ブチギレハッター
ソファから身を起こした大柄な黒ウサギはあくびをひとつ大きくすると、のそりと立ちあがった。ワイドサイズなベージュのチノパンに、これまたワイドサイズなグレーのタータンチェック柄シャツを羽織っている。毛量もかなり多めだが、なにより同じウサギでも、ボブより1.5倍サイズはあろうかというほどのファットな体躯をしていた。
「よう、久しぶりだなボブ。元気にしてたか?」
ダルそうな声でボブに挨拶をすると、これまたダルそうに腹を掻いた。
「お、おう、リッキーじゃねえか。相変わらずだな……。そんなところにいたのか。全然気づかなかったぜ……」
ボブが緊張気味に声を発している。なんだ……?
「おいおい、そんな固くなるなって、もっと肩の力抜けよブラザー。つーか、ハッターがすげえ形相なんだが、お前たち、なんかしたのか?」
リッキーと呼ばれた黒ウサギは、ボブとは違ったぎょろりとした赤目を細めて俺たち三人を見回した。
「ああ、なんだボブ、お前、新しい相棒を見つけたのか。早かったな」
俺と鍵山さんを交互に見る。
「まあな。運が良かったんだ」
ボブはリッキーの方を見ず、俺の方を見ている。なんで俺を見る?
「で、どっちがお前の相棒だ?」
顎を擦りながら近寄ってくるリッキーに、俺たちは動くことができなかった。大柄なリッキーは近づくだけで威圧感を感じる。それは大柄というだけではなく、なんというか説明できないけど、圧倒されるオーラがあった……。
「それは言えねえな兄弟」
ボブはゆっくりと煙草を取り出すと、これまたゆっくりとした動作で火をつけた。というか、あえて手が震えないようにゆっくりとした動作をしたように感じる……。それぐらいたっぷり時間がかかったように感じた。
「つれねえなあ、俺にも一本くれよ。寝起きの一服がしてえ」
「ほらよ」
ボブは虚勢を張るかのように、煙草の箱ごとリッキーに投げて寄越した。
「おっと! 相変わらず乱暴な野郎だ」
ボブから受け取った煙草に火をつけると天井に向けて煙を吐いた。狭い部屋に煙が充満する。ワンダーランドのウサギってみんな喫煙者なのか? だとしたら健康被害甚大すぎだろ……。
「で、どっちが相棒なんだ?」
リッキーはボブが流した返答に食い下がった。
「だからそんな簡単に言えねえよ。言ったら俺たちの情報をハートのお嬢に売る気だろ?」
ああなるほど。ボブの緊張というかあの反応は、どちらかというと警戒に近かったのか。
「売らねえよ、今は――な。……つーのも冗談だ。味方のうちは裏切らねえって約束しただろ?」
リッキーはフンッと笑ったと同時に、鼻から煙を吐いた。器用だなあ……。
「保証はねえんだろ? 俺は契約書にサインをした覚えもねえ」
「握手したじゃねえか」
「どこまで本気だ?」
ボブが目を細める。
「俺は本気だぜ? 久々に面白れえことが起きそうな予感なんだ」
リッキーはハッターばりに大袈裟に手を広げる。
「だから、まずはお前の相棒と遊ばせてくれよ? 実力が見てえ」
途端に声のトーンが下がり、リッキーの表情がなくなる。
「遊ぶったって何するんだよ?」
ボブが俺の方をチラッと見た瞬間、その視線をリッキーは見逃さなかった。
「ほう、そのヒョロそうな兄ちゃんが相棒か?」
顎を擦りながらリッキーが俺を見て値踏みする。
「さあな。だったら、どうするんだ?」
「ついてきな……」
リッキーは歩き出すと俺たちの脇を縫って、扉を開けるとそのまま外へ出ていく。
「どこ行くんだよ」
ボブがリッキーの後を追う。
「おい待てよ!」
俺と鍵山さんも慌ててボブに付いていく。
「あなたたち! 私を無視して置いていくなんていい度胸ですね! 潰して差し上げます! キヒヒ!!」
奇妙な笑い声をあげて後をつけてくるハッターが怖すぎて、俺は鍵山さんより少し前を歩くように早足になった。
「ちょっと有栖川くん! 私より前を歩かないでよ怖いじゃない!」
鍵山さんも俺を追い抜くように早足で進む。俺も鍵山さんもボブとほとんど並列で歩く感じだ。
「なんだ兄ちゃんたち、俺を挟んで歩くな。間違ってもキュートな俺を踏むんじゃねえぞ」
ボブが腕を伸ばして少しでも幅を取ろうとした。
「ククッ、仲のいいこったな」
前を歩くリッキーが俺たちを見て愉快そうに笑った。
そうこうしているうちに、家の横にあった庭のようなスペースのちょうど真ん中あたりでリッキーが歩みを止める。
「ハッター! これからボブたちと戯れる。あれを出してくれねえか?」
そういってリッキーが地面を指すとハッターが叫び出した。
「キヒヒヒヒヒ! 久々に我々でやるのですね! 紅茶の良さが分からない小僧には仲間を名乗る資格はないということですね!! イヒヒ! いいでしょういいでしょう! ウェヒヒ! 試して差し上げましょう! アハハハ!! この試練を乗り越えなければ、そもそも紅茶どころか仲間以前の問題ですしね!! あ、死ねって言ったわけではないですよ? アハハ!!」
さっきまで憤慨していたかと思えば、今度は笑っている……。なんとも情緒がおかしくなってしまったハッターはとにかくテンションが高くて怖い。
「いやはや、久しぶりにこれをやりますよ! ええ! ええ!! いいですか!? いいんですか!? ハハハハハ!! 私の紅茶を理解してくれていれば、最初からこんなことにはならなかったでしょうに!! ええ! ええ!! せめてリッキーの遊び相手になればいいですね! 私は紅茶の恨みを晴らすまでです!! ウェッ! ウェッ!!」
「ちょッ! 最後の奇声ですらなくね!? つーか、紅茶の件、根に持ちすぎじゃね!?」
俺たちは完全に引いていた……。
「さあさあ、とくとご覧あれ! 私の可愛いかわいいお茶会フレンズ!!」
ハッターは勢いよくしゃがみ込むと、両手を地面に着いて叫んだ。
「【
地面が揺れる。まるで震度4弱ほどの縦揺れがあった。
「なんだなんだ!? ボブ! いったいどうなってる!?」
「俺が知るかよ!」
「有栖川くん慌てないで! 地震が起こった時は慌てないことが一番!! 避難訓練で習ったでしょう!? それにここは広い場所だから大丈夫よ!!」
こういう時の鍵山さんは委員長で頼りになる。
「バカ! これは訓練なんかじゃねえよ! ハッターの攻撃だろどう考えても! 警戒しろよ!!」
むしろボブが一番焦っているかもしれない……。
ほぼ同時に、ハッターの周りから四か所の土が盛り上がったかと思うと、堰を切ったように勢いよく噴射し土柱となった。
「おいボブ! ハッターの能力ってなに!?」
「知らねえよそんなもん! おおかたさっき丘で遭遇したガーディアンあたりなんじゃねえか!?」
「ちょっと! ボブさん彼らは仲間じゃないの!? なんでハッターさんの能力知らないのよ!?」
「そんなもん仲間だったら知らなきゃいけねえのかよ!? 同じ志を持ったもん同士が邂逅した時点でもう仲間だろ!? 兄弟みたいなもんだろ!? 能力とか過去とかそんなもん気にしてねえよ!」
「なんだそりゃあ!? 全然仲間でもなんでもないだろう!? それにお前、リッキーのことめちゃめちゃ気にしてたじゃん!」
「そりゃあ気にするだろ! 協力だって裏切りだって状況次第で寝返る奴らだぞ!?」
「なんでそれを知ってて仲間だなんて言うのよ!?」
「嬢ちゃんもうるせえなあ。こちとら結構切羽詰まった状況なんだ。なりふり構ってられねえんだよ。文字通り、
俺たちは三者三様にテンパっていた――。ボブが珍しく鍵山さんに強い口調で逆ギレしているのがいい証拠だ……。
ハッターの周りの土柱が見るみるうちに形を変化させていく。
土で出来たそれはおそらく人に近い二足歩行の何かに形作られていく。さしずめ土人形といったところか……。
「んんんんんんッ! 今日はちょっと土が乾いていますが、まあ良しとしましょうか! ええ、ええ!」
四か所に現れた四体の土人形はおぼつかない足取りでウゴウゴと揺れている。
「ボブ、どうすればいい!?」
「俺も初めて遭遇するから何がどうなっているか分からねえ! とりあえず【
「分かった!」
俺たちは土人形からたっぷり五メートルほど距離を取って警戒する。
「でも有栖川くん、さっき私を助けるために【
鍵山さんに心配されるが、俺はカロリー摂取用のナッツバーがポケットに入っていることをズボンの上から確かめると、「たぶん大丈夫」とだけ答えて、土人形から目を離さない。
ハッターが俺たちを指差して土人形に命令する。
「さあ! 私の可愛いお茶会フレンズ! あの小僧たちをケチョンケチョンにしてしまいなさい!! デュフフフ!!」
俺はドードー伯爵戦での痛みが脳裏をよぎり、奥歯をぐっと噛んだ。自然と身体が強張る。
……。
…………。
………………。
「ん?」
………………………………。
「え……?」
「これはいったい……?」
「どういうことだ?」
俺たちは三様に疑問の声を上げた。
ハッターの言葉に警戒心MAXで迎え撃つつもりだったが、肩透かしを食らった。
なんと、土人形はジリジリと滲み寄るレベルのスピードでこちらに向かっていた。
……なかなか距離が詰まることはない。
「おい兄ちゃん、【
ボブが提案してくる。
「いや、様子見たほうが良くないか?」
いくら歩みが遅いからとはいえ、あの得体の知れない土人形に恐怖がないとは言い切れない。
「このままじゃあ状況は変わんねえだろ。とりあえず一発殴ってみろよ」
「嫌だよ。じゃあお前が行けよ」
「戦いは俺の専門じゃあねえ。あくまで俺は援護が役割だろ」
「お前、見かけによらず武闘派じゃないんだよな……」
「有栖川くん大丈夫? 私も決して武闘派ではないけれど、土人形に攻撃をしてみることぐらいはできるよ? あのスピードなら万が一攻撃が来ても避けられる……気がする……」
「いや、さすがに生身は危なくない!?」
なんか、このままいくと俺が行かなきゃいけない雰囲気になりそうじゃね? 痛い思いするの嫌なんだけど……。
「おい兄ちゃん、嬢ちゃんに行かせる気かよ? お前さんそれでも男かよ?」
「このご時世に男とか女とか語るなよ」
「いや、その発言ちょっと男として俺はどうかと思うぞ?」
「ボブさん、そうはいっても有栖川くんだって武装しているわけじゃないし、怖いものは怖いわよ」
「そうだぞ! 時間をほぼ停止しても殴ったら痛いし、攻撃を食らったらきっと痛い。とにかく戦うことは痛いことだぞ!?」
「そりゃあ殴れば拳は痛てえだろうさ。ウダウダ言ってねえで早くやれ」
ボブが半ば強引に視線を合わせて目を見開くと俺は赤い瞳に吸い込まれていく――。
「【
ボブが口にすると、俺の視界がドロドロに溶けていく。ぐるぐる回り始めて、世界は静寂に包まれた。
静かな世界――。隣にはボブと鍵山さん。正面にはハッターと土人形が四体。さらに遠くの方に黒ウサギのリッキーが煙草の煙を吐きながらこちらを見ている。
俺はボブに話しかける。
「とりあえず殴ってみりゃあいいんだろ?」
俺の方を見て、ボブは片方の眉を吊り上げた。“やれ”という返答らしい。俺はため息を吐くと、とりあえず土人形に突っ込んだ。
「うおりゃああああ!!」
ちょうど俺と同じぐらいの背丈なので、振りかぶって顔のようなものがある位置に殴りかかる。
ドシャッ!
文字通り、土をそのまま殴ったような感覚で全然手応えがない。
とりあえず、ボブのところまで戻る。
「殴ってみたけど手応え全然ない」
「みたいだな」
俺は拳を開いたり閉じたりして感触を確かめる。
「うーん、とりあえず【
パチンと音がして世界が本来の動きに戻る。
唯一さっきまでと違うのは、俺が殴った土人形が顔のあたりから瓦解したことだ。
「案外あっさりだな」
ボブが以外そうに目を大きく開き、鼻をフンっと鳴らす。
「あららッ!?」
ハッターは土人形が崩れたことに驚いている。何が起こったか分からない様子だ。
「あ! やったのね!」
鍵山さんも驚いている。言わずもがな、鍵山さんの目には急に土人形が崩れたように映ったからだろう。しかし、俺の能力を知っているからすぐに理解できたらしい。
「意外と脆かったな」
「今回は土だったからあんまり痛くなかったよ」
手に付いた土埃を払いながら他の三体も同様の手順で瓦解させていく。
正直、【
……いや、2000キロカロリーは十分しんどい。ナッツバーをポケットから取り出すといそいそと齧った。
「ぐぬぬぬッ!」
絵に描いたようにハッターは握り拳を顔の前でわなわなと震えさせている。
「よくもやってくれましたね! どのような仕掛けがあるか知りませんが、少々甘く見ていたようですね。お茶会フレンズはただの置物のようなものです。あっさり倒されるのも当然ですね! イヒヒ!」
「おいハッター、俺の方はいつでも準備出来てんだ。遊んでねえでさっさとやれ」
数メートル先でリッキーがダルそうに手をヒラヒラと振っている。よく見るといつの間にか彼の足元にはヒップホッパーがいかにも肩に担いでそうなラジカセデッキが置かれていた。
「ホホホ! リッキーのチューニングが完了するのを待っていたのですよ! では、これからが本番というわけですね! アフタヌーンティと洒落込みましょうか! ええ! ええ!! エエエェエエエエエ!! いきますよォォォォォォ!! おおおオオオオ【
叫ぶと同時にハッターは思い切りダンッ! と強く地面に足を振り下ろした。
膝を落とすほどに強く踏み込んだ瞬間――
ハッターの周りで土がドバッと宙を舞う。踏み込んで顔を上げたハッターの眼光はとても鋭利で、思い切り刺されたかと思うほど痛く、俺は咄嗟に腕で顔を覆ってしまった。
さっきまでとは明らかに空気が変わる。
ハッターが見えなくなってしまうほどに高く激しく舞った土は、見るみる収縮していき、ひとつの形を作った。
そう――、丘の中腹で見たガーディアンのそれだった。
「今日のアフタヌーンティは、どの紅茶が合いますかねエエエェェェェ!!」
ハッターがシルクハットの中から何かを取り出し、ガーディアンに投げ込むと、スッと土の中に吸い込まれていった。
「おいおい! なんかヤベエぞ!!」
「分かってるよそんなこと!」
「二人とも危ないわ! いったん距離を取りましょう!」
俺たちは一斉に駆け出して、ガーディアンたちから十メートルほど距離を取る。
「おいおいおいおい! 弱腰だなあ! しょうがねえ、俺のリリック聴かせてやるよ! ライムもしっかり用意してあるぜ!!」
リッキーの足元にあるデッキから身体の内側に直接響いてくるような重低音が鳴り始める。徐々に加速していくビートに合わせて、リッキーがリリックを披露する。
「カマすぜフロウ、俺のパンチラインが探せるかな? いくぜハッター!」
「いつでもどうぞ! アハハハァァァ!!」
「【
リッキーが叫んだ。
ガーディアンが光沢を帯びる。さっきまでの土人形とは全く異なる質量、硬質、重量感が宿ったような空気を感じる。まるで大型ダンプカーを目の前にしたかのような重圧だった――。
加えて、さっきまでの土人形と異なり、とても大型とは思えないスピードでこちらに突っ込んでくる。
「おいおいおい! これは流石にヤベエだろ!」
「ボブさんさっきからヤバいばっかり! この状況、どうにかできない!?」
「【
「そんなこと言ってる場合か! 兄ちゃんいいか? 俺がリッキーのあのウザってえメロディとラップを止めてくる。お前さんはとにかくガーディアンの攻撃を避け続けろ! いいな? たぶん、よく分からんが、ガーディアンの纏う空気が急に変わったのは、リッキーの能力に秘密があるはずだ」
「避けるって言ったって、どうすればいいんだよ!?」
「とにかくひたすら避け続けろ! それから嬢ちゃんはなるべく遠くへ逃げるんだ!」
「逃げるってどこへ!?」
「そうさなあ……、あいつらの家の方なら被害が及ばないはずだから家の方に避難しててくれ!」
「分かったわ!」
「おいおいおいおい! また俺がこういう役回りかよ!! っておわッ!?」
もう目の前までガーディアンが迫っていた。
俺たちは三様に散開する。
マタドールよろしく、ヒラリと、しかしギリギリのところでなんとかガーディアンを躱したわけだが、風圧だけでそれが当たった時の衝撃が容易に想像できた――。
重みを帯びた風切り音は確実に命を刈り取りに来る死神の振る鎌にさえ感じる。
ボブがなんとかするまでとにかく避け続けるしかない……。チラリと視線をボブの方に向けると、リッキーへ一直線に向かうのが見えた。
「頼むぞボブ……!」
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