彼はウサギですか? いいえ、ボブです。
なんのことはない。レゲエウサギいわく、エレベーターでワンダーランドまで行けるそうだ。俺と鍵山さんはレゲエウサギに続いてエレベーターに乗り込んだ。お巡りさん、不法侵です。
『不思議の国のアリス』でなぞらえると、アリスが白ウサギを追いかけて、ウサギの穴に落ちてしまい、そこからワンダーランドに行くんだっけか? それをエレベーターというのはなんとも現代的だ。まあ、自由落下じゃないのが救いだが、実際問題どうやって行くんだ?
「なあウサギ」俺はレゲエウサギに問いかける。
「どうやってワンダーランドに行くんだよ?」
レゲエウサギは俺の顔を見上げると、不満そうな顔をして「チッ」っと舌打ちした。
「なんだよ感じ悪いなあ」
「俺の事を気安くウサギなんて呼ぶんじゃあねえよ」
「今更かよ! じゃあなんて呼べばいいのさ」
「そうさなあ」
顎のあたりに手を擦ると、レゲエウサギは二カッ黄色い前歯を光らせて言った。
「親しみを込めて“ボブさん”って呼んでくれよ」
「ボブさん? お前のどこにボブ的要素があるんだよ? そもそもボブってなんだ」
「おい、てめえボブの名を侮辱したら殺すぞ?」
殺すなんて物騒な……。しかし、背筋がぞくぞくしてしまうぐらいには眼光鋭く、言葉通り殺されかねない目で射貫かれた。どうやらレゲエウサギの琴線に触れてしまったらしい……。ボブ関連は気を付けよう……。なんだボブ関連って……。
「わ、分かったよ……しかし、なんで“ボブ”なんだ?」
「あ? ラスタっつたらボブだろうがよ」
「そうなのか……全然分からん……」
「教養がねえ男だ、そんなんじゃあモテねえぞ」
「わるうござんしたね!」口を開けば悪態ばかりだ。
「どうかしたの?」と鍵山さんに聞かれたので、簡単に顛末を話した。
「ボブさん、いいじゃない! ウサギなのにボブさんって渋い!」
鍵山さん的にはありなのか。っていうか、どこが渋いんだ。
「嬢ちゃんは物分かりが良くていいな!」
扉が閉まるとエレベーターが動き出した。ボブいわく、異世界の住人がエレベーターに乗ると、異世界との道が通じて、直通運転になるそうだ。ただし、異世界と繋げるには条件が色々あるみたいでややこしいとか。しかし、どこまで行くのだろうか。
「なあ、ぼ、ボブさん、さっきから俺たち、ずっと下ってるけど、これはいまどのぐらいまで降りているんだ?」
そう、かれこれ5分ほどは経っている。どのくらいのスピードかは分からないが、エレベーター特有のふわっとした感覚はないので、そんなに早く動いてはいないと思われる。本当に一体どこまで降りるのだろう。
「そうさなあ――」
レゲエウサギ……ボブ(敬称略)は回数を示す表示パネルと、各フロアのボタンがある辺りを見ながら何かを数えていた。というか、いまさら気づいたことなのだが、このエレベーターには回数を示す表示パネルも各フロアのボタンも付いていなかった――。代わりに上ボタンと下ボタンのみが備え付けられている。シンプルすぎるだろ……。いまは下ボタンだけが点灯している。ボブが乗り込んだ時に押したのだろう。
「まあ今は大体地下100メートルぐらいってところじゃねえか?」
「ひゃ、ひゃく!?」
俺の驚きに鍵山さんがびくっとする。
「ちょっといきなり叫ばないでよ! ボブさんと何か話してるみたいだけど、こっちはこっちで大変なんだから」
そういえば、鍵山さんは鍵山さんで大変なのを忘れていた。
「その女の子はいまはどうしているの?」
鍵山さんは視線を下に落として、何かを撫でるような仕草をしながらいう。
「いまは少し緊張というか怯えているのか、私にぎゅーってくっついているわ」
「そっか、まだ小さな女の子だって言ってたもんね」
「そうなの、だからあんまり驚かさないでよね」
「ごめんごめん」俺は謝りながらも今の話を鍵山さんにも伝える。
「そんなに驚くほどの深さではないと思うけどね、日本一高い東京タワーのエレベーターだって、たしか250メートルぐらいだったと思うし」
「そうだったんだ? 俺はあまりそういうの詳しくなくてさ。単純にびっくりしたよ」
「まあ、私生活でそんな高いところに行くこともないものね」
「そうだよ。せいぜい学校の階段で4階まで登るのが関の山じゃない? 4階建てだって高いと思うけど……」
「学校の高さなんてたかだか12~3メートルよ。それぐらいだったら簡単に飛び込めるレベルよ」
「飛び込むって……」
出た! 中学時代の逸話は本当だったんだ!
「冗談はさておき、最終的にはどのくらいまで降りるのかしら?」
「そうだよね、なあボブ……さん、最終的にはどこまで降りるんだ?」なんだか、見えない人と見える人が会話をするって不便だなあ……。
ボブは俺たちの会話を聞いていたのだろう。鼻をフンと鳴らして興味なさげに答えた。
「3000メートルぐらいじゃねえの? 深さなんか興味ねえから知らんけど」
「さっ!?」途方もなさすぎて全然ピンとこない。
「さ、さんぜんめーとるだってー……」俺は鍵山さんにげんなりしながら答えた。
「けっこう深いわね……」ふむといった感じで唇に人差し指を当て考える仕草を取る。
「どれぐらい深いの?」俺は無知なのだ。
「だいたい石油が出てくるぐらいの深さかしら?」
「余計ピンと来ないよ……」
「まあ深さなんて問題じゃないわね。仕組みは分からないけど、3000メートル降りたところにワンダーランドが広がっているのでしょう? 早く到着しないかしら」鍵山さんはちょっと楽しそうだ。
「鍵山さん、なんだか楽しそうだね」
「なんで? 有栖川君は楽しくないの? こんなことって普通じゃあり得ない体験でしょう? ワクワクしないほうがおかしいわよ」
「俺はむしろワクワクより3000メートルにピンと来ていないから恐怖のほうが大きいよ……」
「もっとこの状況を楽しみましょう有栖川君! そんなじゃあ先が思いやられるわよ?」
「さいですか……」
俺はあからさまなため息をひとつついた。
別にワクワクしていないわけじゃない。夢に見た非現実が現在進行形で現実になっているのだから。でも……、でも、心の準備ってものがあるでしょうよ! 確かにこういうのって唐突に始まるものだとは思うけどさ! 思ってた以上に超展開で、俺の小さな脳みそでは全然処理が追いつかないんだよ! 楽しみにしていた分だけ、この状況を素直に楽しめていない自分に悔しい気持ちもあった。
「鍵山さんが羨ましいよ」
「なんで?」
「純粋に状況を楽しめて」
「有栖川君だって楽しめばいいじゃない」
「俺が楽しむまでにはもう少し時間がかかりそうだよ」
「…… 難儀なことね」
そうこう話しているうちに、ずいぶん時間が経っていたらしい。
「兄ちゃん、嬢ちゃん、そろそろ着くぜ。だから先に言っておく」
鍵山さんには聞こえていないけれど、俺はごくりと喉を鳴らした。
「ここから先は命の保証はねえ。ワンダーランドからしたらお前たちが異世界の住人だ。イレギュラーに対して容赦しねえ。自分の身は自分で守れ。そして、最後まで戦え。お前らの役割はハートのお嬢の討伐だ」ボブはわざとらしく佇まいを正して軽く会釈をしながらそう言った。あまつさえ軽薄な表情を浮かべながら。
「なっ――」
「おっし、じゃあそろそろ着くぜ」
「待て待てよ!」
「なにかあったの有栖川君?」
鍵山さんにはいまの話が聞こえていないので、温度差がすごい……。でも仕方がない……。俺はひとつたっぷり息を吐いたあと、鍵山さんに伝える。
「鍵山さんいい? エレベーターが到着したら、いよいよワンダーランドだ。向こうからしたら、俺たちのほうが異世界からの来訪者になる。だから、何があっても不思議じゃない。俺たちの現実では起こりえないことだって平気で起こるかも。だから、ボブいわく、自分の身は自分で守れだって」
「そっか、分かった」とだけ鍵山さんは返事をし、正面に向き直った。ちょっとだけ空気がピりつく。なんつーか……、鍵山さんの順応性がすげー羨ましい……。
「おい兄ちゃん」唐突にボブ。
「うん?」
「だれがボブだ、俺を呼ぶときはボブ“さん”だろ!」そう言って、モフモフの足で俺はふくらはぎを蹴られた。痛くもかゆくもない。
ボブはチッと舌打ちすると「まあいい、そろそろだ準備はいいか」とだけ言って正面を向く。
「準備もなにもなるようにしかならないでしょう……」
俺は深呼吸する。それを見て鍵山さんも深呼吸する。
深呼吸に合わせて、エレベーターが止まった。
ポーンと、エレベーターに乗り込む時と同じ音がなり、扉が開く。
扉の先、地下3000メートルの世界は、想像を絶するほどに――。
学校の教室であった――。
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