平坂隆司の葛藤③
「でもまさかなんだかんだで、ここまでもつとは思わなかったわね」
唐突に回想から引き戻された。 霧子は空っぽになったカップを弄びながら呟く。
「正直、僕だってここまで頑張れるとは思わなかったよ」
自嘲気味なその言葉に霧子の目線がこちらに向く。
睨むような、観察するようなその視線に耐え切れずにスマホを覗きこめば、
「まだ来ないわよ…講義が終わるまであと十分はあるしね…せっかく人が相談に乗ってあげてるのに居心地悪いアピールはやめてほしいわね」
行動と感情を見抜かれて思わず顔が赤くなる。 指摘されてしまった以上は続けることも出来ないので、勇気を出して反論をこころみても…、
「相談って…別れろとしか言われてないんだけど…」
図星の指摘に対して嫌味を返しても霧子は動じない。 わかっているさ、結局は結論は二つしかないってことは。
「まあね…ただ平坂君は意外に思うかもしれないけど…私、二人のこと応援してるのよ?」
「…本当に?」
「随分、刺のある言い方するのね」
「そりゃ…まあ…ね」
之葉と霧子はいつも一緒に行動していた。 それこそ学部も講義も昼食のとき、そして飲み会の時でさえも。
あまりにも常に二人で居るから、実は付き合っているんじゃないのかという噂が出来るほどに。
しかしそれは之葉が僕と付き合いだしたことで、すぐにガセだと判明した。
いや、正確に言えば之葉は違うが、霧子は『そうなんじゃないか?』という風に噂が変化したと言うほうが正しいだろう。
「悪いけど、之葉のことは好きだけれどそういう感情は無いわね」
察したのか、霧子は憮然と返す。
「それはよかった…のかな?」
「良かったんじゃない?それに私だって男と付き合ったことくらいあるわよ」
「ああ、まあそれは之葉から聞いたけど…」
実際に霧子は高校時代からモテていたようだし、数回は男性と付き合ったこともあるそうだ。
確かに彼女はスレンダーではある。 そしてスタイルも良い。 成績だって良く、理知的な物言いもするので同級生や先輩関係なくアプローチしてくる男性も多い。
ただ霧子に好意を持つ男は大抵は之葉レベルではないけれど彼女と同じようなタイプが多いようだ。
だから霧子のほうが実はそういう気質なんじゃないかとさえ思える。
「仮に私が男だったとしても之葉の趣味には付き合えないわよ?むしろ同姓だからこそ私達は相性が良いの」
考えていたことを見透かされた僕は何も言えない。 ただホッとしていることに内心、恋人としてどうなんだろうか? という感はあるが…。
「まあ話を戻すとね…バスタオルをうまく活用した話を之葉から聞かされたときは内心、感心したものよ」
「ああ、その話か…」
それは付き合って数ヶ月くらいの時のエピソードだ。
その頃には僕達もまあ、当たり前の恋人関係というか、肉体関係まで進んでいた。
ある日、之葉が首を絞めて欲しいとお願いしてきた。 しかも…まあ…ようするに後ろからの体勢で『入れている』ときにだ。
実のところこれはある程度予測していた。
あらかじめ『予習』はしていたのだが、いわゆるそうした『窒息プレイ』の最中に盛り上がりすぎて死んでしまうことが多いというのも知識としては知っていた。
実際に『夢中』になっているときに加減が出来るだろうかという想定をしてみると、やはり『事故』が起きる可能性は否定できなかったのだ。
なのでどうしたら安全に出来るかと考えに考え抜いた結果、バスタオルを使用するということを閃く。
説明すると『バック態勢時』にバスタオルを彼女の首に引っ掛ける。
そして僕が強くそれを引っ張ることでタオルは内部にある呼吸器が押さえられるが、『夢中』になった時に必然的に意識は腕ではなく『別のところ』にいく。
当然タオルを締め上げる力は弱まるから継続的に、かつ限界を超えて窒息させてしまうことはないので『安全?』。なのだ。
「あの子、のろけてたわよ?『隆司君が自分の求めてることを真剣に考えてくれた、ここまでしてくれた人は初めてだったの』ってね」
霧子の言い方には確かに関心というか好意的な部分が混じってはいたけれど、僕としては中々に複雑だった。
一体誰が自分の恋人を窒息させることを喜ぶだろうか? いやいや確かにそういった気質を持った人間なら快感なのかもしれない。
けれど僕はそういう気質は持っていない。 いっそ霧子の言うようにそう『なれれば』良いのだけれど…。
好きな人の為に喜ぶことをしたいとう当たり前の動機と当たり前じゃない行為の差異。
それは意外に神経をすり減らすもので、そしてそれが僕の抱えるジレンマなのだ。
「900秒ルールだって、私は良い考えだと思うけど?」
900秒ルール。 それを考案したのも僕自身だ。
之葉の望む行為をすり合わせるために900秒、つまり15分と時間を決めて、僕は彼女が望むプレイを考えつつ行動する。
髪を引っ張り、頬を平手で叩き、お腹を殴って弄ぶ。
900秒経ってアラームが鳴れば、素に戻って行動の良い悪いを話し合う。
僕は当然そうだが、之葉自身も自分がどういった『行動』がキュンと来るのかはっきり言語化できていないそうだ。
だから900秒の時間の中で即興でなりきる『僕』の所作一つ一つを話し合って理想的な行動をお互いに理解しあうのだ。
これは僕自身が彼女の求める『僕』に切り替えるためにも必要であり、そしてそういった非日常的な場面をあれこれ説明するという、どうしても盛り下がって醒めてしまうだろうという理解の元でルールとなっていった。
「涙ぐましい努力よね…これからも続けていけばいいじゃない?あなたの限界が来るまで…ね」
「限界か…もう近いかもね」
「…!またヘンタイちっくなお願いされたの?聞かせてよ…凄く興味あるから」
言いよどむ僕の態度にピンと来た霧子がここになって初めて前のめりになって質問してくる。
「いや、実はさ…」
口を開きかけた直後、メールの受信音が響く。 僕ではなく、霧子のスマホに。
「残念…時間切れね。講義終わったから向かってるって…ほら、見えてきた」
振り返ると之葉が大きく手を振ってこちらに歩いてくるのが見えた。
「それじゃ私、これからバイトだから…さすがに二人分もヘンタイノロケ話を聞くのは胸焼けするしね、今度また詳しく聞かせてちょうだいよ、指折り数えて待ってるから」
そう言って霧子は立ち上がって之葉と二言、三言話して去っていった。
その背中を見つめながら、図らずも確信をついた霧子に僕はポツリと呟く。
「…だからそれが問題なんだよ」
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