ボブ VS リッキー

「チッ!」


 ボブは隠す気もないほどに大きな舌打ちをした。

「なんて技の出し方しやがるんだ。よりにもよってヒップホップだと? ふざけやがって……ハァハァ」


 リッキーが高速でライムをカマしている。


「ハァ……うぜえ……うぜえうぜえ……」


 悪態つきながら二足歩行で突っ走るボブは傍から見れば滑稽だ。ウサギというのは前足と後ろ足を交互に、そして揃えて地面を蹴って跳ねるように進むのが一般的である。四足歩行の動物は本来、前足と後ろ足を交互に出すわけだが、跳躍することで爆発的な推進力を生む。そう、『脱兎の如く』とはまさに凄まじい速さで動く際に使われるほどウサギの移動速度は速いのだ。


 では、なぜボブは四足歩行ではなく二足歩行なのか?

 それは彼が限りなく人間と同じ行動をすることに由来する。

 では、いつから二足歩行になったのか、なぜ人間と同じような行動をするのか。

 それは過去に縁がありそうだが、今ここで探求してもさほど意味はない。

 ただ言えるのは、ボブは二足歩行ゆえにそこまで足が速くない――。

 やっとの思いでリッキーまでたどり着いた時には肩で大きく息をしていた。


「ハァ……ハァ……ちょ、ちょっと待て……」

 両膝に手をつき息を整える。

「ちくしょう……、ハァ……ハァ……」


 その様子を1.5倍サイズのリッキーが上から見下ろしている。

「お前、体力ねえなあ。ハッパばっかやってっからじゃねえのか? 膝が震えてるじゃねえか。禁断症状出てんじゃねえのか?」


「うるせえ……ハァ……ハッパは別に悪いもんじゃねえ……つーか、こちとらもう息は整ってんだ」

 息と態勢を整えると、ボブはポケットからメリケンサックを取り出し右拳に装着する。


「ほう」

 リッキーの左眉が吊り上がる。


「これは食らったら痛てえぞ?」

「そうだろうな」

「覚悟はいいか?」

「いつでも」

 

 リッキーは手のひらを上に向け、人差し指を曲げてボブを挑発する。


「チッ! 強者気取ってられんのもいまのうちだ!!」

 ボブは助走から両足で地面を蹴ると本来のウサギの動きである軽やかな跳躍を披露する。器用に空中で振りかぶってリッキーの顔面めがけてメリケンサックを叩き込んだ。


 ――が、虚しくも拳は空を切る。


 大柄な体躯からは想像できない俊敏な動きでリッキーはしゃがみこんで拳を躱すと、そのまま戻る勢いを利用して空振りしているボブにタックルを決めた。


「ガハッ……!?」


 巨体に弾かれたボブは態勢を整えられず背中から地面に落下する。


「そんな簡単に食らうかボケが。お前と俺では踏んできた場数が違うんだ。ほら立てよ若造」


 器用に跳ね起きるとボブは血の混じった唾を吐き捨てる。どうやらタックルの衝撃で口の中を切ったらしい。


「クソが……。思ったより速え動きするじゃねえか」

「お前が遅えだけだ」

「見た目に油断しただけだ。次は確実に打ち込む」

「来いよ」


 リッキーは再度、人差し指を曲げてボブを挑発する。


 ボブは三段跳びの要領でステップを踏んで跳び上がると、身体を捻って横回転し、ジャングルブーツの踵を再度リッキーの顔面に打ち込む。


 ――またも、器用に上体を逸らしギリギリのところで躱された。逸らした状態から伸びた左腕がボブの足首を捉えると、そのまま回転力を利用してぶん回し、リッキーは放り投げた。

 ボブは空中で態勢をなんとか整え着地するが、遠心力で飛ばされた勢いは軽い身体ではそう簡単に殺すことが出来ず、両手を使ってようやく停止する。


「今のはなかなかいい蹴りだったぞ」

「動けるデブほど厄介なもんはねえな……」

「だからお前が遅えだけだっての」

「黙れクソが……」


 悪態つきながらボブは顔前で両拳を構えた。軽くステップを踏んでジャブとストレートを交互に繰り出す動作を数回見せたのち、一直線にリッキーへ向かって駆け出す。

 肉薄すると同時に右ストレートが繰り出されるが、拳は軽く掌底打ちで否される。しかし今度はボブが弾かれた右腕の反動を利用して左フックをリッキーの脇腹に叩き込んだ。


「フンッ……!」


 板か何かを殴ったかのようにボブの拳がバチンと弾かれる。


「ハア!?」


 確かにボブのフックはリッキーの脇腹を捉えていた。メリケンサックを装着した状態の拳は、確かに肉体を痛めつけるだけの威力を有していた。だが、傷を付けることは愚か、逆に弾かれてしまったのだ。


 それでも止まるわけにはいかない。振りかぶって一発。


 やはりバチンと弾かれた。


「どうなってんだよ!」

「好きなだけ殴っていいぜ?」

「バカにしてんのかクソ野郎が!」

「ほらよ」


 リッキーは両手を広げ、隙だらけの胴体を晒して完全に挑発する。


「フザけやがって……!!」


 ボブは腰を落とし、体重を拳に乗せるとまるでサンドバックに拳を叩き込むようにワンツーを決める。


「ダラァッ!!」


 バチンバチンとフックもストレートも弾かれる。間髪入れずに何発も連続して繰り出す。畳みかけるようにラッシュを繰り出す。


「オラオラオラオラオラオラオラァァァ!!」


 バチン!!


 殴るたびに跳ね返される拳は遂に限界を迎え、ボブはとうとう殴るのをやめてしまう。


「どうなってやがんだ……チクショウ!!」

 そのまま膝に手を付いて息を整える。


「いまのお前じゃ俺に片膝つかせることもできねえよ。これは俺の優しさだと思って受け取れ。種明かししてやるよ」

 リッキーはフンッと涼しい顔で鼻を鳴らすと、シャツの端を捲り、モフモフであるはずの腹部をボブに見せつけた。


「おい……ハア……おいおいおい、なんだそりゃあ……」


 リッキーの腹部はモフモフの毛並みとはほど遠い、艶やかな黒で明らかにがそこにはあった。毛が、皮膚が、硬質化されていたのだ。

 まるで彫刻のような皮膚は、たとえメリケンサックであったとしても腕力では到底砕くことはできないだろう。

 確かに大柄なリッキーだが、果たしてどこにそのような硬質化できるほどの筋肉量が保有されているのか……。


「【変幻自在トランスフォーマー】を発動させている時、俺が指定する対象物すべてが性質変化している」


「性質変化だあ……!?」

 ボブはいまなお呼吸を整えながら片目を瞑る。


「俺の皮膚がいま硬質化しているのは、ハッターの【泥愚人オルタナティブマーダー】に付与しているものと同じ性質だ。対象物全体を、もしくは一部をコーティングする能力だっつたら分かりやすいか。もちろん硬質化だけじゃなく、エレメント系の性質変化は大抵できるぜ」


「チッ、んだそりゃあ……! 完全にチートじゃねえか!」


「だから言ったろ。越えて来た修羅場の数がちげえんだ。もともとあった能力をさせてんだよ」


「昇華……?」


「お前そんなことも知らねえでワンダーランドで生きて来てんのか。よっぽどのボンボンだな」


「う、うるせえ!」


 ボブは整ってきた息を吐きながら、改めて構える。


「講釈垂れて自分の能力さらけ出して随分余裕じゃねえか。俺の能力は攻撃型じゃねえのが悔やまれるが、こちとら肉弾戦で挑んでんだ。お前のその【変幻自在トランスフォーマー】とやらを俺にも付与してくれよ? フェアにいこうじゃねえか」


 ボブはそう言ってポケットから煙草を取り出し火をつけた。


「お前にはプライドってもんがねえのか……?」

「そんなものはとうの昔に犬に食わせてきた」

「ほう……」

 リッキーが眉を吊り上げる。

「確かに一方的なKO勝ちはつまんねえな。じゃあ、むしろ逆だ。俺が能力解除してやるよ。お前の全力見せてみな。そろそろここがパンチラインだろうさ」


 リッキーは三度、人差し指を曲げてボブを挑発する。


「能力解除したこと、後悔すんじゃあねえぞッ!!」

 ボブは駆け出した。先ほど同様に三段跳びで高く跳ね上がり、そのまま空中で一回転すると、リッキーの脳天めがけて踵を振り下ろす。


 頭上からの攻撃には流石のリッキーも腕をクロスしてガードを固める。


 すぐさま体勢を立て直すとボブは顔面めがけて拳を振るう。

 迫りくる拳をリッキーは掌底で払うと、逆にボブの顔面へ拳を返した。


「ぐはッ!」


 ボブの鼻から鮮血が舞う。だがお構いなしだ。再びリッキーの顔面めがけてラッシュをかける。


「ダララララララララララアアアアァァァ!!」


 叫びながら顔面がダメなら腹、腹がダメならまた顔面と、とにかく力の限り交互に拳を打ち込むボブだったが、ことごとく掌底打ちで躱され、その拳がリッキーまで届くことはなかった。

 能力など使用せずとも、現時点ではボブがリッキーに勝てる見込みは最初からほとんどありはしなったのだ。


「そろそろ潮時だな……」


 ボブの顔面へ掌底打ちがクリーンヒットする。


「ぐッ!」


 顔面を覆うほどの掌底を打ち込まれ意識が飛びそうになるが、なんとか踏ん張ることで倒れるのだけは阻止する。すでに気力で立っているようなものだ。

 そこに容赦なく掌底が叩き込まれる。


「うッ……! ぐッ……! はッ……!!」


 顔面を防御しようとする腕さえも掌底で弾かれ、その隙間を縫うように何度も顔面を殴打される。

なすがまま食らい続け、遂に膝から崩れ落ちてしまった。


「なかなか良い気概だったぜ。ただ、いまのお前ではまだ俺の膝を地面に着かせることはできねえ」


 リッキーは胸ポケットから手巻きで作ったような無骨な煙草を取り出し、匂いを嗅ぐと、火をつけてからたっぷりと時間をかけて吸い込んだ。


「今日はフロウが甘かったな……」


 吐き出された煙が風に煽られるように、ボブはそのままうつ伏せに倒れ込んだ――。

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