むしろこびりついてしまうのかな? 虫を潰した時みたいに?
怖くて目を開けられないし、相変わらず手はクロスしたままだけど、身体にのしかかる重みを一身に受ける。
ん? 岩石にぶつかった割には痛くないぞ?
重みは一瞬で過ぎ去り、むしろ地面に転がった。目を開けてないからたぶんだけど……。
いま、自分の身体がどうなっているのか怖くてさらに強く瞼を閉じるが、たぶん地面に転がっている……と思う。
恐るおそる瞼を開ける。光が差し込んでくる。光? 神様が迎えにきた?
目を開くと、どうやら俺は土に埋もれながら地面に横たわっているらしい。
俺、生きてる……?
全然理解が追い付かないので、埋もれている腕を持ち上げてみる。
なるほど。さきほど一瞬感じた重みに似ている。
振り返ると、もろもろと崩れ始めているガーディアンがかろうじて立っていた。お腹の辺りに大きな穴が開いている。
「どういうこと?」
俺はガーディアンを避けてハッターに向かった。
捉えたと思ったら、目の前でガーディアンを召喚されて俺はそれに勢いよく衝突してしまった……のでは?
「はッ? なにこれ?」
「アハハハ! 今日のところはゲームオーバーといったところですかねえ。ええ、ええ!!」
身体が半分ほど土に埋もれたままの俺に聞き覚えのある声が近づいて来る。
「滑稽な姿ですねえ。ええ、でもあなたは頑張りました。勇気を見せてくれました。だから私は認めましょう。イヒヒ!!」
ハッターがシルクハットを指で器用にくるくる回しながらもう片方の手でこちらに手を差し伸べている。
一体どうなっているんだ?
「さあ、私の手を取って少年! 今日はあなたの勇気を称えてオレンジペコでも淹れて差し上げましょう!」
俺はその手を取るかどうか躊躇した。
ハッターの手を眺めて、それからボブの方を見る。
ボブはすでにリッキーの肩に担がれてこちらに向かっていた。
何が起こっているのかさっぱり分からない。
さっきまでお互いに敵対していたのに、ボブが敗北し、俺がガーディアンから避けるのをやめて突っ込んだ瞬間にあっさり闘いは終わってしまった。
いったいどういうことなのだ。これじゃあボブはやられ損じゃないか。俺が最初からガーディアンに立ち向かっていればこんなことにはならなかったってことか……。
くそッ……。
もう一度ハッターから伸ばされた手を見て、ボブを見て、それから空を仰いだ。
青い、とても穏やかな空だ――。
ハッターの手を取ると勢いよく引っ張られて土から救出される。
いまの俺たちでは勝てない。完全に遊ばれたんだ。
圧倒的な敗北だ。
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