リアルは甘くない

 いつものように決まった時間に目が覚めると、全身がバキバキのビキビキで思うように起き上がれなかった。どうやら想像以上にワンダーランドでのダメージが蓄積されていたらしい……。


「痛ッつー……」

 

 俺は仰向けの状態から恐るおそる体を捻りながらうつ伏せになると、いもむしのようにズルズルと布団から這い出た。


 学校行かなきゃ……。


 腰を捻ったり、伸びをして手足をほぐすことでようやくまともに動けるようになった。どこも骨折なんかしていない。ワンダーランド効果? 高校生の回復力なめんなよ。

 

 階段を下りてリビングに向かうと、すでに両親は仕事に出かけていた。代わりに姉ちゃんが優雅にコーヒー飲みながらテレビを見ている。

 朝からいい香りだ。時刻はもうすぐ七時三十分。

 

 「姉ちゃん、俺にも一杯ちょうだい」

 食卓の椅子にドサッと座ると、ゆっくり背もたれに体重を預けた。


「ん」コーヒーがなみなみに注がれたマグカップを姉ちゃんがズイっとよこす。

「サンキュー……というか、こんなになみなみに入れたら朝から胃が悲鳴上げるよ?」

「文句言うなし。だったら飲まなくていいよ」

「いいよ、適当に飲むから」

「だったら最初から言うなし」

「へいへい」


 姉ちゃんは向かいに座ってテレビを見直している。

 有栖川家は今日も平常運転だ。俺は置いてあった菓子パンを適当に二、三個食べると学校に行く支度をして早々に家を出た。


「いってきます」

「いってらー」


 どうやら今日の姉ちゃんは、朝一から講義はないらしい。大学生って羨ましいよな。俺も早く大学生になりたい。やりたいことないけど……。


 通い慣れた通学路。いつも通りの街並み。今日も平和だ。うん、平和だ。


 ……。


 何が平和だ。平和なわけがない……。

 当たり前だ、昨日あんな体験をしてきたばかりなのだから――。


「ワンダーランド……」


 つい口からこぼれてしまった。目を閉じるとあの奇妙な洞窟の光景が浮かぶ。ドードー伯爵やコーカスとの戦闘。夢じゃないんだ……。

 もちろん分かっている。夢なら起きた時に分かる。身体的激痛があんなに鮮明に残る夢なんてあるわけがない。

 完全に回復したわけではないので節々に違和感はあるものの、これが夢なのだとしたら、俺の寝相はとんでもないぞ。何度も布団から転げ落ちたり、長時間手足がとんでもない方向に曲がっていたり、壁に激突するレベルの夢遊病ではないかぎり無理がある。いや、壁に激突するレベルの夢遊病て……。激突した時点で目を覚ませよ。俺に起きる現象なんて、良くて床ずれぐらいなもんだ。


――なんて、妄想しながら歩いているうちに学校に到着した。いつもならぼやっと歩く道も、妄想すればあっという間だな。いっそ、妄想でワープとかできないかな……。

 校門から昇降口、階段、廊下、教室の扉までこれといった変化はもちろんない。というか、誰一人として俺に声を掛ける奴なんかいないので、あっという間に教室の前だ。

 この扉を開けるとワンダーランドに繋がっていたりして……。

 俺はいつも通りのダルさと、ほんの少し、いや、ごく僅かばかりの期待を込めて扉に手を掛けようとしたその時――


「有栖川!」


 後ろから声をかけられた。


 自分のことを呼ぶ人間などそういないものだから、肩をビクつかせてしまった。

 おっかなびっくり振り返ると、そこにはマルコメ坊主の田中が明らかに不機嫌な顔で仁王立ちしていた。田中の隣には鈴村と浦野さんまでいる。


 俺、なにかやらかした……?

 扉に手を掛けたまま停止するわけにもいかない。

 俺はとりあえず田中の方を向くと挨拶だけする。


「あ、田中、おはよう」

「おう」

「お、俺に何か用?」ちょっとぶっきらぼう過ぎたかな……? というか、朝からなんの用? 俺は何もしていないぞ? それともあれか? 昨日、鍵山さんが言っていた“友達ワクワク大作戦”だっけ? 違ったか? なんかそんなので、田中たちに根回しして、面倒だけどとりあえず俺に話しかけた的な? 友達でも何でもないけど、とりあえず挨拶だけはしとけ的な? ただのクラスメイトなのに、話しかけられただけでこのテンパりようだ。俺、対人耐性なさすぎだろ……。


「用も何も、俺が聞きてえのはひとつだけだ」

「なに?」俺はごくりと生唾を飲む。

「一昨日、鍵山さんとはあの後どうなったんだよ」


俺はきょとんとした。


「……は?」


 同時に、鈴村と浦野さんが爆笑した。

「ぶははは! 田中ストレートすぎ!」

「田中マヂでウケんだけど! つーかあんた、人のプライベートに踏み込むとかマヂないわ」

「笑うなよ! 俺は真剣なんだ!」田中は耳まで真っ赤だ。


 あ、そういえば田中は鍵山さんに気があるんだっけ……?


「……鍵山さん?」

「とぼけんじゃねえよ。昨日も二人して休んだだろ。あれ、ぜってえズル休みだろ。お前ら、その……あれなのか?」真っ赤な茹ダコマルコメ入道だ。

「あれ?」おやおや? なんだか穏やかじゃないぞ?

「田中、あれじゃあ分かんねえだろ、有栖川君に失礼だぞ!」鈴村が茶化す。

「そーだそーだ! 恋愛は自由だろ! そもそも委員長はあんたの彼女でもないんだし詮索すんなしー」浦野さんも明らかに馬鹿にした感じだ。

「おめえらうるせえぞ! 俺は本気なんだ! で、有栖川、どうなんだよ」

 俺は田中に迫られた。文字通り扉に詰め寄られる。

「い、いや、一昨日はちょっと相談に乗ってもらっていただけだよ。昨日は鍵山さんもお休みだったの? それは俺も知らなかったよ、ははは……」明らかに怪しくなってしまった。

「本当か?」田中がジト目でさらに詰め寄る。

「ほ、本当だよ……いやだなあ……俺と鍵山さんが何かあるなんてあり得ないよ。そもそも一昨日だって、鍵山さんが俺を呼んだのは委員長としてだし」

「委員長として?」田中が怪訝そうな顔をする。

「俺がいつもクラスでひとりだから心配になったんだと。どうにか友達ができる方法はないかって。そんな話」嘘じゃなし。というか、田中たちの前でこの話するの最悪すぎるんですけど……。どんな羞恥プレイだよ。


「友達……」田中が顎に手をやる。

「そう、俺ぼっちだから……ははは」はははじゃねえし。

「……」田中の目が細くなる。俺の何かを観察するように。

「お前、鍵山さんのこと好きなのか?」

「は?」なんで急にそうなるの?

「は? じゃねえよ、好きか嫌いか言えよ」

「す、好きも嫌いもないかな……。か、関心はない……というか、そもそも一作日に初めて会話したぐらいだし……ははは」


 ここは何としてもごまかし切るしかない! ワンダーランドに一緒に行ったなんて死んでも言えないし、言ったら変人扱いされてそれこそ人生終了だ。


「本当だな?」田中はなかなか信じてくれない。

「ほ、本当だよ! 昨日だって、俺はラノベの即売会に参加するために休んだだけだし!」もう必死だ。

「ラノベってなに?」

 

 唐突にスマホをいじっている浦野さんが質問してきた。なんだよ聞いてんのかよ!


「へ?」

 

 俺も急だったのですぐに返すことができなった。


「鈴村ラノベってなに?」

「知らね」鈴村は興味なさそうにスマホをいじっている。

 というか、田中が話してんのに二人ともガン無視でスマホいじりかよ! 現代っ子すぎるだろ! 俺も同学年なのが悔しいよ……。


「ら、ラノベっていうのは小説の一種みたいなものだよ、ははは……。好きな作家さんのサイン会があってさ……」

「ふーん、それ面白いの?」浦野さんは明らかな棒読みで返してきた。

「まだ読んでないけど、新作だから楽しみではある。その作家さんの作品は面白いよ」まったく読んだことないけど……。

「浦野、おまえ読まねえのに何聞いてんだよ!」鈴村が浦野さんを茶化す。

「バッカじゃねーの鈴村あんた! 有栖川が可哀そうだから助けてあげただけよ! 田中、そろそろあんたもやめときな。有栖川泣きそうだよ」


 え? 俺、泣きそうなの!? 自分ではよく分からない……よ?


「だってよー、鍵山さんと有栖川のカンケーははっきりさせておかないとダメだろ。俺のコケンに関わんだよ!」

「アンタの沽券だか波動拳だかなんか知ったことかよ! 有栖川が迷惑してんだからそういうことはやめなよ!」

「おいおい浦野、波動拳出してどうすんだよ」鈴村が笑いながらすかさずツッコむ。

「おい、浦野! お前はどっちの味方なんだよ!?」田中が泣き顔になる。

「どっちの味方でもないわバカ!」フンっと言ってスマホをまたいじり出した。朝から何をそんなにいじる必要がある……。

「なあ、そろそろ、中入んねえ?」鈴村がダルそうに言う。

「でも!」田中が食い下がる。

「おい、あとはもう一人でやれよ」鈴村は飽きたのかスマホをしまってイライラし出した。浦野さんはどこ吹く風でスマホをいじっている。


 しばらく田中は何かを考えるそぶりを見せると「分かったよ、有栖川、悪かったな……」とだけ言って、俺からスッと離れた。

 田中は俺の後ろにある扉をガラッと開けると、鈴村たちに「行こうぜ」と促す。

 そのまま鈴村と浦野さんは田中に続いて教室に入っていった。

 俺はというと、もちろん田中たちの後に続けるわけもなく、その場から動けず、扉の前で立ち尽くす。一応、助かった……のか?


 教室の中から鈴村たちの声が聞こえた。


「おい田中、有栖川君に壁ドンとか朝から少女漫画過ぎんだろ!」

「うるせえよ! さっきのは忘れろ!」

「田中、あんたマヂでないわ」

「なになになに? 何かあったの浦野さん?」

「鈴村! 田中が何かやらかしたのか?」


 三人が教室に入るとぎゃはははと活気づく。


 その声を聞いて、俺はますます教室に入ることができなった。


“友達ワクワク大作戦”だっけ? 俺が任務遂行するより前に、Aグループからの奇襲を受ける方が先だった……。いまだに心臓がドキドキする……。

 もちろん、田中にときめいたりなんかじゃない。Aグループと話すのって、こんなに体力を必要とするのか……。みんなこうなのか? 辛すぎるだろ……。精神力高すぎない?

 いま教室に入るのは無理そうだな……。


 朝のホームルームが始まるギリギリまでトイレで時間を潰すことにした――。

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