第7話

 どうしようか、どうしようか。


 心臓のない私には感情など無いのだが、カミングアウトにも近い昨晩の未練発表は、私に酷い焦りを与えていた。


 どうしたものか、どうしたものか。


 解消にはなにぶん時間のかかる未練だ。とりあえず、茉耶さんがどこに住んでいるかについては、冥界の役所へ申請を出しておいた。返事については「早ければ数時間、遅ければ四、五日」という、ざっくりとしたもの。


 催促はしたものの、返答は「やれるだけやってみます」。なんとも曖昧だ。保証はできないことは分かってはいるが、早ければ、というか早くないと間に合わないのである。解消など夢のまた夢だ。


 もちろん、だからといって、ぼうっとするわけじゃない。応急処置的な、俗に言うBプラン、というやつを考え、同時並行で進めていく。

 今のところ思いついているのは、幼稚園経由で住所を知るというもの。

 例えば、あやちゃんの通う幼稚園に連絡をして、教えてもらう、みたいな。


 しかし、死確者が連絡しても教えてくれるとは思えない。茉耶さんが先回りして口止めしているかもしれないし、そもそも個人情報保護の観点から断られる可能性が高い。


 であれば、私が公官庁の職員に扮するというのはどうだろうか。一応、死確者以外の人にも見える形で人間に変身することは可能であるわけだし、当然連絡を取ることだってでき……いや。

 聞いても、それこそオレオレ詐欺のように訝しまれるだけで終わってしまうか。無茶かな。


 当然、急を要するから教えて欲しいが、子供の安全性やそれこそ個人情報の観点から、そう簡単に教えてもらえるとは思えない。これっぽっちも想像できない。


 はぁ……どうしたらいいか、どうしたらいいか。


 手段が閃かぬまま、私は登りきった朝日を眺める。もう時刻は十時。残りはもうほんの僅か。


 ふと視線を向ける。頬杖ついて、テレビを見ている死確者がいる。

 集中などしていないし、何を見ているのかも分からないだろう。ただ虚ろな目をしているだけ。


 経験上、こうなっている場合は、往々にして未練は解消できずに終わる。この世との繋がりが強く、冥界に連れて行くことができなくなる。要するに、霊体となって現世を漂う、もしくは地に縛られ続ける存在となるということだ。


 とりあえず動いてみるしかないか……


 唐突に、コンコン、とノックの音が聞こえた。続けて、引き戸がゆっくり開く音も。


「矢矧さーん」


 顔を覗かせたのは、男性の若いヘルパー。短い金髪という見た目。昨日はお休みでも取っていたのだろうか、まだ見たことのない人だった。


「お邪魔しますね」


「ん? なんだい?」


「今、お客様がお見えでして」


「お客さん?」


「はい。お部屋まで行きたい、と仰っているのですが、案内しても宜しいですかね」


「ああ」


「じゃあ呼んできますねー」


 飄々とした声色でそう返事をすると、扉を閉めた。


「昨日に続き、今日もですね」


 私は扉が閉まり切ったのを確認してから、声をかけた。


「死神でもやってきたのかね」


「え?」


「死神だよ、死神。ご丁寧に玄関から来たのかなって思ってね」


「そういったことは無いかと」


 私は即座に否定する。死神は基本、現世にはやってこない。


「なに、冗談だよ」


 死確者は自嘲的に笑いながら、立ち上がる。腰に手を当て、「よいしょ」と身体を左右に曲げる。


 扉がまた開く。


「さちこさーん」


 え? 聞き覚えのある幼い女の子の声。


 まさか……


 死確者もそう思ったのだろう、すぐさま振り返る。途端、死確者の足元に幼子が。


「あ、?」


 戸惑いを隠せない死確者。


「こんにちは」


 反対にあやちゃんは何の疑いもなく、満面の笑みで手を振っていた。格好は体操服ではなく、ピンクのセーターに白いズボン姿という普段着。


「あ、あぁ。こんにちは」膝に手をつく死確者。「来てくれたのかい」


「さちこさん、しってたの?」


「え?」


「ママがあさにね、ここにおともだちがいるからってきたの。だから、くるのいってなかったのに」


 成る程。つまり、こうか。


 突然決まったことなのに、まるであやちゃんが来ることを知っていたかのような口ぶりに聞こえたが、それは何故か。


 拙いながらも言いたいことは伝わる。にしても、この子はなんと勘の鋭い子供だ。


「いや、違うよ。あれ、今日は月曜じゃなかったかな」


「ううん、きょうはどようび」


「そうか、勘違いしてた。アタシはもうおばあさんだからね。ボケてたのさ」


 扉がみたび開く。見ると、そこには眼鏡をかけた男性が。紺色を基調としたカジュアルスーツの格好からして、ここの職員やヘルパーではないだろう。


 死確者と目が合うと、会釈をしながら、部屋に入ってきた。


「はじめまして」


 声色してから優しそうであった。


「パパー」あやちゃんが声をかける。「あんた……もしかして、茉耶の?」


「はい」男性は縦に頷く。「佐倉大輔さくらだいすけと申します」


「矢矧幸子です」会釈する死確者。


「その……」


 佐倉と名乗った男性は緊張しているのか、腹の辺りに構えた両手をさすっていた。


「本当は結婚する前にご挨拶するべきだったと思うのですが、順番が入れ替わってしまって申し訳ありません」


 頭を下げる。そうか、彼が茉耶さんの旦那さんか。


「いいんだよ、そんなことは」


 死確者の言葉に、表情を緩めた。


「こうしてやっとお会いすることができて、大変嬉しいです。おかあ……」


 扉の開く音だ。これで四度目。


「あ、いたいた」


 やってきたのは、茉耶さんであった。昨日の重く暗い雰囲気とは打って変わり、から元気にも見えるほどの明るさを撒いていた。


 旦那さんは何かを思い出したのかのように、口を真一文字に閉じた。


「何を話してたの?」


「いや……世間話さ」


 私は見逃さなかったぞ。旦那さんがどこか気まずそうに目を逸らしたのを。これは、事前に口裏を合わせているな。


「そう」


 茉耶さんは膝に手をつき、あやちゃんを見た。


「この人があやが話してた人?」


「うんっ! さちこさんっ!」


「あらそう」


 茉耶さんは顔を上げると、満面の笑みで、「なんかうちの子がお世話になったみたいで、ありがとうございました」と、会釈してきた。


「い、いえ」


 死確者も会釈し返す。戸惑いしかない表情と口調ながらも、茉耶さんの小芝居に乗った。


「あら」


 茉耶さんは素っ頓狂な顔で、死確者に近寄る。どうしてかと理由の分からぬ死確者は、眉をひそめ、片足半歩退いた。

 二人の距離は手を伸ばせば届きそうな距離であった。茉耶さんはすんと顔つきを変える。昨日会った時と同じであった。


「三十分だけです。そしたら帰ります」


 目前の死確者にしか聞こえぬ声でぼそり呟いた。


「どーしたの?」


 気になったのか、茉耶さんの足元に近づくあやちゃん。


「ん?」途端、茉耶さんは柔かな表情に変えた。「肩にゴミがついてたから、とってたんだ」


 続けて、あやちゃんに向き直し、膝を折り曲げる。


「じゃあママとパパは向こうでお話ししてくるけど、あやはどうする?」


「さちこさんとあそぶー」


 同じ体勢のままで、茉耶さんは見上げるようにして死確者を見た。


「と言っているのですが、よろしいですか?」


「あ、ああ」


「やったぁー」両手を上げて笑うあやちゃん。「あそぼ、あそぼ」


「じゃあ、何して遊ぶ?」


「えっとねぇー」あやちゃんは顎に人差し指をつけ、上目で宙を見た。


 他の子達の目がないからなのか、緊張が解けたからなのか。昨日一昨日より声が出ていた。それがどこか幼さを、いや年相応の雰囲気を感じた。

 あやちゃんは口をとんがらせる。選択肢が多いのか、逆に浮かばないのか。いずれにしろ、悩んでいることは違いないだろう。


「あやちゃんの好きな、お絵描きでもする?」


 アドバイスを与える死確者。だが、あやちゃんは「ううん」と応えた。


「じゃあ、どうする?」


「おはなししたい!」


「は、はなし……かい?」


 反応は当然だろう。このぐらいの年の子ならば、もっと違うことをしたがるはずだ。まあ、何をなのかと問われればすぐには出ないのだが、少なくとも会話をしたいというものではないはず。


「きのうおはなしできなかったから」


「私しゃ構わないけど、あやちゃんはそんなんでいいのかい?」


「うん!」コクリと縦に首を動かした。


「そうかい……じゃあ、なんの話をしよっかねぇ」


「さちこさんのおはなしききたい」


「私の?」


「うん」


「珍しい子だね。私がどんな人か、そんなどうでもいい身の上話を聞きたいってかい」


「みのうえ?」


「私の、幸子の思い出の話ってことさ。聞きたいかい?」


「うんっ」


「はぁ……」


 死確者は不思議そうな眉を上げると、私の方を見てきた。


 その目は、話していいのかと迷って第三者の私に助言を求めていた。だが、私に託されても困る。


「お、お任せします」


 それしか言えなかった。死確者は視線を外し、俯く。少しして、再びあやちゃんを見た。


「それじゃ、今日は特別だ。話してあげるよ」

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