いざ、ワンダーランドへ!

 約束の午後三時より十分前、俺は『ビッグツリーバイダブルビッグツリー』の前にいた。

 あっれえ? 名前が違うぞ? でも、住所だとここだし、ちょっと似ている……。『ビッグツリー』よりも二倍大きいぞ? 増築でもしたのか? しかし、鍵山さんもいたので、どうやら間違っていないとは思う……。しかも、鍵山さんは聞けばなんと1時間も前から待っていたらしい。ワクワクしすぎて早く出てきてしまったんだと。

 もちろん、鍵山さんは母親が風邪で寝込んでいるので今日一日は看病のため学校を休むという理由であっさりズル休みを遂行させた。

 結果的に二人ともズル休みは楽勝だった。意外と世間って甘いのな。ちなみに俺はというと、一応、口実として使った“ラノベ”作家のサイン会に行ってきた。よく知らない作品だったけど人気らしいので時間があったら読んでみようか。

 それにしても、年頃の男女が平日にズル休みして二人きりで会うのに、それほど鍵山さんのことを意識しないのは、この後に待ち受けているであろうスペクタクルのほうに胸が高鳴っているからだろうか……。

 っと、前置きはこのくらいにして。


「ここで、合ってるよね?」

「たぶん……地図だとここで合ってるから」

「最近名前変えたのかな?」

「それはそうと、有栖川君」鍵山さんがそわそわしている。

「ん?」

「その様子だと……見えていないわよね?」

「何が?」

「やっぱり……」


 よく分からない。そういえば鍵山さん、今日会った時からなんだか様子が変だったな。急にブツブツひとりごとを言ったり、かと思えば何かを抱えている仕草をしたり、一体何なんだろう?


「落ち着いて聞いて欲しいんだけど」

「何?」

「昨日、有栖川君を疑った自分を悔いるわ。というか、今更だけどごめんなさい」


 悔いて謝られた。


「だから何だよ?」

「その、有栖川君には大きなウサギが見えるのよね?」

「うん、そういえば今日はまだ見てないな。あいつどこ行ったんだろう」

「有栖川君には私の隣にいる女の子は見えている?」

「えっ?」


 全然気づかなかった。俺は鍵山さんの隣にいるという女の子を探す。視界に入っているなら出会った直後に気づくはずなのだ。しかし、そんな人物はどこにも見当たらない。


「え? ちょっ、それって、どういうこと?」

「昨日の私と同じよ」

「は? まさか俺と同じで自分にしか見えない何かが見えるってこと?」

「察しが良くて助かるわ」

「勘違いじゃなくて?」

「うん」

「他の人には見えない?」

「そうみたい」

「家族では?」

「もちろん今朝確認済み」

「なるほど……」


 俺以外にもそういう人間っていたんだ。しかもこんな身近に。ちょっと特別感あった気がしたけど、レゲエウサギの言うとおり、やっぱり別に特別でも何でもなかった。せめて、俺がレゲエウサギと出会ったことで、そういうのを引き寄せたとかだったら物語の主人公っぽくて良いのになあ……。しかし、女の子ってなんなんだろう?


「どんな感じの子?」

「どんな感じって?」

「ああ、見た目とか。何かの動物みたいとかあるの?」

「ううん、私には小学校低学年ぐらいの普通の可愛らしい女の子に見えるわよ?」


 ワンダーランドにそんなそんなキャラいたっけか? まさかアリス? 主人公級!?


「うーん、とりあえず、レゲエウサギを見つけたら聞いてみるか」

「お願いできるかしら。私も朝から動揺していて落ち着かないのよね。昨日まではワンダーランドに行けるんじゃないかってワクワクしてたのに、今はむしろ不安しか無いわ」

「というか、ちゃんと幻想を信じているあたり、大丈夫だと思うぞ? 俺なんて未だに半信半疑だし」


 話していたところで、マンションの自動ドアが開き、昨日見たレゲエウサギが中から出てきた。今日は白いタンクトップにカーゴパンツスタイルだ。相変わらずラスタカラーのニット帽を被り、首から金の時計をぶら下げている。ガラが悪いなあ。


「よう、来たんだな。しかも、ちゃんと場所まで突き止められて。本当に夢見がちな坊やだったんだな。バカだけど俺としては嬉しいぜ! さあ、ついて来いよ」


 クイッと親指を立て後ろに示し、ついて来るように促す。

 だが、俺も鍵山さんも動かない。いや、鍵山さんは動くはずがない。当然何が起こっているのか分からないからだ。彼女の目に写っているのは、ただ唐突に自動ドアが開いただけなのだから。

 しかし、俺は警戒する。おそらくここが現実と幻想の境界線。戻って来れるかも分からない異界との最終防衛ライン、狭間にして隙間。とりあえず、何か言わなければ。


「なあ、レゲエウサギちょっと待ってくれ」

「ああ、それでドアが開いたのね」


 俺のひとことで鍵山さんがなんとなく理解してくれたようだった。発言のタイミングとしてはズレまくっているけど……。

 先導しようとしていたレゲエウサギが歩みを止めて振り返る。


「あ? 何だ。今更ビビってんのか?」

 口角が上がり、濁った赤い目が挑発するように細まる。

「いや、そうじゃない。ちょっと鍵山さんのことで相談したいことがあるんだ」

「なんだよ。お前さん、その嬢ちゃんに惚れたのか」

 いやらしい笑顔で黄色い歯を見せてにやける。

「ばっか! ちげーよ!」

 思わず声を荒げてしまった。

「どうしたの? 何かあったの?」


 鍵山さんが心配そうに顔を覗き込んできたので俺は余計に焦った。顔近っ!


「い、いや、ななななんでもないよ? うん、なんでもない」

 今の俺は昨日の野々村君並みにキョドっている。

「ならいいんだけど。それで、どう?」

「ごめん、今から聞く」

 俺は袖で顔をごしごしするとひとつ息をしてレゲエウサギに改めた。

「実は、鍵山さんにだけ女の子が見えるみたいなんだけど、俺には見えないんだ。これってやっぱり鍵山さんにもお前みたいなワンダーランドの住人が憑いてるってことなのか?」


 レゲエウサギの濁った赤目が細まる。


「兄ちゃん、その嬢ちゃんに憑いてるやつっていうはどんなやつだ?」

「どんなやつって言われても……なんか普通の女の子らしいぞ、小学生ぐらいの」

「…………」


 細い目がさらに細くなる。


「だれか分かるか?」

「………」


 さらにさらに細くなる……。ほとんど閉じていると言っていい。


「おい、なんとか言ってくれよ」

「………」


 カッと濁った目が見開いた。――ごくり。


「分からん」


 ずこーっ!


「分からないってどういうことだよ!」

 その言葉を聞いたのか、鍵山さんも反応する。

「分からないって何が?」

 俺は正直に話した。

「どうやら、レゲエウサギでも、鍵山さんに憑いている女の子の正体は分からないらしい……」

「そっか……」

 鍵山さんは少し残念そうにちらっと自分の右隣少し下に視線を落とした。

「分かんねえもんは分かんねえんだからしょうがねえだろ」

「お前は開き直るな。っていうか、お前にもその女の子は見えないのか?」

「見えねえ」

「それはおかしな話だな。同じ異世界の住人同士のはずなのになぜ見えない」

「現実世界ではお互い干渉しないようになってんだ。たぶんお互い見えてたら戦闘になっちまう」

「戦闘? なんでそんなことになるんだよ」

「いまのワンダーランドは誰が味方で誰が敵か分からねえ。お嬢側の兵隊なのか、はたまたレジスタンスなのかな」

「ワンダーランドって名前なのに、随分物騒なんだな……」

「まあ、その辺は自分の目で見るのが一番早えわ」

「でも、そんなこと言ったら、レゲエウサギなんか女王の側近なんだから色々な人に狙われるんじゃない?」

「そこは抜かりなくやってるからおめえさんが気にすんな」

「そうなのか?」


 どうも腑に落ちないところもあるが、まだ謎が多いぶん、確かに自分の目で見ないことにはなんとも言えないな。


「ねえ、そろそろ出発しない?」

 鍵山さんが切り出す。

「そうだったね。じゃあ、そろそろ行こうか。レゲエウサギ、頼む」


 おう、と言ってレゲエウサギは歩き出した。といっても、マンションのそう広くないエントランスにあるエレベーターの前に立つとそこで止まった。


「ここが入口なのか?」


 俺が尋ねると、「おうよ」とだけ応えて、レゲエウサギは飛び跳ねてエレベーターのボタンを押した。


「ここが入り口なのね……」


 鍵山さんも同じことを口にする。レゲエウサギが見えない分、会話がうまく繋がらないのがもどかしいな。


 すぐに「ポーン」と短い音がして、エレベーターの扉が開く。

 俺と鍵山さんが同時に息を飲む音が聞こえた。


「オーケー! ボーイズ&ガールズ! イッツ、ショータイムだ!」


 レゲエウサギが気分良さげに掛け声を放つが、果たして扉の先はよく見る普通のエレベーター機内のそれだった。


 俺はレゲエウサギの顔を見た後、鍵山さんに向き直る。


「じゃ、じゃあ……とりあえず、乗ろうか……」

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