コーカスレース

「汽車が到着しちまった! 停車時間は30分ほどあるが、さっさとこの場をなんとかしねえと!」ボブが俺たちに向かって叫ぶ。


「なんとかって! どうすればいい―― いてててッ!」つい叫んだもんだから腹に響いた。

「有栖川君は無理しないで!」そう言うが、鍵山さんもどうすればいいか分からず、ただ俺を支えている。いや、非常にありがたいのだが、俺ってば格好悪すぎでしょう……。


「女に支えられるとはざまあねえなあ!!」唐突に汽車の方から声がした。

 

 痛い鳩尾を抑えながら汽車の方に目をやると、悠然とした歩みでこちらに向かってくる人影が見える。

 ドーム内の薄っすらとした明かりにも目が慣れてきたのか、その人影が体格的に男だと認められる。男は革パンっぽいわずかに光沢があるズボンを履き、暗がりでも分かる真っ赤なダウンベストを引き締まった素肌に全開で羽織り、まるで煉獄の炎が燃盛るような紅蓮の長髪をカチューシャでオールバックにまとめていた。

 男はドードー伯爵の横に並ぶと親指の関節をゴキッっと鳴らす。


「おめえが伯爵の相棒かリンゴ頭……」ボブが紅蓮の長髪男を睨む。

「あ? なんだお前? 誰がリンゴ頭だボケ、粋がんなよクソチビピーターラビットが」

 紅蓮の長髪男はボブを見下ろしながら威圧的に睨みつける。正直怖すぎなんだけど……。っていうか、ピーターラビットって……。


「コーカス! わざわざ降りてきたのですか。こんなウサギちゃんたち、私ひとりで十分だというのに!」

 ドードー伯爵は大げさに尾羽を広げて見せる。なんだか少し焦っているようにも見えるのは気のせいか……?

 あの紅蓮の長髪男はどうやらコーカスという名前らしい。外人なのか?


「伯爵! 俺を差し置いてなにてめえだけで楽しもうとしてんだ。あ? 俺がいつお前にそんな権限を与えたよ?」

 コーカスという男に言われるや否や、ドードー伯爵は狼狽える。

「い、いえいえ、そんな勝手になどと滅相もない! ただ、コーカスの手を煩わせることもないと思った次第ですよ!」


 んん? なんだか穏やかじゃない関係か?

 そこにすかさずボブが横やりを入れる。


「伯爵よお、おめえ相棒の人選ミスったんじゃねえか? 完全に主導権握られてんじゃねえか。つーか、おめえの今の出で立ちは、リンゴ頭の影響だったのか」ボブはフンと鼻を鳴らした。

「う、うるさいうるさいですよ! ピーターラビットの分際で! あなたなんか私一人でけちょんけちょんにして差し上げます!」


 そう言うと、ドードー伯爵はまた姿を消した。いや、ものすごいスピードで移動し始めた。


「チッ、来るぞ兄ちゃん!」そう言ってボブは身構えた――。


 直後、ボブは車にでも撥ねられのたかのごとく勢いで飛んでいく。しかし、あらかじめ衝撃に備えていたのか、空中で態勢を整えると、キャット空中三回転よろしく、にゃんぱらりで着地した。


「伯爵よお、おめえの攻撃は直線的すぎんだよ。さっきの兄ちゃんへの攻撃とその前後の動きですでに見切ったぜ。瞬間的にガードしてりゃあそんなに大きな衝撃にならねえ」

 ボブはまたフンと鼻を鳴らしながら涼しげな顔で口の端を釣り上げた。明らかな挑発だ。


「ぴぴぴ、ピーターラビットの分際で生意気な!!」ドードーはコーカスとかいう長髪男の横で地団太を踏んでいる。

「伯爵! 安い挑発なんざに乗るんじゃねえ! クソが!」コーカスが声を荒げると、ドードー伯爵はビクッと肩を震わせ押し黙った。明らかにコーカスに怯えている。


 俺はコーカスと目が合う。そのままコーカスは鍵山さんの方を見た。

きっと鍵山さんもコーカスと目が合ったのだろう。ビクッと肩が震え、俺を支える手が強張ったように感じた。


「伯爵よお、ピーターラビットなんざ攻めたって意味ねえんだ。ちょうどいい、あの女のほうを狙え」

コーカスは嗜虐的な笑みを浮かべながら言う。


 一瞬、ドードー伯爵の顔が歪むが、残像となって消える。俺には消えたようにしか見えない。

 当の鍵山さんは俺を支えるというより俺にしがみつく形になっていた。足も震えている。それなのに俺はそんな鍵山さんに支えられている。ダサすぎだろ……。

 しかし、そんな鍵山さんにボブは「嬢ちゃん! 動きに惑わされるな! 衝撃にだけ集中しろ!」なんて言う。

 いやいや、そんなのどうやってやんのさ!? 車に衝突する瞬間だって集中するとか無理でしょう!

 鍵山さんは目が泳いでいてボブの声が耳に届いていない様子だ。俺は一歩前に出て、鍵山さんの前に立つ格好になる。ここで男を見せないでどうする。俺はこう見えて男だ。


「有栖川……君?」わずかに鍵山さんのかすれた声が聞こえる。

「ボブ! 集中って!? どうすればいい!?」俺は叫ぶ。

「チッ!」ボブが舌打ちしてこっちに走ってくる――。


 同時に、地面が突如横向きになり、ボブが横に走っている……ように見えた……よ?


 俺は真横からドードーに突進を食らったのだった――。


 衝撃が強すぎて、痛みより先に頭が動いている。

 俺、撥ねられた!? 飛んでる!? 車に撥ねられるとこんな感じなの!? ボブがこちらを見て何かを言っている――。鍵山さんがこちらを見て何かを叫んでいる――。でも、衝突の衝撃で耳がキーンってなって何も聞こえないよ? これ今どうなってんの……? これがいわゆる交通事故?

たぶん、思考時間的には刹那にも満たないかもしれない。俺は地面に叩きつけられてようやく痛みを感じる。にゃんぱらりとか無理だっつーの!


「っつ……いっ……たっ……」声にならなかった。痛い痛い痛い。泣きそうなんだけど。

「有栖川君!」また鍵山さんが駆け寄ってきて俺を抱きかかえる。恥ずかしいけど、それより痛い。

「痛たたたたたたッ!」大袈裟でなく、鍵山さんが支える右腕が痛む。これ、腕も折れてるよねきっと!? こんなに骨折したらショック死しない!?

「有栖川君ごめんね! 私のせいで! ごめんね!? ごめんね!?」鍵山さんはぼろぼろ涙を流し俺を抱き寄せる。田中が見たら発狂どころじゃないだろうな……。いや、さすがにこの状況で田中が怒る方がおかしいか……。どうでもいい。いまはそれどころではない。


「腕、折れてるかも……超痛てえ……」鳩尾やられて肋骨折れて、腕まで折れて、もう嫌だよ。

しかし、状況が状況だけに誰も待ってはくれない。


「兄ちゃん、起き上がれるか?」この状況でそんなことをボブが聞くのだ。

「痛いから無理!」俺は正直に答える。痛いから動きたくない。当たり前だ。

「有栖川君、ごめんねごめんね……」鍵山さんは嗚咽交じりに謝る。

「立て!」ボブが怒る。

「嫌だ! 痛い!」俺はごねる。

「ボブさん無茶言わないで!」鍵山さんが割って入る。

みんなが韻を踏んでいる。どうでもいい――。とにかくこの痛みなんとかして……。


「ざまあねえなあ! ハハハハ!」コーカスは両手を広げ高笑いしている。


「…………」ドードーは苦悶の表情を浮かべて黙っている。


「おいボウズ!」ボブがまた叫ぶ。

「いい加減、男を見せやがれ! 立て! 立たなきゃ死ぬだけだ」

「嫌だ……死にたくない……。でも痛いのも嫌だ……」俺はかろうじて返答する。

「オメエさん主人公になりたかったんじゃねえのかよ! 立てよコラァ!」いよいよボブも怒鳴る。

こんなに痛い思いしてまで主人公なんてまっぴらなんですけど! 主人公甘く見すぎてました!


「伯爵! とどめだ。そのガキを始末しろ!」コーカスが伯爵に命じる。

「し、始末!?」伯爵が青ざめたような顔で驚愕する。


 なんだ? やっぱりなにか様子が変だ。俺は痛いながらも、死にたくないのでなんとか立ち上がる。


「なんだ、できねえのか?」コーカスが伯爵に詰め寄る。

「できねえのか? ガキひとり」

「も、もちろんできますよ、始末ぐらい……。でも、まだ子供ですし……。そもそも始末なんて……」

「あ? お前なに言ってんだ?」コーカスは理解できないと言いたげな顔できょとんとする――が、すぐに顔つきが変わる。


「明確に命令してやるよ伯爵、そのガキを殺せって俺は言ったんだ。いいか……」とても先ほどまでのコーカスとは思えない、冷淡な表情、声音で伯爵に命じる。



 ゾクッとした――。

 伯爵は幾ばくか逡巡した後、

「でも……さすがに殺しは……それは……紳士として……」などぶつぶつ言いはじめる。

 

 コーカスがドードー伯爵の胸倉――というかベストを掴む。


「おい、誰のおかげでここにいられると思ってんだ? あ? 俺は別にいいんだぜ? おめえが死のうがどうなろうが。別におめえがいなくたってやることは変わらねえ。殺したって何したってここじゃあ無罪なんだろ? あいつら殺したら次は伯爵、てめえを殺してやるよ」

そう言ってコーカスはドードー伯爵から手を離す。


「ああああああああああああaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――――――!!」

 ドードー伯爵が両羽を広げて叫ぶ。その目に涙を浮かべて――。


「【第一宇宙速度コズミックレート】!!」


 ドードー伯爵がいた場所には土埃だけが舞い、そして消えた。

 先ほどと違い、気配すら感じることができなった――。

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