閑話-怪鳥と紅蓮の長髪-

 ワンダーランド内のとある場所――。

 暗い洞窟内を負傷した怪鳥が紅蓮の長髪を背中に乗せて歩いていた。辺りはぼんやりと光る植物に照らされて、微かに足元が見える程度には明かりがある。


「なんとか殺さずに済みましたが……」怪鳥は独り言つ。


 あの憎きピーターラビット……もといボブの奴めにギャフンと言わせたかったのですが、どうやら彼の方が相変わらずというか、一枚上手のようでしたね……。相方にも伸びしろのありそうな良い少年を選んだものです。

 それに比べて私は……。

 怪鳥はちらりと自分の背中で意識を失っている紅蓮の長髪を一瞥した。

 のし上がりたい、皆に認められたい一心から、焦る気持ちを抑えられず、どのような相手かも見極めないまま、この男とペアリングを結んでしまった。

 前回の相方は争いごとが苦手な温厚な人でしたが、今回は真逆だ。あまつさえ、少年少女に悪意の込もった暴力を振るうとんでもない男を選んでしまった。

 これは自分の早計が生んだ過ちとしか言いようがない。

 怪鳥は慙愧の念に堪えない思いを胸にゆっくりと歩みを進める。戦闘時に見せた爆速とは対極のゆったりとした、今ならカメでも捉えられそうなほどゆっくりとした歩みだ。それほどまでに怪鳥は自分の行動に悔いていた。


「でも、良かった……」唯一の救いは、誰も死ななかったこと。


 私は自分の名誉や快楽のためだけに誰かを傷つけられるほど伯爵としての誇りを失ってはいない。かつて、どんなことがあっても争いはいけない、無益なものだと、私を戦闘に参加させようとしなった青年もいた。それはまた別の話だが、確かに無益な争いや、一方的な暴力、略奪は間違っているとは思います。ですが、双方合意の上での戦闘は私はやむなしと考えます。紳士として、自分の名誉や力を誇示するうえで、財力では測れない人の器というものに、時として腕力に頼らなければならない時もあると思うのです。もちろん、それが必ずしも正しいとは言いません。人の数だけ思考がある。あのウサギのように自分の目的のためならなんだってするものもいる。コーカスのように自分の欲求を満たすためだけに力を振りかざすものもいる……。

 私は……、私はただ皆にすごいと言われたかっただけなのだ。認めてほしかったのだ。「あなたはすごいね」「格好いいね」と……。

あの頃――、まだ、ハートの女王陛下がお優しかった、私が衛兵として陛下にお仕えしていた頃のような誇りと自信が欲しかっただけなのだ……。いまや哀れなものですね……。

 自己嫌悪に自己嫌悪を重ねていると、背中に動きがあった。


「……ろせ」

「……」

「……おろせ」

「……目を覚ましましたか」

「聞こえなかったか? 降ろせよ」

「怪我もしていますし、もう少しそのままのほうが……」

「降ろせって言ってんだろが! 殺されてえのか?」


 怪鳥はバレないように静かにため息をつくと、カメよりも歩みの遅い足を止め、腰を落とした。


「目が覚めて良かったです。身体は大丈夫ですか?」

 

 怪鳥の背中から降りるや否や、紅蓮の長髪は怪鳥の横腹を思い切り蹴りつけた。


「グホッ!」不意打ちの蹴りに怪鳥はたまらず声をあげ、うずくまる。


「誰が助けろって言った? 誰が俺を攻撃しろと言った? 誰がお前に逃げていいと言った? ああ?」


 横腹の痛みにうずくまっていると、目の前に紅蓮の長髪はしゃがみ込み、怪鳥の赤く染め上げた頭髪を強く引っ張った。


「なあ、俺はあの時なんて言ったよ? おめえの頭は腐ってんのか?」掴まれた頭髪を激しく揺さぶってくる。


「……」いまの彼には何を言っても悪い状況にしかならないので黙って耐える。


「おい、俺はいまてめえに質問してんだ。答えろよ。あ? なんで俺をあの時撥ね飛ばしたんだ? ガキどもを殺せと言ったんだ俺は」

 さらに力強く頭を引っ張られた。青筋を立てた彼の顔が目の前に迫っていた。返答次第では私が殺されかねない。考えろ……。


「……」

「おい、シカトか? いい度胸だな?」いうや否や、引っ張られていた頭を勢いよく投げ捨てられた。勢いのまま危うく地面に叩きつけそうになったので、何とか踏ん張る。

「こ、コーカスを……」声を捻り出す。

「あ?」

「コーカスを犯罪者にしたくありませんでした」なんとか捻り出した。

「犯罪者だ? てめえ、なんでそんな現実的なこと言ってんだよ」コーカスが青筋を立てたままこちらを向く。瞳孔が明らかに普通じゃない。いまにもキレてしまいそうだ。

「い、いいですかコーカス。ワンダーランドは確かに現実とは異なります。ですが、いくらワンダーランドといえど、そう簡単に殺生は許可されていません。私的に処刑ができるのは女王陛下だけなのです」

「いまさら何言ってんだお前?」威圧的な返答をみるに、紅蓮の長髪は理解できない様子だ。

「よほどの理由や事故でない限り、殺生したことが女王陛下やその護衛の耳に届いたら私たちは即刻囚われ、裁判にかけられたのち、処刑となるでしょう」

「おい」

「はい……」

「女王とか護衛とか関係ねえだろうが。おめえが何でも叶うって言ったんだぞ? ワンダーランドなら何をしたって許されるってよお。それがなんだ? 殺生はご法度だ? 処刑だ? そんなふざけた話があんのか?」

「コーカス……私は口答えするわけではありませんが、“何でも”叶うとは申しておりません。あなたの“願いが叶うかも”と申し上げたはずです」


 顔面に拳が飛んできた。だが、避けなかった。

 

「ぐあッ」頬辺りを殴られて変な声を漏らしてしまう。

「てめえは俺の言うことを聞いていればいいんだ。あのふざけたピーターラビットたちだけはゼッテー殺す。見つけ次第ボロ雑巾みたいにあの茶色の毛で地面を掃除したうえで始末してやる……」

「……」私はそっと目を伏せる。やはりあの場はこの男を退場させて正解だった……。

「あのガキもそうだ。女の前で格好つけやがって。女は……」

 紅蓮の長髪は舌なめずりをし、一瞬下卑た笑みを浮かべるがすぐに伯爵に向き直ると、伯爵に手を差し伸べる。


「まあ、なんだ。感情的になって殴って悪かったな」

「……いえ、私も無礼でした。コーカス、次はあなたの指示に従いましょう……」殺し以外だが……。

 紅蓮の長髪の情緒不安定ぶりには呆れたものだ……。手を取り、怪鳥は起き上がると乱れた衣服を整え、土埃を払った。


「そうだ、お前は俺の言うことを聞いてりゃあいい。俺がお前を有名にしてやるよ。ワンダーランドで一番恐ろしくて残虐なのはドードー伯爵様だってな」

 紅蓮の長髪は、カハハと大袈裟に両腕を広げこちらに笑いかける。嗜虐的な笑みを浮かべて。

 怪鳥はうつむいたまま、顔を上げることができなかった。


「おい伯爵、いつまでもシケたツラしてんじゃねえよ。今回は大目に見てやる。俺も初陣だったからな。だが、次やったらマジでおめえ殺すからな?」笑顔が失せ、凍り付いたような目つきが伯爵の肌を刺す。


「き、肝に銘じておきます」精一杯の返答だった。主従関係はそう簡単には変えられない。どんなに自分の方が能力値が高くても、逆らうことはできないのだ。一度結んだペアリングは自分から解消することはできない。相方のどちらかが再起不能になるか、主が自主的にペアリングを切らない限り解消することはない。


 紅蓮の長髪が歩みを進め、それに合わせてカメの歩みを進めようとしたその時――、


「なんだてめえ?」


 ふいに紅蓮の長髪が訝し気な声をあげる。

 最初、自分に問われたのか分からず顔を上げてみれば、数メートル先に小さな人影があった。彼はあの人影に言葉を向けたみたいだ。


は何でも知ってるよ?」


 それだけが返ってきた。


「あ?」紅蓮の長髪は威圧的に返す。


「おじさんたちはもうすぐ終わるよ。チェシャは知ってるもん」

 人影はそう続けた。


「ふざけてんのかてめえ」紅蓮の長髪は苛立つ。

「あ、あなたは……何者です」私はなるべく冷静を装い質問を投げかける。正直、奇妙な感覚があり、得体のしれない人影に一抹の恐怖を覚える。

「チェシャはチェシャだよ? おじさんもう終わるから、それちょうだい?」


 人影は手を伸ばしたかと思うと、足元の影も一緒に伸びていき、こちらに迫ってきた。


「なにが終わりだ! てめえを終わらせてやるよ! おい伯爵! やれ!」紅蓮の長髪が叫ぶが、あの影を見ると体が動かなかった。なぜだろう、足が動かない、すくむとは違う、恐怖でもない。でも体が動かないのだ。


 気づけば影は自分の影と繋がっていた。


「おい伯爵! てめえさっきの話聞いてなかったのか? 俺の命令が聞けねえなら殺すぞって言ったのをもう忘れたのか鳥頭。あ?」紅蓮の長髪は完全にキレている。


「こ、コーカス、私も動きたいのですが、どうも体の自由が効かなくて……」口は動くみたいだ。

「あ? ふざけてんのか? びびってんじゃねえよ! それとも俺に一度殺されねえと分かんねえのか?」そう言って、紅蓮の長髪はポケットからバタフライナイフを取り出すと、器用に操り刃先を怪しく光らせる。

「待ってください! いま動きますので!」怪鳥は焦りながらこの状況を何とかしようと鳥頭をフル回転させる。


「無駄だよ」

「なにが――」


「【気紛レ少女ノ盗賊術ハイドアンドシーフ】……」


 怪鳥の言葉を遮って目前の人影は不意に唱える。

 攻撃が来るのかと、怪鳥も紅蓮の長髪も身構える――。


 …………が特に何も起きない。


 ふと気づけば、怪鳥の影からいつのまにか相手の影が離れていることに気づく。

もしかしたら、相手の技は影で動きを縛る技なのか? 考えている暇はない。とりあえずその場に留まっているのは危険だ。

 怪鳥は自慢の足が復活したと見るや、勢いよく駆け出し、土煙を上げて走り出した。


「ようやくかよ! やっちまえ!」それを見て紅蓮の長髪がはやし立てる。


 怪鳥は紅蓮の長髪と人影の周りをぐるりと駆け回ると、直線コースをライン取り、人影に狙いを定めた。


「【第一宇宙速度コズミックレート】!」怪鳥は叫ぶ。


 …………。


 特に変化はない――。


「なっ!?」驚愕する怪鳥は歩みこそ止まらなかったが、加速もしない。

「殺せ! 今度こそぶっ殺しちまえ!」紅蓮の長髪は異変に気付いていない。


「【第一宇宙速度コズミックレート】!」怪鳥は再度叫ぶ。


 …………。


 何もなかった。文字通り、怪鳥が叫んだだけで何も起きなった……。ウサギたちとの戦闘で見せた爆速の必殺技が発動しない。


「【第一宇宙速度コズミックレート】!!」怪鳥は三度叫ぶ。


 ………………。


 先ほどと同様に何も変化ははない。


「なぜ、なぜです!? 【第一宇宙速度コズミックレート】!!!」


 ………………………。


 さすがに紅蓮の長髪も異変に気付く。

「おいおい伯爵! ふざけてんのか? なにやってんだよ、なんの冗談だ? ご自慢の爆速出せよ!」

「わ、分かっています!」

 伯爵はまた叫ぶ。

「【第一宇宙速度コズミックレート】!!!!」


………………………………。


「【第一宇宙速度コズミックレート】!!!!」

「【第一宇宙速度コズミックレート】!!!!!」

「【第一宇宙速度コズミックレート】!!!!!!」


 何度叫んでも、あの爆速は発動する気配を見せない……。


「おいおいおいおい! いったいどうなんてんだよ!」紅蓮の長髪は明らかに顔を歪めて苛立つ。やり場のない怒りに地団太踏む始末だ。

「な、なぜ!? なぜ足に力が入らない!? いったいどうなっているのです!?」一番混乱しているのは自分だ。技が発動しないとはどういうことだ?!?


「何度やっても無駄だってば」

 人影は落胆したような気配を見せると両腕を広げる。同時に人影の輪郭が少しだけ姿を現す。大して大きくはないその人影は、まるで人間の子供のようだ。怪鳥はそんな印象を受けた。


「【盗作・第一宇宙速度コズミックレート・レプリカ】」


 目の前の人影は怪鳥と同じような、しかし、どこか違う言葉を唱えた。


「【第一宇宙速度コズミックレート】!? なぜあなたがそれを!?」


 人影が怪鳥の技名を叫ぶと、人影の足から煙のようなものが湧き立ち始めた。

みるみるうちに、人影の足が怪鳥の足と同じ形に変化していく。相変わらず顔は良く見えない。


「なっ!?」驚愕する怪鳥はようやく事態を把握した。

「ま、まさかあなた、私の技を盗んだ――!?」

「ははは、だいせいかーい!」人影は何が嬉しいのか喜んだ様子だった。まるで少女のような――。

「じゃあ、そろそろ行くよ」人影はそう言うと一瞬で姿を消した。


 怪鳥はすかさず叫ぶ。


「コーカス! 逃げてください!」

「あ!? てめえ何言ってんだ!?」紅蓮の長髪はまだ理解が追い付いていないみたいだ。

「チッ」怪鳥は珍しく感情を隠そうともせず苛立つ。

「おいてめえ、誰に舌打ちしやがった。ぶっ殺――」

「いちいち言わないと分からないのですか! あなたいま殺されようとしているのですよ!? 四の五の言わずにとにかく遠くへ逃げてください! いいですか! 私はいま技を盗まれました! だから私は【第一宇宙速度コズミックレート】を発動できません。さらに言えば、あの得体の知れない人影がいま【盗作・第一宇宙速度コズミックレート・レプリカ】なるものを発動させました。まともに食らったら危険です! 早く逃げ――」


 怪鳥は言い終わる前に吹き飛ばされた。いや、正確にはとてつもない速さで向かってきた飛び蹴りを食らったのだった。

 不意打ちだったため、うまく受け身を取れず、怪鳥は地面を転がった。


「痛ッ! これが【第一宇宙速度コズミックレート】を食らう側の感覚ですか……。まるで交通事故ですね……」

 怪鳥はよろよろと立ち上がる。


「こんなもので終わらせないよ」

 人影は叫ぶと、また姿を消した。


「どこです!?」伯爵は辺りを見回す。

「ここだよ」

 声の方を振り向いた時には顔面に衝撃が走っていた。振り向いた方向から今度は思い切り殴り飛ばされていた。

「まだまだだよ」

 今度は声に反応することが出来ず、顔、腹、足、顎、腕と次々に衝撃が走っていく。人影は超高速で移動し、そのままの勢いで怪鳥に殴打を浴びせ続けているのだ。

「あ……が……」怪鳥は意識が飛びそうになるのを堪えるが、殴打のラッシュに文字通り手も足も出ない。

 傍から見れば、怪鳥がその場で不自然な動きをしながら、傷を負っていくようにしか見えない。その奇妙な光景を紅蓮の長髪は見ていることしかできなかった。


「い、いったいどうなってんだ……」恐怖から足を動かすことは叶わず、その場に立っているのが精一杯だった。

「どうなってんだよチクショウ!」紅蓮の長髪は叫ぶことしかできない。


「こ……か……ス、に……ゲ……」もはや怪鳥は声にならなかった。

 相変わらず殴打のラッシュは続き、もはや倒れることさえ許されない。

「そろそろ飽きたかな……」人影はようやくラッシュを解くといったん怪鳥から距離を取った。


 怪鳥はその場に膝から崩れ落ちる。


「じゃあ、終わらせるね」

 ひとことだけ言うと、人影は怪鳥の周りをゆっくりとぐるぐる回り始め、徐々にスピードを上げていく。次第に姿が見えなくなると、同時に怪鳥の周りは土煙に覆われ、怪鳥の姿も見えなくなる。


「や、やめろ……」紅蓮の長髪は声を絞り出す。


 怪鳥は遠のきかけた意識を取り戻すが、もう動かせるほどの力は残っていない。立つこともままならず、膝で身体を支えているのが精一杯だ。


 怪鳥は自分は死ぬのだと悟る――。


「願わくばもう一度、あのいけ好かないウサギとその相方の少年と相まみえたかったですね……」


 怪鳥は人影を見据える――。


「ばいばい」


 爆速を超え、音速で走る人影はそう言うと、軌道を怪鳥のほうへ向け一瞬で通り過ぎる。

 怪鳥は通り過ぎざまに見えた人影の顔を忘れない。


 「ああ、あなたの顔はまるで――」

 

 通り過ぎざまに見えた人影の顔は、まるで猫のように幅広な微笑をする、それでいて楽しそうな、そんな少女の顔のようだった――。


 瞬間、怪鳥の体はズタズタに引き裂かれ、目も耳も、鼓膜さえも、自慢だった足も再起不能になっていた。少女に見えた人影は、怪鳥の奥義をいとも簡単に繰り出し、ソニックブームを巻き起こたのだった。

 怪鳥はそのまま崩れ落ちたまま動かなくなった。


「お、おい! 伯爵! 立てよ! 冗談だろ! 立たねえか!」紅蓮の長髪は叫ぶことしかできない。完全に正気を失っていた。


「じゃあ、次は真っ赤なのおじさんだね」


 人影の少女はそのままフッと姿を消す。


「く、来るんじゃねえ! 俺に寄るな! ブッ殺すぞ!」手に持っていたバタフライナイフを目の前でブンブンと振り回すが、空虚を切るばかりだ。


「じゃあね、これはあの子たちにひどいことをした罰だよ」


――薄暗い空間に男の金切り声が響いたが、その声を聞いたものは辺にいたネズミ以外いなかった……。

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