黄昏公園

「いよう、 お二人さん、仲良く一緒に下校ってか。何が学校ではひとりだよ。妬けるねえ」

 

 相変わらずダルそうな足取りで紫煙しながらこちらに向かってきたボブは、遅れてきたにも関わらず開口一番皮肉だった。しかもウザいやつ。


「う、うるさいなあ! たまたまそこで会って一緒に来ただけだよ! というか、30分も遅れて来たお前が一緒に来たかどうかなんか分からないだろう!?」


 俺は“仲良く”という表現に狼狽えながら慌てて返す。


「よく言うわよ。先に勝手に教室から出て行って、かと思ったら電話がかかってきて“いま加藤商店にいるから~”とか言って一方的に切られたら迎えに行く以外ないじゃない」


 鍵山さんが右頬を膨らませながら腕組をしてちょっと怒った様子だった。


「だからごめんって、あれは俺が悪かったって言ってるじゃん」

「だからって、ボブさんの前で嘘つくことないでしょう」

「うっ……、それはつい条件反射で……」


 俺はチラリとボブを見る。


「最低だなお前さん」

 ジト目で煙を吹きかけられた。


「ゲホゴホッ! バカウサギ! 事あるごとに俺に煙を吹きかけるな!」

 俺は煙を手で払って咳き込む。


「いまのは有栖川君が全部悪い」

 鍵山さんがいつの間にかボブの横についていた。


 なんでこんな目に……と咳き込みながら思い返す――。


 6限目の終了を告げるチャイムが鳴ると、担任が教室に入ってきた。『中国雑技団』に向けてざわついていた教室内は、自然と静かになっていく。担任からさほど重要ではない諸事項がひとしきり伝えられると、鍵山さんの号令で本日の学校は終了した。

 俺は部活動に急ぐ運動部のやつらよりも早く教室を出る。

 もちろん、鍵山さんに声を掛けられることを想定してのことだ。号令が終わるより先に足を動かし始めているので、鍵山さんが言い終えて俺を捕捉する頃にはすでに教室にはいない。先ほどのようなことがあった上に、これ以上炎上してたまるか。

 鍵山さんには悪いが、廊下に出た瞬間、ダッシュで駆け抜け、階段を一段飛ばしに下り、下駄箱で靴を履き替えると、そのまま校庭を一直線に抜け、校門をくぐった。

学校を出てしまえば自由だ。どうせ鍵山さんとは嫌でもこのあと顔を合わせることになるわけだし。……いや、嫌というわけではない。正直、ひとりでワンダーランドに行くにはまだ心細い……。女の子がいて安心するとか情けなさ過ぎだ……。でも、まだそれぐらいの不安を抱いているのだ。だって、1回しか行ってないんだもん。


 とまあ、陰キャな俺でも、気持ちを明るく持って自問自答はできるわけで。


“あの”クラスが悪いんだ。というか、学校という集団行動を無理強いする環境が悪い。馴染めないやつだっているのだ。協調性を身に付けさせたければ、軍隊にでも入ればいい。階級が違うならまだしも、何もないただの寄せ集めでまとめられた同学年で、ああいうヒエラルキーが生まれてしまう状況が良くないのだ。でなかれば教員は常に教室にいればいい。監視ではないにしろ、抑止力にはなるだろう。

AグループやBグループからしたら煩わしいかもしれないが、底辺組からしたらいじめが起きない環境はすごくありがたい。それだけで学校に行く理由になる。前向きに勉学に取り組めるってものだ。学生にとっては勉学が仕事なのだ。

 校長先生、一度まじめに考えていただけませんかね? きっと学校の偏差値も上がりますよ?


 ……なんて、現実の教育制度について妄想を繰り広げていたわけだが、ふと道すがら自分が重大なミスを犯していたことに気がつく。


 ……昨日の公園って――どこだ?


 ワンダーランドで倒れた後、目覚めた時にはすでに公園だった。そこから帰路につく時は途中まで鍵山さんについていく形だった。

 そもそも、ドードー伯爵たちとの戦闘後でヘトヘトだったし、意識もはっきり保てていたわけではない。むしろ、帰省本能というか、見慣れた道にさえ出ればあとは勝手に足が動いてくれたわけで。


 このままだと公園までたどり着けないぞ……。

 とはいえ簡単な話、鍵山さんに聞けばいい。連絡先だって交換したし、彼女ならきっと知っているだろう。


 でも、できない……。

 だって、さっき鍵山さんを半ば強引に無視する形で学校から出て来てしまったんだもん……。


 いや、でも……。

 いったん学校に戻るか? 忘れ物を取りに戻るふりして? 鍵山さんがいるかもしれない? でも、他のやつだっているかもしれない。いまさらどの面さげて戻れるっていうのだ。振り払って来たばかりじゃないか。

 来た道を戻るのは容易い。10分も歩けば学校に戻れるだろう。まだそれほど学校から離れていないのだ。しかし、鍵山さんがまだ学校にいる保証もないのだ。


 こんなことで逡巡していては、ワンダーランドでは生き残れないだろう……。


 ……。


 どうする俺……。

 心の中で、選択肢のカードを広げる。


 1.自力で探す(※ペラペラなプライド発動)

 2.素直に電話(※ペラペラなプライド未発動)

 3.学校に戻る(※ペラペラなプライドを忍ばせるも未発動)

 4.家に帰る(※プライド以前の問題)


 どうする……。


 何を迷う必要がある。ワンダーランドに行くんだろ?

 ゴミみたいなペラペラのプライドなんか捨てろよ。

 こんなしょうもないことで迷うなって。


 でも、迷う気持ちだって分かるだろう?

 素直になれない年頃なんだよ。

 分かるぜ。男だもんな。


 ――なんか肩のあたりででよく分からない声が聞こえる。しかも双肩。


 迷ってなどいられないのは事実。俺のペラペラな覚悟を早くも捨てそうになった自分を恥じて首を振った。

 緊張する。ポケットに手を突っ込んで携帯電話を取り出すと番号を検索。数少ない電話帳なので検索の必要もなかった。

 ダイヤルボタンを押す手が震えている。

 電話を耳に当てるとコール音が鳴った。


 ――数秒後、「もしもし?」と聞き覚えのある声が応答する。


「……」


 何て言えばいい?


「もしもし? あれ?」

 鍵山さんは俺が答えないもんだから訝しむ声を含んでいる。


「……」


どうしよう……。


「有栖川君? もしもーし?」

 鍵山さんが投げかける。


「……」


 口が動かない……。


「あれ? 電波届いてないのかな? もしもーし?」

なおも応答を待っている。


「……」


 何か言え俺!


「うーん、場所が悪いのかな? 一旦切るね」

 プツッという音とともに「ツーツーツー」と3回音鳴り、空しく電話が切れた。


 俺はその場に立ち尽くすしかなかった。


 何やってんだよ俺! 今すぐかけ直せって! 何やってんだバカ!

 慌ててリダイアルを押す。

 すぐにコール音が鳴った。


「もしもし?」


 先ほどと同じ声だ。


「……」


 頑張れ俺! 負けるな!


「もしもーし? そっち電波悪いの?」

「あ……、か、鍵山さん……?」

「あ! 繋がった! 良かった! どうしたの有栖川君? っていうか今どこ? 一緒に公園まで行こうとしたのに、ひとり先に出て行ってしまったから何かあったのかと思ったわ」

「いや……その……」

「どうしたの?」

「いや……実は……」

「ん?」


 明らかに不審がられている……。


「……」


 うまく切り出せないでいると、向こうから意図せず助け船が渡された。


「いまどこにいるの? そっちに向かうから合流しましょう? 一緒に公園に行けばいいじゃない」

「あ、うん、だね……。ちょうど俺も誘おうと思ってたんだ」

何が誘おうと思ってただ! 意気地なしにもほどがある!

「っていうか、後で誘うなら最初から一緒に行けばいいじゃない」

「いや、それだと角が立つんだよ。クラスのやつらとかに……」

「なによ、そんなの無視すればいいじゃない」

「そういうわけにはいかないんだよ」

「なんだか面倒ね……。今朝なんだかいざこざがあったみたいだけど、それが関係しているの? 文化祭の準備の際にも何やらあったみたいだけど……」

「まあそんなところ。鍵山さんの気にすることじゃないから気にしなくていいよ」


 むしろ悪化するから放っておいてくれ。


「なんでよ。私は委員長なんだから、問題があるなら解決しなきゃ。ちゃんと説明して?」

「いいよ、迷惑かけるし」俺は明らかにげんなりする声で応答した。

「迷惑だなんて思ってないわよ! むしろ私は有栖川君を助けたいんだから!」

「だからそういうことを軽はずみに言うんじゃないよ! そういうところが角が立つって言うの! っていうか、いま加藤商店の前にいるから! じゃっ!」


 俺は一方的に電話を切るとひとつ大きくため息をついた――。

 俺、最悪だな……。


 ――10分ほどボケっと妄想していたら声を掛けられた。


「有栖川君!」


 声の方を見ると、果たして鍵山さんが小走りにこちらへ向かってきた。


「あっす……」


 謎の挨拶しかできなった。勢いよく出てきたと思えば、電話でも虚勢張って、あまつさえ迎えに来てもらうとか情けなさ過ぎ。本当に俺何様だよ……。


 そしていまに至る――。


「だからごめんって! というか、ボブだって30分も遅刻だぞ!」

 反論ポイントを探してボブに話を振ろうと試みる。


「こちとら忙しいんだ。30分ぐらいでガタガタ言うんじゃねえよ」

「開き直った! っていうか、何が忙しいんだよ」

「確かに、遅刻にしては30分は短くない時間ではあるわね」


 今度は鍵山さんがこちら側に来た。


 敵の首を取ったといわんばかりに俺はボブに矛を向ける。日頃の恨みだ。

「そうだそうだ! せめて遅れるぐらいなら連絡のひとつも……あっ」

 俺は勢い付きかけて言葉に詰まる。


「連絡って? ボブさんスマホとか持ってるの?」


「いんや?」

 片目を瞑って首を振る。


「こういう時ってどうやって連絡を取ればいいのかしら?」

 ふと、鍵山さんが顎に手を添えながら考え込む。

 

 あれ? また論点がズレ始めてるぞ……。


「そもそもワンダーランドの連絡手段ってどうなっているのかしら」

「手紙とか直接伝えたりとか? こっちの機器なんざ使ったことねえよ。つーか、ワンダーランドじゃあこっちの通信機器は役に立たねえからな」

 ボブは紫煙しながらそう言った。


「えっ!? そうなの!?」

 俺は相変わらずリアクションがでかい。


「じゃあ、ボブさんと連絡を取る――という概念はないのね」

 顎に手を添えたまま鍵山さんが付け加える。


「まあそうなるわな」

「じゃあ、逆に言えばボブさんから離れたら私たちってことに?」

 鍵山さんが何気に怖いことを言う。


「それってどうなんだよ。あ、でもペアリングがあるじゃん!」


「ぺありんぐ?」

 鍵山さんが首を傾げた。


「ああ――」

 俺はペアリングについて昼間にボブと話したことを簡単に説明した。


「――そんなことができるの!? じゃあ、いなくなったちーちゃんもこっちの居場所は分かっているってことかしら?」

 鍵山さんの顔がどことなく明るい。


「あれ? まだちーちゃんと会えてないの?」

「ええ、結局昨日から一度も」

「なんだ、嬢ちゃんの相方はそんなに気まぐれなのかい?」

「うーん、気まぐれというかシャイなのかな? もしかして私嫌われちゃってる?」

 鍵山さんは苦笑いした。


「いや、そんなことはないと思うよ? だって、鍵山さんにしか見えないってことは、鍵山さんと契約してるってことだろう? そのうちまたフラッと現れるよ。きっと気まぐれなんだよ」


「だといいのだけれど……」

 少し寂しそうな笑顔を浮かべ鍵山さんは自分の足元に視線を落とす。


「まあ、そんなシケた空気出しててもしょうがねえ。今日の本題だぞ」

 ボブが煙草を地面に落としてもみ消すと話を進めようとした。


「ボブさん、ポイ捨て禁止だよ」

 鍵山さんがボブの足元を指差して注意する。


「ああ、悪りい悪りい、だが俺がどれれだけポイ捨てしようが周りは姿が見えねえんだから分かりゃしねえ」

 さらにぐっと強く踏みつけた。


「見えないからって関係ないわ。そういうの私許せないの。ボブさんだからって例外じゃないわ」

 鍵山さんはボブの前で腕組し仁王立ちした。


「チッ」

 ボブは舌打ちして煙草を拾い上げると、ポケットから煙草の箱を取り出し、その中へ乱暴に吸殻を入れた。

 それを見た鍵山さんは、よしよし偉いえらいなどと満足気だった。


 ボブは仕切り直すようにゴホンとひとつ咳払いをする。


「今日の本題だが、いまから俺の仲間に会ってもらう」


「「仲間?」」


 俺も鍵山さんも声が揃う。


「お前、女王討伐派だから、どっちかっていったら反乱軍だろう? ってことはその仲間も反乱軍なのか?」


「反乱軍とは人聞きが悪りいな。そもそも、明確に反旗を翻した反乱軍なんてものはねえ。俺たちは基本単体で動いているからな。そもそも組織なんか組んだら、一瞬で女王軍にバレて俺らはお陀仏だ」

「そうなのか……。っていうか、お前に仲間がいたんだな」

「失礼な奴だ。俺はお前さんと違って、友達多いぞ? 伯爵とだって別に敵対してたわけじゃねえし、他にもたくさんいるさ。俺はこう見えて社交的だからな」


 ボブはフンと鼻を鳴らした。


「ドードー伯爵……」

 俺はボブの言葉を思い返してその名前を口にする。


「そういえば、ドードー伯爵はあのあとどうなったの?」

 

 鍵山さんはドードー伯爵とコーカスのその後を知らない。

俺はどういう反応をすればいいか分からず、思わずボブの目を見る。

ボブはそれを汲み取ったのか、いったん目を軽く瞑ると鍵山さんの目を見据えた。


「いいか嬢ちゃん、心して聞くんだ」

「え?」

 俺は先に聞いているから分かるが、鍵山さんはこの言葉の意味を理解できない。


「驚くなよ」

 ボブが神妙な顔で言うものだから、俺も含め周りの空気に緊張が走る。


「伯爵たちはな、旅に出たらしい」


「は?」

「え?」


 俺も鍵山さんも鳩が豆鉄砲を食ったようなリアクションだ。


「たび?」

 鍵山さんは繰り返す。


「おうよ、なんでも俺らに負けたのが相当悔しかったみたいでな、風の噂では、武者修行の旅に出たみたいなんだと」

 ボブは俺の方をじっと見ながらそう言った。明らかに他言無用といわんばかりの目だ。

 俺は鍵山さんが気づかない程度に頷いた。でも、なんで嘘なんか……。何か考えでもあるのか……? でも、じゃあなんで俺には本当のことを? よく分からない……。


「なんだあ、ボブさんが重い空気なんもんだから、てっきりとか、そんな感じの怖いこと言うんじゃないかと思ったじゃない」

さらっと鍵山さんがそんなことを言った。


「え?」

 俺は思わずギョッとして鍵山さんの方を見てしまう。

 ボブも一瞬背筋が伸びた。


「いやいや、いくらなんでもそんな物騒な話があるかよ」

 ボブがおどけながら返す。


「でも、有栖川君だって結構危なかったわけだし、意外とワンダーランドって物騒なところなのかなって思ったのだけれど……」


鍵山さん、勘良すぎない……? というか、そんなにさらっと死ぬとかいうの? ちょっと怖いんだけど……。死生観ズレてません?


 ボブは苦笑いをすると歩き出した。

「まあ、物騒かどうかは自分たちの目で確かめるしかないな。じゃあ歩きながら説明するからついて来な」


 俺たちはボブの後を追って、公園を後にした――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る