社交スキルは大切です

 風圧だけでそれが当たった時の衝撃が容易に想像できた――。

 重みを帯びた風切り音は確実に命を刈り取りに来る死神の振る鎌にさえ感じる。

 地面に倒れ込みそうになる体を右手で支えてなんとか持ちこたえると、重心は落としたままヘッドスライディングよろしく、俺は岩と岩の間へ滑り込んだ。

さっきまで自分がいた場所には地面が抉れるほどの岩がめり込んでいる。


 ……いや、こんな状況で回りくどい表現はやめよう。いちいち解説する余裕なんかない。


 単純に岩石と土で出来た――さらに言えば、それらが硬質化されたガーディアンの攻撃を俺はひたすらに避けていた。

 視界の端では、ギャングスタとでも表現すればいいのか? ワイドサイズなベージュのチノパンに、これまたワイドサイズなグレーのタータンチェック柄シャツを羽織り、ボブより1.5倍サイズはあろうかというほどのファットな体躯に毛量多めな黒ウサギが、重低音なビートに合わせて高速ラップを詠唱している。

 ボブが罵声的な感じでそれに応戦しながら、大柄な黒ウサギめがけて飛び蹴りを仕掛けている。しかし、黒ウサギは大柄な割に変則的な動きでひょいひょいと躱しながらさらにビートを刻む。

 俺はそんな光景を横目に、隕石のごとく次々と襲い掛かるガーディアンの拳を躱すので精いっぱいだった。

 そろそろ体力的に限界なんだけど……。


 遡ること1時間前―――――。


 ボブの言う通り、丘で鍵山さんを襲ったガーディアンはボブが近づいてもピクリとも動かなかった。

 あまつさえ、ボブは「ほらな☆」と気持ち悪いウインクを飛ばして、ガーディアンの足を裏拳でコツコツ叩いて見せた。


「なんでボブさんには反応しないの?」

 鍵山さんは自分が襲われたことに不満があるのか、右頬を膨らませて腕組している。


「そりゃあこのガーディアンが俺を攻撃しないようにプログラムされているからさ」

「だったら最初からそう案内しろよ! 俺も鍵山さんも危ない目にあったんだぞ!?」

 俺はボブにツバを飛ばす勢いで迫った。

「だから俺から離れるなって最初から言っただろう」

「そんなこと言ってたかしら……?」


 鍵山さんは先に進んでいたから聞こえなかったのかもしれない……。そういや、ボブがそんなことを言ってたような気がしないでもない……。


「今回は俺の忠告を聞かなかったお前さんたちが悪い」

 ボブはフンッと鼻を鳴らすと、ポケットから煙草を取り出して火をつけた。

「お前けっこうヘビースモーカーだよな」

 俺はあえてにべもない口調で言った。煙を毎回かけられる身にもなってみろ。

「まあ、これがないと情緒が保てねえからな」

 ニカッと笑って黄色い歯を見せると、案の定、俺に向かって煙を吐いてきやがった。

「ゲホッ! ゴホッ! だからそれやめろって!」

 俺は煙を手ではたきながらボブから距離をとった。

「だから兄ちゃん、俺から離れたら危ないぜ?」


 言われるや否や、俺は慌ててボブに近寄る。

 ボブはニヤニヤ笑っている。

 すげームカつく。


「ごめんなさいボブさん、私たちまだワンダーランドのこと全然知らないのに少し浮かれすぎてたわ。これからはちゃんとボブさんの言うこと聞くわね」

 そう言って鍵山さんはボブに近寄った。

 

 ボブ、鍵山さん、俺の順番で丘を越えると、地面から草木が生えた庭のような敷地に、藁ぶき屋根の家がぽつんと立っていた。


「着いたな、とりあえず入口まではしっかりついて来いよ」

 顎をしゃくって俺たちを促すと、家まで続く一本道を三人一列になり進む。

 近づくと、家はさほど大きくない代わりに、庭が結構広いことが伺えた。


 家の前まで到着すると、ボブが振り返って俺と鍵山さんを交互に見るや「いいか、ここの住人は俺以上に変わったやつだからくれぐれもやらかすなよ」

「やらかすって何を?」

 そう言いながら鍵山さんと目を合わせた時には、すでに家の扉に備え付けてあるうち、ボブの高さにある金属の輪っかをノックしていた。


……。

…………。

………………。


「ん?」


俺は首を傾げた――が、ボブはそのまま待っている。


……。

…………。

反応がない。


「なあボブ、これはいったい――」

 と言いかけたところで、ギィィィと木が軋む音とともに扉が開いた。

 ――と言っても、目の前の扉ではく、足元に見える30センチほどの小さな扉だった。そんなところに扉が! まるでトムとジェリーみたいだ。

 そんな扉からゆっくりと顔を覗かせたのは、まさにネズミだった。


「ネズミ!?」

 俺は思わず声を上げてしまう。


「びっくりしたなあ……。きゅうにおおきなこえ……あげないでよ……」

 とても驚いているとは思えないなんとも眠そうな表情だ。

「ん……? あなたたち……だあれ?」

「よッ」

 ボブは軽く右手を上げて挨拶した。


 瞼をこすると改めて俺たちの顔をまじまじと見てようやく認識したようだ。


「ぼぶ?」

 ネズミは扉からゆっくり出てくると三角帽子とフリルの寝巻という、明らかに寝起き直後の格好で、身体にくるんでいる毛布を引きずりながらボブの足元までとことこ歩いてきた。二足歩行だ。そのままボブのブーツをよじ登り、モフモフな足にすり寄った。なんとも気持ちよさそうな表情だ。

 ボブの毛並みってそんなに良いか? むしろ汚そうだけど……。

 

「ようノーラ、相変わらず眠そうだな」

 ボブはノーラという名前らしいネズミをすくい上げるとそのまま鍵山さんにほいっと手渡した。

「わわわボブさん! 私どうすればいいの!?」

 鍵山さんは慌ててノーラをボブから受け取ると、落とさないように両手で丁寧に包んだ。

「は、はじめまして、ノーラ……さん?」

 鍵山さんは顔の前まで両手を持っていき、ノーラにあいさつした。

「あなたはだあれ?」

「私は鍵山 亜莉子っていうの。ありこって呼んで、ノーラさん」

「ありこ……わたしは……ノーラ……、ノーラでいいよ」

「じゃあ遠慮なくノーラって呼ぶね! よろしくねノーラ!」

 鍵山さんはノーラに微笑みかけて、今度は俺にノーラを手渡してきた。

「はい、じゃあ次は有栖川君!」


 まさか鍵山さんまでボブの流れのままノーラを手渡してきたので、俺も慌てて受け取った。


「わわわ、ネズミを手に乗せるなんて初めてだよ」

 俺もとりあえず鍵山さんと同じように両手でノーラを包んで顔の前まで持ってきた。

「は、初めましてノーラ……、俺は、有栖川 有太朗っていいます。うーん、す、好きに読んでください……」

 俺はどぎまぎしながらノーラを見て自己紹介した。

「……ゆうたろう……、しょたいめんでわたしをよびすて……」

 眠そうだけど、かろうじて眉間に皺を寄せてムッとしたのが分かった。

「え……?」

 それを見た鍵山さんとボブが呆れたように俺を見た。

「有栖川君、初対面でいきなり呼び捨ては失礼じゃない? 相手がこう呼んでって言ったらいいと思うけど」

「そうだぞ兄ちゃん、仮にもノーラは女の子だからな」

「え、え~……」

 そんなこと言われたって分からないよそんなの……。この流れだともう呼び捨てでも大丈夫だと思うじゃん……。俺がいかに社交スキルが低いか露呈する形となってしまった。

「ゆうたろう……しつれい……、おろして……」

 早々に嫌われてしまった。なんで俺はいつもこうなんだよ……。

 慌ててノーラを地面に降ろすと「ごめんなさい」となんとも情けない声で謝罪した。

「べつに……いいよ、……怒って……ないし……」

 ノーラはそういうが、俺に対しての機嫌はあまりよろしくなさそうだ。早々に居心地がすごく悪い……。

「で……、みんなは……きょうは……なにしにきたの……?」

 眠そうな声でノーラが見上げる。

「今日は前に話した仲間を紹介しにきた。っつてもこのふたりなんだが」

 ボブが俺と鍵山さんを親指で指した。

「ああ……じゃあ……、ちょっとまってて……」

 そういってノーラはさっきの小さな扉へ戻っていった。

「ああいう時はすぐに謝って、ノーラさんとか、ちゃんと言い直せばノーラの機嫌もすぐに良くなったかもしれないのよ?」

 鍵山さんが追い打ちをかけてきた。

「うっ……、どうも俺は対人スキルが低いからああいう場面でどうすればいいか分からなくなってしまうんだ……」

「でも、これからも色々な人と会うんだから、社交スキルはちゃんと身に付けないとね」「うう……、善処します……」

 そんなやり取りをボブが呆れ混じりに横目で見ている。

「おいボブ、そんな目でこっちを見るなよ」

 俺はボブに八つ当たりした。

「八つ当たりすんな」

 普通に一蹴された。


 そんなやり取りをしていたら、今度は大きい方の――というか、普通に目の前の扉が開いて、中から男が現れた。


「やあやあボブじゃないか! 元気かい? ああ、君たちが僕たちの新しいお仲間かい? お初にお目にかかれて光栄だよ! 仲良くしようじゃないか! アハハ! さあさあ中に入ってゆっくりとお茶でもしながら話をしよう! イヒヒヒヒ!」


 俺は思わず後ずさってしまった。

 鍵山さんも硬直しているのが見て分かる。

 ボブは鼻をフンッと鳴らしている。


 果たして、中から現れたのは、身長190センチはあろうかと思われる高身長でイケメンと表現しても差し支えない、小顔で眼光が怪しく光る切れ長な目をした男だった。しかし、その男性が明らかに異常な雰囲気を醸し出しているのは、なにも気持ち悪い笑い方だけではない。

 針金細工のような細長いシルエットに、大胆なティーカップ図柄と奇抜な色合いを、三つ揃えたセットアップにこれまた冗談抜きで三段重ねられたシルクハットを被った奇天烈な装いだった。

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