第5話
「クソ野郎のひとりさ」
唐突に話しかけられたせいで、私は鳩が豆鉄砲を食ったように「え?」と目を丸くする。
「アタシのことだよ」
そう続けた死確者は、自身の個室の定位置に腰掛けている。最初出会った時と異なるのは、死確者が今見ているのがテレビではなく、自身の似顔絵であること。
「あの子と話してる時、あんた、お前が言うかって顔してたからね」
しまった。表情に出てしまっていた。あれほど、気をつけないとって思っていたのに。
だが、死確者は憤ったり、がなり立てたりすることはなかった。むしろ、「その通りさ。自覚はあるよ」と、穏やかな口調であった。
「ただあの子には、アタシみたいにはなって欲しくないと思ったんだ」
死確者は肘をついて立てて、顎を乗せた。夕日はもう沈みかけており、夜になろうとしている。眩しさは無くなったオレンジの光がベッドの枕を細く照らしている。
「捻くれてもなんの良いことない。経験から言えることだ」
「では何故」
「アタシは捻くれ続けてるかって? そうだね……意地を張ってるからか、見栄張ってるからか、もう引き返せないところまで来ちまったからか……歳食ったせいで、ボケた。もう忘れちまったよ」
死確者は拳を作って両肩を叩く。
「そういや、あんたの言ってた未練のことだけどね」
よかった。覚えているようだ。
「よく考えたんだけどね、やっぱり無かったよ」
「え?」
「心配しないでいい。このままでも成仏できる」
確かに何もしなくても、それこそ未練のなかったりすれば、成仏できる人間はいる。けれど、そうだろうと安易な見立てで、結果失敗してしまうのは目も当てられない。
色々やって起きた失敗は仕方ないが、何もしなくて起きた失敗は怠慢だ。
人災ならぬ、天災……だと、意味が変わってしまうから、天使災とでも呼ぼうか。
死確者は明日の今頃にはもう亡くなっている。果たしてこれで本当にこのままでいいのだろうか。不安とともに自分が出来ることは他に無いのか、本人さえ気づいてない未練は何かなかったか。資料の内容を必死に思い出す。
おもむろに引き戸が開く。音にひかれ、振り返るとそこには、女性ヘルパーが立っていた。例の、喫煙を見られてしまった人。
「お休みのところごめんなさい」
そう言うと、そばまで近寄ってくる。
「晩飯の呼び出しには少し早いんじゃ……」
「違うんです」ヘルパーは腰を落とした。「実は今、矢矧さんに面会したいという女性の方がいらっしゃってて」
「面会? そんな物好きはどこのどいつだい」
「それが、矢矧さんの娘だとおっしゃっているんです」
「えっ……」
戸惑いと驚きと疑心が混じった声を喉から絞り出す。
「名前は? 名前は聞いてるかい」
「はい。サクラマヤさん、と」
目を泳がせ、口を半開きにしたまま絶句する死確者。
「た、確かにマヤだと言ったのかい」
「はい。結婚しているので、苗字は変わったそうです」
深いため息を吐きながら目を瞑り、「なんてこったい」と背もたれに寄りかかった。
今は結婚して
「む、娘さんで間違いありませんか?」
ヘルパーは死確者の顔へ覗き込むように近づく。
「用はなんだって?」
「いえ、ただ、話をしたいから呼んでくれ、とだけしか仰ってくれなくて」
「ったく……」
死確者は面倒臭そうに眉間へ軽くしわを寄せると、「分かった。すぐ支度して行く。食堂まで通してもらえるかい」と一言頼んだ。
ヘルパーは頷きながら、「分かりました」と、駆け足で部屋を出ていく。
扉が閉まったところで、死確者は深いため息を吐いた。
「なんの気変わりかね」
思いつく可能性を経験から思い起こさせる。
「もしかしたら、虫の知らせのようなことがあったのかもしれないです、で、会いに来た、みたいな」
「みたいな、ね。会ってみなきゃ、天使にも分からないってことかい」
死確者は膝に手を置き、よっこらせっ、と立ち上がる。
「面倒だけど、行ってみるしかないかね」
死確者はハンガーにかけていたちゃんちゃんこを羽織ると、部屋を出た。重い足取りで廊下に出て、食堂へと向かう。
食堂に着くと席の真ん中辺りにもう、女性が座っていた。年齢は30代半ばほど。ジーンズに赤と黒のボーダーセーターを着ており、背もたれのところにベージュのロングコートをかけている。
少し距離を空けたところには、さっきの女性ヘルパーが気配を消して立っていた。なんとも気まずそうである。
彼女は死確者を見るや否や、表情を曇らせ、まじまじと睨みつけるように見つめてきた。明らかな敵意。おそらくこの人が……
「なんだい」
死確者はちゃんちゃんこのポケットに両手を突っ込んだ。
「雪が降ったかと思えば、
鼻で笑うと、口角を上げて、視線を逸らした。
「歳を食っても減らず口っぷりは相変わらず。お元気そうで何よりです」相対する女性は丁寧ながらも、負けじと強気だ。「そっか。ぐだぐだといつでも好き勝手に文句言えるんですから、ストレスとは無縁な人生過せますもんね。ほんっと、羨ましい限りです」
「フンッ、よく言うよ。減らず口はそっちもでしょうが」
死確者は真向かいに座った。背もたれに寄りかかり、ふんぞりかえる。
「で、突然来て何の用だい。まさかそんな文句言うだけのために、数十年ぶりに顔見せてきたわけじゃ……」
言葉半ばで、茉耶さんは持っているハンドバッグから、何かを取り出し、テーブルに激しく置いた。
それは赤い小さな手袋。見覚えのある紐がついている。
「な、なんであんたが持ってる?」
死確者は何が起きたのか理解できない様子であった。そうだ、似顔絵のお礼に、と今日あやちゃんに渡した手袋だ。
「どこかで見たなって思って裏地見たら、私の名前があったんです。嫌でも思い出しました、幸子さんが私に付けてくれてたものだってね」
茉耶さんは他人行儀に下の名前で呼ぶ。
「何を言って……」
「娘です。私の娘が持ってきたんです」
「娘?」
名前が一致していてこの手袋を茉耶さんが拾ったというまさかがない限り、天文学的ではあるものの、脳裏で要素同士が正常に結びついた。
「アヤは私の娘です」
成る程、成る程。
要するに、あやちゃんは死確者の孫、ということだな。
おやおや、これは驚いた。
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