夢の後?
どういうわけか、公園らしき施設の一角にあるベンチで横たわった状態で覚醒した。
ビキビキと悲鳴を上げる体をゆっくり起こすと「あ!」と声がした。声のほうを向けば、鍵山さんがひとつ隣のベンチからこちらに駆け寄ってくる。
俺はこんなところで何をしていたのだろう……。変な夢でも見ていたような……。というか、全身がめちゃくちゃ痛い……。寝違えた? こんなところで?
「有栖川君! 大丈夫!?」鍵山さんが俺の隣に腰掛けなおした。
「とりあえずこれを飲んだ方がいいわ」
そういって、どこかで買ってきていたのか、ミルクティと英語で書かれた缶を手渡された。
おぼつかない手つきで缶のふたを開けようとするが、指に力が入らない……。見かねた鍵山さんが代わりに開けてくれた。ふたも開けられないとか情けない……。しかし、異様に喉が渇いていたので、お礼を言うと、ごくりと大きく一口含んだ。ミルクティというのはただただ甘そうで、あえて飲んでこなかったが、今はオートで身体が欲しているみたいだった。二口三口が止まらない。
そして甘い! 甘いけどそれがいい! 全身に糖分が染み渡る感覚! こんなに糖分が染み渡った感覚は生まれて初めてだ! 感涙に浸る思いだよこれは。ミルクティを開発した人にお礼を言いたい! 生まれてくれてありがとうと! そういえば、ミルクティにはその上? にロイヤルミルクティもあったはずだ。コンビニかどっかで「ロイヤル」と書かれた商品を見かけた気がする……。きっと、さらに得も言われぬおいしさなんだろうな……。茶葉から抽出される紅玉の紅茶に上質な絹のように滑らかなミルクが絡み合うことで、紅茶のほのかな酸味とまろやかなミルクが混ざりあってできる至極の逸品――。ああ、ロイヤルミルクティが飲みたい……。
――って、そうじゃない! 俺は首を振って思考を戻す。しかし、この甘さはカロリー大量消費後には最高に染みる。全身に糖分が巡ってる感覚があった……。ガムシロップとか飲んだら最強じゃね? ん? あれ? カロリー大量消費ってなんだ?
「ああ、鍵山さん、なんだか俺は変な夢を見ていたような気がするんだ……」
まだ、うまく意識が覚醒していないせいかボーっと鍵山さんの顔を眺める。
「変な夢?」不安そうな鍵山さんの顔に俺は一度意識して目を閉じ、開いた。
果たして目の前には茶色い毛をしたウサギがそこにいた。
「うわあああ!?」
俺は驚愕のあまり仰け反ってしまい、危うくベンチから転げ落ちそうになる。いや、目の前がいきなりモフモフになったら誰だって驚くよね。っていうか、夢じゃなった。ボブだ。このモフモフはまちがいなくあのボブだ。
レゲエウサギのボブが目の前に立っている。相変わらず、タンクトップにカーゴパンツという変な出で立ちのふざけたウサギだ。茶色毛もくすんでるし。
「いや、夢じゃなかったよ……」俺は鍵山さんに答える。
「というか、なんで公園? たしか、エレベーターでワンダーランドへ向かって、そこで……そこで――」
パーンと何かが弾けたように、記憶がフラッシュバックした。
「そうだ! ドードー伯爵と戦ってなかったっけ!? それで、なんだっけ!? えっと、ドードー伯爵は!? コーカスは!?」
俺は混乱の極みだった。
「まあまあ落ち着きなって兄ちゃん」ボブが煙草に火をつけると紫煙をくゆらす。
「とりあえず、俺たちの勝ちだ」そう言ってフーっと煙を吐いた。
「勝ち?」
勝ち? 勝ちってなにが? 何に勝ったの? あのドードー伯爵とコーカスに? どうやって……?
微かな記憶を絞り出そうと試みる――。
――ああ、確かボブの能力で時間が停止して、いや、超演算による身体能力底上げだっけか……。停止しているような速度の中でドードー伯爵をぶん殴って……、それから俺は気絶したんだっけ……。ああ、気絶したのか、鍵山さんの膝の上で……。
「俺が気絶した後になにがあったんだ?」鍵山さんをチラリと見る。
「それはね――」
鍵山さん曰く――。
ドードー伯爵が見えなくなって、いよいよこれはヤバいと思っていたら、いつの間にか俺が姿を消していて、かと思ったらドードー伯爵がいきなり現れて、と思ったらそのまま変な進路で壁に激突してしまったらしい。そして、ドードー伯爵が現れたあたりで俺が倒れ込むのが見えたとか。
そんな結果を目の当たりにしたコーカスは、何が起きたのか理解できていない様子で口をパクパクさせていたらしい。そのうち、ものすごい形相で髪をかき乱したかと思うと、よく分からない罵詈雑言を叫んだのち、ナイフを取り出して倒れている俺たちに向かってきたので、さすがにこれはまずいと思って、鍵山さんはボブに助けを求めたわけだが、ご存じの通り、ボブに戦闘力はほぼ皆無なわけで。いよいよこれは万事休すか――って時に奇跡が起きた。
「【
と叫び声が響いたので、声の主の方を見ようとしたが、見るより先にコーカスが吹っ飛ぶのが見えたんだと。
そう、まるで車にでも撥ねられたかのように弧を描いて。
コーカスを吹っ飛ばした人物は一人しかいない。いや、一羽か。ドードー伯爵がコーカスを撥ね飛ばしたのだった。
鍵山さんもボブも呆気に取られて呆然とするしかなかったのだが、そのうちドードー伯爵がこちらに向き直ると、俺たちの前で深々と謝罪をしたそうだ。
なんでも、ドードー伯爵としては、俺たちを殺すつもりは一切なかったこと、自分は優秀な存在だとボブに認めてほしかったこと、契約した相手――つまり、コーカスがあまりにも横暴だったが、目的のためには契約上逆らえなかったこと、いざ“殺せ”と命令されても割り切れなかったこと、殺してまで欲しい名誉などどこにもなかったことなどなど――。
結局、コーカスのやり方に納得できなかったが、かといって逆らうと契約違反になりペナルティを負うとかなんとかで従っていたようだ(契約違反とかペナルティって何?)。
色々あって従っていたわけだが、壁に激突した混乱の最中で目に飛び込んだのは、いままさにナイフを手にし、邪悪にも人に危害を加えようとするコーカスの姿がそこにはあり、自分の紳士道を思い返して撥ね飛ばすという選択に至ったらしい。
そのままドードー伯爵はコーカスを嘴で掴むと、器用に背中に放り投げて、爆速でどこかへ走り去ってしまったとか――。
俺も倒れているので、そのまま列車に乗り込むわけにもいかず、いったん現実世界に戻ってきたという……。
「っていうか、そんな簡単に現実に戻って来れるの!?」
俺はそこに一番衝撃を覚えた。
「だって、エレベーターでワンダーランドに行ったんだぜ!? 一度行ったらそんな簡単に戻って来れなくない普通?」
「普通はね……」鍵山さんもため息をついて、ボブを見る。
「お前さんたちの普通は漫画やゲームの世界だろ? 世の中、思っているよりもご都合主義なんだよ」
ボブは相変わらず紫煙をくゆらせている。煙たいんですけど……。
「なんだか拍子抜けだなあ……って、鍵山さん! ボブが見えるの!?」唐突に設定を思い出す。
「そうなのよ! なぜかエレベーターに乗り込んでも見えていたから不思議だったんだけど、現実世界に戻ってからも、こうして普通に見えているし、声も聞こえているわ。でも、代わりというか、ちーちゃんはちっとも見えないのよ……」
「ちーちゃんって……ああ、朝に話してた子か……」俺はそんな話をなんとなく思い出す。でも、ボブいわくちょっと特別な子なんじゃなかったっけ?
「ああ、そいつなら心配ねえよ」ボブがフンと鼻を鳴らす。
「きっとそのうちひょっこり嬢ちゃんの前に姿を現すさ」
「そうかしら……、だといいのだけれど……」鍵山さんは手元に目を落とした。
「で、俺たちはこれからどうすればいいわけ?」
「仕切り直しだな」ボブが腕組みする。
「どれぐらい仕切り直しなの?」
鍵山さんは聞くが、そんなのエレベーターに乗るところ、つまり最初からじゃない?
「とりあえず、エレベーターで地下まで降りて汽車に乗るところまではやり直しだな」
――でしょうね。
「じゃあ、また誰かと戦う可能性もあるの?」
俺はあの痛い感覚を思い出す。あれ? そういえば、骨折した感覚はなくなってるぞ? これもしかして身体能力向上した時に超回復した? まあこれはあとでボブに聞いてみよう。
「いや」ボブが意味ありげに片目を瞑る。
「戦わねえ、なんせあの場所は俺たちのものになったからな」
「は?」
「え?」
俺と鍵山さんの声が揃った。
「前までは伯爵があの場所を管理していた。だが、伯爵を倒したいま、兄ちゃんがあの場所の管理者になったわけだ。だから、戦うも戦わないも自由だ」
「ちょっと意味が分からないんだけど」
「要するに陣取り合戦みたいな?」鍵山さんは腕組しながら首を傾げた。
鍵山さん理解するの早くない!?
「そんなもんだな。管理者は基本、自分の管理エリアに入ってきたやつを排除するもスルーするも自由なんだよ。ただし、侵入者に負けたらエリアはそいつに取られちまう。正直、こうもあっさり伯爵に勝てるとは思わなかったぜ。なんせ伯爵は全開の本気はまだ出してなかったからな」
「というと?」俺は本気じゃなかったということに、体が反応する。というか、痛みを思い出す。
「【
「……」俺は何も言えなかった。ラッキーで済ませていいのか? 一歩間違えたら本当にバラバラになっていたんだよな……。
「ちなみに、ボブは俺に目を貸してくれたけど、あれはなに?」
「ああ、あれは俺の能力が戦闘向きではないからな。ああやって、相棒に貸し与えることで力を発揮するタイプもある」俺の目を見ずにフンと鼻を鳴らした。
「そういうパターンもあるのか……」
「伯爵の場合、コーカスより伯爵のほうが身体能力的には高かったから、そのまま伯爵が能力発動させてたんだな。もちろん、俺たちの場合も、兄ちゃんよりもっと頭脳派なやつだったら、違う使い方をしてたかもな」
「わるうござんしたね!」
「そう拗ねんなって」
「拗ねてないよ!」
「で、結局この先はどうするの? 有栖川君があそこの管理者になるなら、戦わなくちゃいけないってこと?」俺の不安を他所に鍵山さんが先を促す。
「いや、賢く生きるならスルーすることだな。もちろん、相手から喧嘩吹っ掛けられる場合もあるから、そん時は倒すしか選択肢はなくなるわけだが、俺たちの目的はあくまでお嬢の討伐だから、ザコどもの相手なんざいちいちしてられねえ。いくらでも素通りさせてやりゃあいい。むしろ先に進むほど厄介なやつらばかりだからな」
「どっちにしろ穏やかじゃないわね……」鍵山さんが顎に手を当て思案している様子だ。
「ちなみに、喧嘩したくないから、譲渡するのはあり?」俺はおっかなびっくりボブに聞いてみる。
「あ? そんな選択肢、俺が許すとでも思ってんのか?」ボブに睨まれた。
「だって痛いの嫌じゃん! 毎回あんな思いするの嫌だよ!」
「じゃあ強くなれ! 俺の能力も分かっただろ。痛い思いしたくねえならあれを自分のものにするしかねえよ」ボブはフンと鼻を鳴らす。
「ちなみに、他にはどんな能力者がいるの?」
鍵山さんが尋ねるが、ボブは釈然としない様子で答える。
「俺も正直ほとんど把握できてねえな。なんせ、契約者によって能力が変わるやつもいるからな。伯爵なんかは分かりやすい直線的な猪突猛進型だったが、中には見た目には分からない能力者もいる。顔を見ればそいつがどんな能力だったかは分かるが、いまもそれとは限らねえ。たとえば、恐ろしい奴だと言葉巧みに思考を操ったり、重力操作や水や火を使うようなやつなんかもいたな」
「なんだかワンダーランドっていうより異種格闘技みたいになってるけど……」俺はげんなりしながらミルクティをすする。甘くて染みる。
「私もそのうち戦わなくちゃいけないのかな?」鍵山さんが不安そうに俺を見つめてくる。
「いや、とりあえず鍵山さんはちーちゃんもいないし、いまはまだそういう場面はないんじゃないかな? とりあえず、痛いのは嫌だけど俺が戦うよ。というか、戦わなくちゃ、いけないんだろ……?」俺はあえてジト目にしてボブを見た。
「頑張ろうぜ主人公!」親指立てて満面の笑みを浮かべるボブを全力でぶん殴りたかった。
気づけばもう夕暮れだ。ワンダーランドでの時間軸って、現実世界でどれぐらいなんだろう……。
そんなことを思ったりするが、とりあえずいまはヘトヘトで全身が怠い。早く帰ってふかふかの布団でぐっすり寝たい。
ということで、今日はいったん解散し、明日の放課後にまたこの公園で集合することになった。
主人公に憧れるのは、“漫画のような”であって、痛かったりしんどかったり、泥臭い主人公じゃないんだよなあ……。
俺はワンダーランドに行ったことを少しだけ後悔しながらも、なんだかんだ他とは違う特別な体験をしていることに高揚し、ちょっとだけ優越感に浸りながら帰路へと着いた。
次の日のことなど考えずに……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます