あれ? なんだか、止まって、見えるよ?

 世界は停止していた――。人も音も気配も空気さえも。


 そう、今この瞬間で動けるのはどうやら俺だけらしい。いや、正確には俺とボブの二人だけだ――。二人だけの世界って表現がなんだか気持ち悪いけど……。


「ボブ、これは……どういうこと?」相変わらず理解が追いつかない。

「チッ、時間がねえから手短に話すぞ」少し苛立たしげにボブが続ける。


 ボブいわく、いま俺たち二人がいる世界の時間軸とはちょっと違うらしい。

 ただし、“この世界”という表現はちょっと違っていて、いま俺の目を通して動いている世界が静止しているのであって、現実的には動いている。良く分からないかもしれないがそういうことらしい。

 ボブいわく、世界が止まっているのではなく、俺の思考速度がものすごく速すぎるから、あたかも止まってしまっているように見えるんだと。ものの動きが止まって見えるほどに俺の動体視力や脳がフルスピードで処理をしているのだ。


 F1レーサーがレース中は早すぎるがゆえに景色がモノクロに見えるとかそんな感じ? いや、違うか?

ボブいわくは超演算らしい。要するに、脳や肉体が安全装置リミッターをはずしている状態――というか、普段人間の脳は10%の力しか引き出せないように制御が働いているのだとか。この安全装置リミッターは火事場の馬鹿力とか、危機的状況に陥った際、脳の安全装置が外されてアドレナリンの大量放出によりエネルギー代謝や身体能力が格段に引き上げられ一時的に力を発揮するものらしい。


 俺はいまそんな状態なのだと――。


 そして、ボブはというと、俺の契約者なので、術の発動中は感覚を共有しているらしい。


 で、どういうこと?


「で、ボブ……、これどうすればいいんだ?」


 正直俺は戸惑っている。なんでこんなことになってしまったのか。たしか、ドードー伯爵にフルボッコにされて全身の痛みに涙していたはずだ。それがいまや、身体能力の一時的な引き上げにより、体の痛みも感じなくなり、普通に立っている。もちろん、俺たちは超加速世界の中で動いているので、鍵山さんやコーカスたちの目にそんなふうには映っていない。時間軸が違うのだ。極めつけが時間停止ときている。


「とりあえず、時間があまりねえ、伯爵だけ倒すことを考えろ」ボブの声に余裕はない。

「とはいえ、どうすれば?」

「単純に殴りゃあいい」

「は?」

「あいつは今ものすごいスピードでこっちに突っ込もうとしている」


 見れば正面にドードー伯爵の姿がある。普通に見える。そうか、今はドードー伯爵より俺の方が次元的に見えるスピードが速いから、姿もはっきりと認められるのか。止まっているのでとても速そうには見えないが、走っているようには見える……かな? 実感が湧かない。


「いわば車の正面衝突さ。向かってくる車に対してこちらも正面から突っ込んだら、そりゃあエネルギー量の多い方が勝って、弱い方は吹っ飛ばされちまう。この場合、兄ちゃんは止まってるから当然運動エネルギーはゼロだし、仮に受け止めたり、反発しようとしても負けちまう」


 なんか物理の授業みたいで嫌だな……。


「だが、正面じゃなく横面からならどうだ? 正面衝突ではエネルギー量に勝ち目はないが、横からならエネルギーのベクトルが違うから、ちょいと押してやりゃあ相手はバランス崩して自滅するって寸法さ」


 うーん、分かったような分からないような……。俺、物理苦手なんだよな……。ばりばりの文系思考ですよ? 歴史とかが好きなんですけど。


「要するに横に移動して殴ればいいってこと?」

「そういうことだ」ボブはフンっと鼻を鳴らす。

「簡単に言うなよ……」俺はげんなりする。

「それぐらいやれるだろ? 止まったやつ殴るだけの簡単のお仕事だ」

「俺が、俺が人を……いや、人っていうか、誰かを、何かすら殴ったことなんかないんだけど……」

「思いのほか簡単さ、顔に向かって拳を叩き込みゃあいい」

「だから簡単に言うなよ。殴るって結構勇気いるぞ? むしろ殴った方も痛いだろうし……」

「おい、四の五の言ってねえでさっさとやるんだ。時間がねえって言ってるだろう」

「いや、静止してるし時間なんかいくらでもあるだろう?」俺は不思議に思う。

「あ? 兄ちゃん死にてえのか?」


 どういうこと?

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