智昭
私には胸を張って家族と言える家族がいなかった。
どこにも心の休まるところがない、土砂降りの中の暮らしだった。
大学に進学するお金もなく、かと言って奨学金を借りてまで勉強をしようという熱意もなく、たかが知れた高卒女の働ける場所は、雀の涙ほどのお金しか手に入らないパートタイムの延長のような流れ作業だけだった。
仕事は大変だったけれども、それでも家にいるよりは何倍も何十倍も気が楽だった。いつも男をとっかえひっかえしながら酒に溺れる母親と、顔を合わせるのがイヤだった。見ていられなかった。
そんな母親もあってか、家は小学校の頃からずっと貧乏だった。けど、物欲がなかった私は、学生時代のバイト代や卒業後の仕事でそれなりのお金を貯めていた。
いつかこの家から逃げ出すために。
どこで何をやっていたのか、何日も家を空ける事が多かった母親は、私が学生だった頃から碌に食事も作ってくれなかった。私の事よりも自分が大切な母親だったから。
当然、私も学生の頃から家に帰らず、数少ない友人の家や夜の街を渡って歩いていた。
そんな時、田舎町の寂れたライブハウスで智昭と出会った。
お互い二十歳の時だった。
一日一日をただ無意味に消化していた私には、大学に通いながら自分のスリーピースバンドでライブ活動をしていた智昭がとても眩しく見えた。
私は智昭の家に入り浸るようになり、すぐに自分の家にいるよりも智昭の家にいる時間の方が長くなった。
楽しかった。今までの暮らしが特別不幸だとは思わなかったけれども、土砂降りの人生に智昭が一時の傘をさしてくれたような気がした。
智昭と一緒に行った初夏の軽井沢で、突然降り出した雨から逃げるように入った喫茶店。
店内に広がった、心に染み入るブルースの調べ。
智昭はすぐに夢中になった。ブルーノートスケールで彩られたその曲に。
『どうして降るときはいつも土砂降りなんだ』
音楽の話で智昭と意気投合したコーンパイプを咥えたマスターが、その歌の歌詞にもなっている曲名の日本語訳をさらりと教えてくれた。
私たち三人は、窓の外の土砂降りを見て大きく笑ったっけ。
あの時ばかりは、土砂降りさえも楽しく思えた。
物心ついた頃から本当に歌が大好きで、両親に褒められては声が枯れるまで歌っていたあの頃の私。でも、歌を習った程度で、厳密に音楽として学んだ事はない。
ブルーノートスケールは本来の西洋音階から僅かにずれた、ブルーノートと呼ばれる音階を含んだスケールで、ジャズやブルースに使用され哀愁漂うフレーズを紡ぎ出す。それは、何度も何度も耳にタコができるくらい聞かされた、智昭の受け売りだ。
智昭の話は記憶の片隅にはあるけれども、理屈ではそれがどんな音楽なのかはわからなかった。ただ、あの喫茶店で聴いた曲に使われている心を揺さぶるフレーズが、ブルーノートスケールによるものだという事だけは何となく理解できた。
歌い手の感性が生み出した音階。
同じ人間という種の、違う生活圏から生じた音の差。
楽譜では半音下げになってはいるけれども、その音程は正確にピアノで表現する事ができない微分音と呼ばれる僅かなズレでしかないらしい。
でもそれって、周りと少しズレた土砂降りの人生をすごしてきた私みたい、なんて思った。
智昭には怒られたけど。
物悲しい雰囲気を出すフレーズだからと言って、曲全体が暗くなる訳じゃない。どこか僅かにズレたくらいで、人生落ちたりなんかしない。やまない雨は、ない。
智昭は私を抱き寄せて、言葉を噛み締めるようにそう言った。
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