紅茶の味が分かりますか?

「さあさあ、どこでも適当に座って! ハハハ!」


 大袈裟に手を広げ、シルクハット三段重ねの男に部屋の中を案内された。

 ――といっても、室内は簡素なもので、一部屋の中に、台所、食器棚、四人掛けの食事用テーブル、三人掛けソファー、一人掛けソファー一脚が詰め込まれていた。ガラクタとまでは言わないが、ティーカップやヘンテコなティーポット、何だかよく分からない小物なんかも地面に転がっている。壁にはこれまたよく分からない、赤を基調とした人物の肖像画が掛けられていた。目の部分に黒色の線が乱暴に引かれている……。

 奥に入口とは異なる扉がひとつあるが、興味本位で開けないほうがいいだろう……。


 お世辞にも綺麗とは言えない……。


 俺と鍵山さんは部屋に入ったものの、どうすれば良いのか分からず、そのまま立ち尽くしている。

 ボブがスタスタと歩いていき、食事用テーブルに備えてある椅子に腰かけた。

 

「まあ兄ちゃんたちも疲れてると思うし、こっち座って茶でもいただこうや」


 隣の椅子を手で叩いてこちらを促している。これはボブなりの気遣いかもしれない。

 俺と鍵山さんは一旦顔を見合わせると、促されるように席へ着いた。

 俺はボブの隣、テーブルを挟んで鍵山さんが俺の向かいに座る形になった。


 「では皆さん席に着いたところでお茶を準備するね! アハハ! みんな何がいい? ダージリンでいい? いいよね? っていうか、いまはそれしかないや! イヒヒ!」


 なんだか一方的にまくし立てて言い終わるや否や、トレイにティーセットをのせて運んでくる。

 俺たち三人の前にティーカップとソーサーをセットでそれぞれ並べて、冷ます意味も込めてなのか、高い位置から紅茶を注いでくれた。こう見ると高身長から繰り出される茶技はなんとも格好よく見えて、というか、背筋が伸びて緊張してしまう。いわゆる“お作法”なんか分からないから、どうして良いのか分からないのだ。


「どうぞ召し上がれ! フヒヒ!」

「じゃあ遠慮なく」


 ボブが器用にカップを持ってズズズッとすすると、フーっと一息ついた。

 それを見て俺と鍵山さんが続く。

 正直、紅茶の味なんて分からない。実際飲んでみても全然味がしない……。

 俺とは対照的に、鍵山さんは感嘆の声を上げている。


「この紅茶すごく美味しい。コクがあって芳醇な香りがまたいいアクセントね」


 そんな絵に描いたような食レポのような言葉がよく出てくるな。俺マジで全然感じないよ? 同じもの飲んでる? むしろ渋さすら感じたんだけど……。


「気に入っていただけて光栄です。ハイ、ハハハ」

 帽子男はご満悦のようでニンマリと笑みを浮かべた。怖いよその顔……。


「じゃあ、一息ついたところで自己紹介といこうか」

 ボブが煙草に火をつける。


「ちょっとボブさん! またそうやって! 人の家で勝手に煙草なんか吸ったら失礼でしょう!」

 鍵山さんが公園同様に委員長を発揮する。


「いいんですよ、この家は喫煙可ですから」

 帽子男はどうぞどうぞとボブに促した。


「え? そ、そう? 家主さんが言うなら……いいのかしら?」

 ボブの態度と帽子男の対応にどこか納得いかない様子だが、どこ吹く風でボブは紫煙している。


「あ、ちなみに私は家主ではないですよ? ヤハハ! 家主は別にいますからね。あ、申し遅れました。私、帽子屋を生業としております、ハッターと申します。どうぞ以後お見知りおきを」

 そう言って、帽子男もといハッターは仰々しくお辞儀をした。


「私は鍵山 亜莉子、こっちは有栖川君です。こちらこそよろしくお願いします、ハッターさん」

「お、お願いします……」

 俺と鍵山さんはハッターにつられてお辞儀をする。というか、鍵山さん切り替え早すぎだし……。ノーラの時といい、コミュ力高すぎ……。


「さて、アリコさんにユウタロウさん、あなた方は私をボブさんに何と紹介されました? フフフ!」

 ハッターはテーブルに肘をつき、顔の前で手を組むと、例のニンマリ顔でこちらを見る。だから怖いって……。

 俺は思わず鍵山さんの方を見てしまった。鍵山さんは自分が言わなければと思ったのか、口火を切った。


「えっと、ボブさんからは協力者を紹介するって言われたわ。あと、ここの住人は俺以上に変わったやつだからくれぐれもやらかすなよ、と……」

 鍵山さんがボブを横目で見る。


「やらかす? フフ!」

 ポーズはそのままに、首だけ動かしてボブの方を向いた。眼光が怪しく光る。怖すぎだっての!


「あー、いや、そのなんだ……」

 ボブはゆっくり一服した。


「粗相のないようにって意味だよ。別に他意はない」

 煙を細長く吐いている間も、目を細めてハッターから視線を逸らさない。

「実際ボブさんの目から見てどうです? お二人は粗相をしていますか?」

 ハッターも一切ボブから視線を逸らさない。それがなんだか不気味だった。

「俺の見た限りでは粗相はしてないだろうなあ」

 ハッターが今度は俺の方を見る。


……。

…………。

………………。


 テーブルの下で握るこぶしがじっとりと汗をかいている。ハッターから目が離せないのだ。なんだか今は目を逸らしてはいけないような気がした……。


「そういえばユウタロウさん」

 唐突に呼ばれた。


「は、はい!」

 勢い余ってしまう。


「あなた、私の紅茶の感想、そういえばまだ言ってなかったですよね?」

「へ?」

「紅茶の感想ですよ、飲んだのでしょう? ぜひお聞かせ願えますか? イヒヒ……」

 あのニンマリ笑顔だ。

 ヤバい、どうしよう……。なんと答えればいい……。正直に味なんてわかりませんと答えるべきか……。それともここは鍵山さんを習うべきか……。

 俺は、目を瞑って逡巡する。


「紅茶の味、しっかり思い出せよ……。やらかすなよ」

 ボブがボソッと何かを言った気がした。


「正直、紅茶には疎くて……。すみません、味、よく分かりませんでした……」

 俺は嘘を言ってバレた時のことを考えたら怖くなって、本音を選んだ。


……。

…………。

…………………。


 ハッターは俯いて、俺から視線を外すと肩を小刻みに震わせる。

「なん……ですと? フ……フヒ?」

「バカ! おまッ!」

 急にボブが慌てだした。なんだ? 俺、なにかやらかした……?


「おいハッター! これは違うぞ! 兄ちゃんはお前さんの眼光鋭い眼差しに気負わされただけだ!」

「味が……分からない……だと?」

 ハッターはボブのことなど聞く耳持たず、なおも俯いたままぶつぶつと言っている。


「私が淹れたこのセカンドフラッシュの味が分からない!? そんなバカなことが!? 隣のお嬢さんはしっかりと味わっていただけた様子……。なのにユウタロウときたら……、分からない!? 私の淹れた紅茶の味が分からない!? そんな人が私たちの協力者ですと!? フヒ……フヒヒ……フヒヒヒヒヒ!!」

「は、ハッターさん……?」

 鍵山さんが恐るおそる声をかけてみる。

「断じてありえません!」

 ガバっと顔を上げたハッターは、眼球が飛び出るのではないかと思うほどにひん剥かれ血走っていた。

「ノーノーノー! 断じてノーです! 私の淹れた紅茶の味が分からない奴が仲間だなんて信じられません! 誰ですかこんな奴を仲間だと言った奴は!」

 両手をワナワナと震わせ、発狂しているハッタ―を止めることはできなかった。

「お、おいハッター、まあ落ち着けって。とりあえず一杯やろうじゃあねえか、な?」

ボブがハッターをたしなめるように促すが、それは逆効果だった。

「ああ、ああ! そうだ! ボブだ! フハハハハ! お前がこいつを連れて来たんだ! 仲間だと言ってこの家に招き入れたんだ! なんたる失態! この落とし前どうつけてくれようか! フー、コフー」

 両手で顔を覆って、ハッターは荒く息を吐いている。

 俺も鍵山さんも絶句するしかなかった。なんなんだこれ……。なにがどうなっているんだ……? ボブを見れば、苦虫を噛み潰した表情を浮かべハッターを見ていることしかできなかった。


「コフー、コフー、コフー……」

 ハッターの荒い息だけが部屋に響く。

 しかし、そんな状況は意外な展開であっさり打開された。


「おいうるせーなあハッター、こっちは朝までコースだったんだ、静かに寝かせろよ……」


 三人掛けのソファから身を起こしてこちらに顔を向けたのは、大柄な黒ウサギだった――。

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