ようこそ英国アンダーグラウンドへ
エレベーターが1900年代風なだけあって、降りた先はもちろん前回のような学校の教室ではなく、こじんまりとした英国にありそうな大衆酒場となっていた。
もちろん、英国の酒場なんて見たこともないんだけど……。
「こりゃあいい。一杯やってくか」
ボブは黄色い歯をニカッとむき出し煙草に火をつけた。
そのままバーカウンターまで歩いていくと軽々と乗り越え、その辺に置いてある適当なボトルを手に取って、キュポンと栓を抜くと、ロックグラスに勢いよく注いで氷も入れずにグイっと仰いだ。
「カーッ! この喉にガツンときながら鼻から抜けるスモーキーな感じがいいねえ。なあ、兄ちゃん嬢ちゃんもどうだい?」
空のグラスをゆらゆらと振ってこちらに向けるが、そんなもの飲めるわけもない。
「ボブさん! そういうの良くないわよ! 私たちは未成年なんだから飲めるわけもないし、それに勝手に飲むのは無銭飲食よ?」
鍵山さんがここぞとばかりに腰に手を当てて、委員長を発揮する。
そんなことはお構いなしにボブは続けた。
「固いこと言うなよ嬢ちゃん。一杯ぐらいいいじゃねえか」
「ダメよ、戻しなさい」
「嫌なこった。いちいち細けえこたあいいんだよ」
ボブはそう言って、ウイスキーの入ったボトルを片手に取ると、カウンターから飛び降りて出口へと向かった。
「この店はそろそろ閉店だ。列車が来たみてえだから行くぞ」
「あっ! ボブさん待ちなさい!」
「ちょっ! 二人とも待って!」
出口の扉を押し開けて出ていくボブを俺と鍵山さんは慌てて追いかける。
――果たして扉の先は前回来たドーム状の洞窟ではなく、地下鉄のホームのような場所だった。
「なっ――!!」
俺は驚愕の声と同時に辺りをきょろきょろ見回した。
「どうなっているんだ!? エレベーターや待合室もそうだけど、今度は地下鉄!? 前回来た時はたしか広い洞窟だったけど、ワンダーランドってこんなにも景色がコロコロ変わるの!?」
「兄ちゃん毎回同じリアクションで飽きねえか? 景色が変わるというより、正確には出入口が変わってるっつーほうが分かりやすいか」
ボブは煙草の煙を薄く吐いた。そして、ウイスキーをボトルのまま仰いだ。
「相変わらずムカつくやつだなあ。俺だって別に好きでやってるわけじゃないやい!」
「どういう仕組みで場所が変わるの?」
鍵山さんも不思議そうに辺りを見回す。
「これは扉を開けたらって限定的なもんだが、行きたいところを想像すればだいたいそこに近い環境にたどり着くって感じだな。俺も仕組みはよく知らん」
「前回エレベーターを降りた先が教室だったみたいな私たちの潜在的なイメージが近いのかしら?」
鍵山さんが顎に手をやり考える。
「まあ、細けえことはそんなに気にしないほうがいいぜ? こんなの序の口だからな。いちいち気にしてたらそれこそ兄ちゃんのツッコミが持たねえぜ?」
こちらをチラリと見やるボブの顔がなんともムカつく表情に見えてまた口を開きそうになったが、それこそこいつの思うツボなので、俺はグッと堪えた。
そうこうしているうちに、奥の方からゴウンゴウンという聞き覚えのある音がする。というか、何か大きな金属の塊がこちらに近づいて来るのがなんとなくの感覚でも分かる。
感覚のする方を見てもホームの先は暗がりなので分からないが、そのうちゴウンゴウンから、ガッガッガッガッ! と明らかに例の乗り物がホームに入ってくる音に変わり、その巨体が姿を現した。
――そう、前にドードー伯爵たちと闘った時に見たあの汽車だった。
「地下鉄に汽車なんてすごいわね! 日本ではまず見られない光景よね!」
鍵山さんが目をらんらんに輝かせている。
いかにも健康被害のありそうな黒い煙をもくもくと煙突から吐き出しながら汽車は俺たちの前でゆっくりと停車した。
停車と同時にプシューッと蒸気が舞い、辺りが少し熱を帯びる。
「よし、じゃあ行くぜ兄ちゃん嬢ちゃん」
ボブが汽車の入口に備え付けてある手すりを掴むと、勢いよく中に入った。
鍵山さんがそれに続く。
俺は、また新たな刺客が来ないか辺りをキョロキョロ見回るが、今回はそれらしいものは見つからない。
「おい兄ちゃん何やってんだ! 置いてくぞ!」
ボブのやつ、人の気も知らないで!
「また伯爵みたいなやつが来ないか確認してただけだよ!」
「おめえさん、そんなチンタラしてたらそれこそ誰かに見つかるだけだぞ?」
ボブは汽車から俺を見下ろす。というか、なんか見下されてる感じがしてまたムカついた。
「分かったよ!」
俺も勢いよく汽車に飛び乗ると一同は客室車両まで進んだ。
適当なボックス席にボブが入ったので、俺も鍵山さんも続く。
席的には俺が窓側でその横に鍵山さん、俺の正面にボブが座る形になった。ボックス席も大して広くはないので、必然的に鍵山さんと距離が近くなる。俺はどうしてもそれを意識してしまい、人知れず勝手にドキドキしてしまった……。
そんな俺の思春期心なんかいざ知らず、金属の塊は一度プシューっと蒸気を吐き出すと、ゴウンゴウンという音を立ててゆっくりと動き出した。
地下を汽車が走るなんてそれこそ夢を見ている感じだ。そのまま走り出して、あっという間にホームを抜けると汽車は真っ暗闇に入っていった――。
窓を見ると外は暗闇でうだつの上がらない自分の顔が見えてげんなりした。車内には頼りなさげに明かりが照らされているものの、俺たち以外乗客がいないので寂しい雰囲気なうえに汽車の走る音以外何も聞こえない。
しかし、この雰囲気はなんとも落ち着くというか、純粋な機械の音だけで、生物的な雑音がないので俺は結構好きだ。目を閉じて感じる。どこまで行くかは分からないけど、しばらくこのままでいたいと思った――が、束の間だった。
「よし、じゃあこの先について説明するぜ」
ボブの声で俺の情緒的な感情はあっさりかき消された。
「ボブさんの仲間に会いに行くのよね?」
鍵山さんがボブをちらりと見て確認するように尋ねる。
「ああ」とだけ言ってボブは片目を瞑った。
「まあ、仲間というか、正確には仲間ではないな。敵でも味方でもないやつだ」
「どういうこと?」鍵山さんが腕組をする。
「要するに、ハートのお嬢の命令も聞くし、俺たちにも協力する。時には俺たちを襲ったりもするようなやつだ」
「大丈夫なのかそれ!? というか、襲ってくる時点で仲間じゃなくね!?」俺は少し声が大きくなる。
「焦んなって。襲ってくるのは主にパフォーマンスだな。お嬢の目を欺くためのな。基本は争いを好まない性格なやつだから」
「どういうこと?」
俺ももちろんだが、鍵山さんもさっぱりといった感じだ。
「だから、お嬢の目を欺くためだっての。ハートのお嬢の軍門にも俺らみたいな反乱軍にも、どこにも属したくないやつだからどっちの軍勢にも味方するし、牙も向く」
「なにそれ! 一番中途半端で卑怯じゃない!」
鍵山さんは憤慨するが、俺は何となくその人の気持ちが分からないでもない。臆病者はいつだって流れに身を任せるのだ。だから、牙を向くという表現はどちらかというと弱いものに向けてということだろう。
俺はどんな相手かを勝手に妄想する。たぶん俺みたいな根暗なんだろうな……。
「嬢ちゃん、人の思想はそれぞれだ。相手を見る前に卑怯と決めつけるにはちと早計なんじゃねえか?」
普段は軽薄だけど、ボブって結構こういうことに対して偏った意見をしないから不思議なんだよな……。
俺はボーっとボブの濁った赤い目を見た。
「なんだ兄ちゃん、お前さんも文句があんのかい?」
「いや別に」
俺はとっさに目を逸らして、話題を変える。
「ちなみにその人物はワンダーランドの住人なの?」
「もともとは兄ちゃんたちと同じ世界の住人だったが、訳あってワンダーランド入りして、なんだかんだそのままワンダーランドの住人になっちまった感じだな。俺が知り合った頃にはすでにこっちの生活が板についてたな」
「そんなに長い人なんだ!? じゃあけっこう年いってるのかな?」
「さあ、俺もその辺りは気にしたこともないから知らん」
ボブは紫煙すると天井に向かって煙をフーっと吐いた。
「その人もボブさんたちみたいな相方がいるの?」
ちょっと鍵山さんの目が輝いている。かくいう俺もそれは気になる。
「ああ、かなり古くからすっと組んでるみたいだな」
「誰だれ? ワンダーランドだから色々いると思うけど」
「聞いて驚くなよ?」
ボブは煙草の先を赤く光らせ、煙をたっぷり肺に入れると、焦らすように長い時間かけて細く吐いた。
俺と鍵山さんは目を合わせる。
「聞いて驚け、かの有名な“狂気の帽子屋”、“狂乱ウサギ”、“狂夢ネズミ”、この3狂がそいつの相方だ」
俺は口にせざるを得ない。
「狂いすぎだろ……」
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