ボッチ飯
昼休みまでなんとかやり過ごした。というか、休み中も教室にいられるほど心臓が毛で出来てはいないので、毎時間授業が終わるたびにソッコーで教室から出た。変に茶化されるのも不毛な質問されるのも御免だ。誰とも会わないように屋上へと続く階段の踊り場で時間をつぶしていた。本当は屋上に行きたかったけど、鍵がかかっているので行くことはできない。ドラマや漫画と違って安全上、簡単に屋上には入れないのだ。現実って辛すぎなんだけど……。なんで俺がこんなジメジメした日の当たらないところに逃げなきゃいけないの? なんか悪いことした? むしろ悪いのは田中たちじゃないの? Cグループは何もしなくたって嘲笑の対象なのだ……。
――なんて恨み言を唱えながら、ひんやりした床に胡坐をかき、俺は母さんが用意してくれた弁当をボーっとしながらモサモサ食べていた。
ワンダーランドを思い出す。
現実ではありえない地下3000メートルの世界。あの洞窟の、何かが籠ったような独特な匂い――。
絶滅したはずのドードー鳥がいる不思議な世界。ここではない、現実ではない幻想の世界――。
また行きたいな……。
ふと目を閉じる。
「よお兄ちゃん、相変わらずシケてんなあ」
この声はボブのものだ……。
幻聴まで聞こえてくる……。というか、幻聴にまで現実を馬鹿にされるとかないんですけど……。
ひとつため息をついて目を開けると、目の前にボブがいた――。
「うわ! ボブ!? えっ!? びっくりした!! なんでここに!?」
ヤンキー座りをしたガラの悪い茶色のウサギが目の前に迫っている。
「うっす」と顎をしゃくって軽く相槌を打つと、ポケットからおもむろに煙草を取り出し、なんの躊躇もなく火をつけようとした。
「ちょちょおちょっと! ここ学校なんだけど!」
俺の慌てる様子なんかどこ吹く風で、構わず火をつけてくゆらせた。
踊り場は明るくないので、目いっぱい吸うと煙草の先の蛍火がぽうっと赤くなる。そのまま俺に向かって煙をフーっと嫌味たっぷりな顔で吹きかけてきやがった。今日の服装は丈が長めのダボっとした白Tシャツに黒のハーフパンツ、無骨なジャングルブーツという出で立ちだった。もちろん首からは金の時計をぶら下げて。こいつ、いつもワイルドだよな……。ちなみに今日はニット帽ではなくバンダナを細く額に巻いている。
「うえ! げほ! ゲホゴホッ! 何すんだよ! 副流煙で死んだらどうするんだ! っていうか、聞いてなかったのかよ! ここ学校だって! バレたらヤバいって! においとかどうするんだよ!?」
「いちいちうるせーなあ、いいんだよ。この世界で俺のことが見えるのはおめえさんとあの嬢ちゃんだけだ。においどころか姿さえ分からねえよ」
「そ、そう……なの……?」
そんなもの半信半疑だ。俺は服や髪についたかもしれないにおいを気にして嗅いでみる。うーん、におうようなそうでもないような……。なまじボブが煙草を吸う姿も煙も見えるもんだから、どちらか分からない。プラシーボって怖い。
でもまあ普通に考えて姿が分からなきゃあ存在ごとありえないわけだから、においもへったくれもないか……。 本当に?
「で、たしか集合は放課後に昨日の公園だったと思うけどなんでここにいるの?」
俺はげんなりしながら、食べかけの弁当に目をやる。副流煙のせいで食欲がなくなったのでボブの話を聞くことにした。
「まあ、急ぎでもないんだが、嬢ちゃんに聞かせるより先に兄ちゃんの耳には入れておいた方がいいかと思ってな」
「なにそれ?」
「そういやあ、今日は嬢ちゃんと一緒じゃないのか?」
「いや……学校では一緒にはいない」
「なんだ、喧嘩でもしたのか?」
「いや、喧嘩なんかしないし、もともと学校では俺はいつもひとりだよ。いま自分で言って悲しくなったわ……。というか、今日は朝にちょっとしたいざこざがあってさ。俺は教室に居づらくてここに避難してるんだよ……。鍵山さんとは朝から話してない」
「それでこんな陰気なところにいるのか」
「うるせえやい。お前こそよく俺がこんな陰気なところにいるのがわかったな?」
「お前じゃねえ! ボブさんと呼べコラボケ! あ?」いきなりキレられた。
「そんなことはどうでもいいだろう」
「そんなことじゃねえ! 重要な問題だぞコラ」
「ハイハイ。で、どうやってここが分かったのさ?」
「スカしてんじゃねえぞ……。まあいい。兄ちゃんは俺の相棒だからな。居場所なんざすぐに分かるさ」
「そうなの!? なにそれストーカーっぽくて怖いんだけど……」
「それが俺とお前さんのペアリングだ」
「うえええ……」俺は大げさに吐くマネをする。
「まあそんなこたあどうだっていいんだ。じゃあ、嬢ちゃんはまだ何も知らないんだな?」
「どうでも良くないんだけど……。何が知らないか知らないけど、知らないんじゃないかな?」何言ってんだ俺?
「まあいいか」
「どういうこと?」
「これは嬢ちゃんが聞いたらきっとすぐにでもワンダーランドに行こうとか言い出しかねないからな。いまは面倒だ。それに、少なくともまったく知らないやつの話ではないしな」
「面倒とか言うなよ。そんで勿体ぶるな」
「まあ、嬢ちゃんが相方のちーちゃんだかいーちゃんだかから聞いてたら話は別だが、朝から普通にしてるならそれもなさそうだな」
「で?」俺は先を促す。
「ドードー伯爵いただろ?」
「昨日のドードー鳥だよね?」
俺は思い出す。あの蹴られた時の衝撃。そして、【
「コーカスっつーリンゴ頭の男もいたろ?」
「あのイッちゃってる系の危なそうな赤髪の人だろ? それがどうしたよ?」
「あいつらな、死んじまったんだわ」
「……」
「……」
二人とも見つめ合った形で沈黙。ボブは紫煙している。
何を言っているんだこいつは?
思考が疑問に追いつくまで刹那――。
「は?」俺の疑問がようやく追いついた。意味が分からない。
「ほらな信じられねえって言ったろ」
「いや……」
いやいや、何を言っているんだこのウサギは?
「信じられないんだろ?」
「いや……、いやいや! 唐突すぎるだろ……。信じろってほうが無理でしょう普通。死んだとか死んでないとか。その手の話ってそんな簡単に“はいそうですか”とはならんでしょう普通。というか、昨日戦ったばかりのやつらが……死んだ? え? 本当に?」
「俺が嘘でもつくと思うか?」
「いや、分からないけど。息をするように嘘とかつきそうだし……」
「失礼な奴だなお前さん」
「それはお前の日頃の態度のせいだろ」
「お前じゃねえっつってんだろ! 本当に失礼な奴だなお前」ボブはチッと舌打ちする。
俺は構わず続けた。
「で、ドードー伯爵たちが……その……死んでしまったところは……見たのかよ?」
「いや?」
即答だった。
「は?」
「風の噂だよ」
「じゃあ死んだかどうかなんて分からないんじゃん!」
「いや、ワンダーランド内では噂になってるからな」
「しょせん噂だろ?」
「兄ちゃんは信じないのか?」
「まあ自分の目で確かめてみないことにはなんともいえないな……」
「疑り深えな」
「まあ友達もいないとこうなるんですよ……」
「悲しいなそりゃあ」
「……」
「……」
しかし、あの二人……いや、一羽とひとりが死んだなんて……。敵とはいえ、知らない相手じゃない。でも、なんだろう……。全然実感が湧かないというか、受け入れられないというか……。なんでよりによってあの二人が?
ボブはどこか遠くを見るような目をしながら煙を吐いた。
「なんで死んだの?」
「それが分かんねえみたいだ。なんでも、発見された時には伯爵もコーカスも見るも無残だったらしい。特に伯爵のほうははひでえ。全身がズタズタな上に、足が粉砕するレベルで徹底的に潰されていたんだと。自慢の足が潰された時点で、再起不能なことは明白なのに、死ぬまでボコボコにされたみてえだ」
「なんてひどい……。じゃあ、二人は誰かに殺されたのか?」
「逆にコーカスは両腕をバキバキに折られていたらしいぜ? 近くにナイフが落ちてたらしいから、たぶんナイフで攻撃しようとして返り討ちにあったって感じか。最終的に両腕含め、伯爵同様ズタズタにされた上に首があり得ない角度に曲がった状態で発見されたらしい」
ボブはフンと鼻を鳴らして煙草をくゆらせた。
昨日の戦いをちょっぴり思い出してゾクッとした。というか、人が死ぬワンダーランドってヤバくない?
「あとな、伯爵たちの死と直接関係あるかは分からねえが、妙な話があってな」
「妙な話?」
「俺らには必殺技があるだろ?」
「必殺技?」
「【
「ああ、お前と目を合わせたら気持ち悪くなったやつね」
「お前じゃねえっつてんだろクソが! ボブさんだっつーの! 何回も言わせんじゃねえ!」モフモフの足でローキックされた。
「うるさいなー。知り合いが死んだってのによくそんなテンションでいられるな……。で、それがどうしたよ?」
「チッ! まあいい。伯爵の技は覚えてるか?」
「あの速い突進だろ? 昨日の今日で忘れるわけがない。いや、一生忘れるもんか」
「【
「確かそんな感じの技だったかな。それがどうかしたの?」
「伯爵な、どうやらその技が使えなくなってたらしいんだ」
「は?」
「まったくおめえさんは“は行”が好きだな」
「は行じゃなくて“は”だけですー! そんなのどうでもいいよ!」
「いちいち返しがうぜえよ。なんでも、最初はたまたまかと思ったらしいんだが、何度やっても出なかったみたいなんだと」
「そんなことってあるの?」
「いや、技が鈍ったり制限がかかったりすることはあるが、根本的に発動出来ないことはない。これは能力持ちなら、誰も彼も例外なくもれなくそうだ。体力や精神的な理由、相手の攻撃なんかで一時的に発動しないことはあっても、技そのものが出せないことはない。大なり小なり力は発揮できるはずなんだ」
「じゃあ、俺たちに負けた精神的ショックから技が出なかったんじゃないの?」
「さすがに昨日の戦闘でそんな技が発動出来なくなるほどショック受けるような負け方じゃねえよ。兄ちゃん自分の戦いにうぬぼれんじゃねえよ」
「う、うぬぼれてなんかないよ!」
「怖いよー! 痛いよー! ママ―! とか泣きべそかいてたもんな」ボブは黄色い歯を見せてニヤニヤ笑う。なんともうざい顔だ。
「そんなこと言ってないよ!」俺はついムキになってしまった。
「まあ冗談はさておき、どうにもこうにも分かんねえんだ。そもそも、技が発動しなくなったのは俺らとのバトル後だからな」
「っていうか、伯爵は発見された時には死んでいたんだろう? どうして能力が発動しなかったって分かるんだよ?」
「死んだことと同じぐらい噂になってんだよ。もしかしたら別の誰かにそのことを話してたんじゃねえの?知らんけど」
「そんな適当な……。そんなことってあるの?」
「まあ、ワンダーランドには顔見知りがけっこういるからな」
「敵同士なのに?」
「別に全員が一触即発状態ってわけじゃねえ。普通に話すやつだっているさ」
「それでも、どうやって分かるんだよ」
「そんなこと俺が知るかよ」
ボブがそっぽを向いて煙を吐く。
「なんだよ急に。じゃあ、その相手が技を発動出来なくさせる能力者っていう可能性は?」
「あり得ねえよ」即答だった。
「なんでだよ?」
「そんな便利な能力はいまだかつてワンダーランドで見たことねえな」
「そうなの!? 漫画とかゲームなんかだと結構定番でありそうなものだけど……」
「ここは漫画でもゲームでもねえ。兄ちゃんがいるのは現実だぞ」
「そんなことは分かってるよ」
「あとな、ワンダーランドの住人が全員能力者とは限らない」
「そうなの!? 初耳なんだけど……」
「そりゃあ特に話してないからな。たまたま俺らは能力を持ってるが、基本的には持っていないやつのほうが多いぞ」
「そうなの!?」
「ちなみに、俺や伯爵みたいに相方を付けてるやつも多くはいない」
「そうなの!?」
「おめえさん、もう名前“有そう川なの太朗”に変えちまえよ」
「そういうのいいから!」
「だいたい相方つけてるやつは戦闘に参加するやつばかりだな。昨日も話したが、主に領土拡大を狙ったり、力を誇示したい奴らがそうだ。まあ俺みたいにハートのお嬢討伐を掲げてるやつもそうだな」
「え? お前みたいに女王を討伐しようしている人たちがほかにもいるのか?」
「またお前って……、もういい面倒だ……。俺だけじゃなくて、いまのワンダーランドを変えようとしている奴は他にも結構いるさ。そのうち紹介してやるよ。楽しみにしてな」
「うーん……、楽しみにしていいのかな? いや、そうじゃなくて……。で、ドードー伯爵の件はどうなったんだよ?」
「ああ、能力が発動しない、できない、奪われたか……消滅したのか……なんなのかは分からないが、そういうことが起きているのは事実なんだ。さっきも言ったが、能力を持った奴は何かしらの目的があって戦ってんだ。もちろん、能力がなくても戦えることは戦えるが、あいつの場合、基本は猪突猛進のスタイルだから、能力がなくなったら物理的な拳の戦闘に関しちゃあ微妙だわな。直線的だから、攻撃読まれたらおしまい。どのみち死んだも同然だ」
「そういう言い方するなよ……」
「俺的には能力がなくなったら死んだ方がマシだけどな」
「だから、仮にも知り合いだったんだろう? そういう言い方はやめろよ」
「感傷に浸れるほど俺は優しくなんかねえよ。現に自分の国のお嬢を殺そうって計画してるんだからな」
「……」
俺は黙ることしかできなかった……。
ボブも紫煙する。
気まずい沈黙が流れること数分。俺が所在なさげにしているとボブが口火を切った。
「まあそんなわけで、死線をくぐる必要もあるが、俺は今回の戦いに命かけてんだ。伯爵の件もあるから気は抜けねえ。だからおめえさんにもそれぐらいの覚悟が必要なんだわ。中途半端に戦闘に参加するんじゃなくて、本腰入れてワンダーランドに来いって話」
「……」
「……」
本日何回目のシンクロ沈黙だよ……。
「……本腰?」俺はボブの言葉にピンとこない。
「もちろん、伯爵の話も気になるがそれは口実であって、本題はこっちだな」
「え? 本腰入れて来いってことは冒険的な?」
「まあ的なやつだな」
「死ぬかもしれない的な?」
「まあ冒険的なものに危険は付き物だからな」
「お前はいま、死ぬかもしれない冒険的なやつに俺を誘っているのか?」
「まあ的なではなく、そういうことになるな」
「旅に出るってことはすぐに帰れるわけじゃなさそうな口ぶりだけど……?」
「そらあ、ハートのお嬢倒したらもちろん帰れるさ」
「……」
俺は黙る。いや、ワンダーランドは確かに幻想的でまだまだ冒険しがいのありそうな世界だ。むしろ今の学校での状況なんかを考えたら、どう考えてもワンダーランド入り一択だろう。でも、伯爵たちが死ぬような危険な場所だ。昨日の痛みを思い出す。あの痛みはリアルだったんだ。もうワンダーランドは幻想の世界でも何でもない。こちらもあちらも俺にとっては
「で、どうなんだ?」ボブに問われる。濁った赤い目がこちらを捉える。目を逸らせない……。
幾ばくかの逡巡――
「いや……、ちょっと唐突すぎて思考が追い付かない。少しだけ考えさせて……」精一杯ひねり出した答えだった。
「……」無言のままボブはフンとだけ鼻を鳴らす。
「そうかよ、俺は本気だぜ?」ボブはこっちを見たままひとつ煙をくゆらすと、長めにフーっと吐いた。
「ごめん、今後のこととか、学校のこととか家のこととか考えると即答はできない」
「まあそうだな。とりあえず、後でまた嬢ちゃんと合わせて話すから、その時までに考えておいてくれや」
ボブはそう言うなり、ピョンっと飛び上がって煙草を床に落とすと、乱暴にブーツの裏でもみ消して階段を下りて行った。
俺は追うこともできず、昼休みが終わるまでそのまま動けなかった……。
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