第4話
「似顔絵?」
「うん」
死確者の問いかけに、あやちゃんは無邪気な笑顔で頷いた。昨日と同じ、赤の帽子と体操着の格好。今日は廊下ではなく、食堂の食卓にいた。とはいえ、一番端の所ではあるが。
「とくいなんだ」
「へぇ」死確者の声のトーンは少々低い気がした。
「だめ?」
私と同じように気づいたあやちゃんは、首を傾けた。どこか哀し気な目をしている。
「いや、そういうわけじゃないんだ」
慌てて否定する死確者。その目は泳いでいる。眉もひそんでいる。その表情からは、こんなこと経験したことない、という戸惑いを感じた。
「そうだね。じゃあ描いてもらえるかい」
「うんっ」
途端、表情が明るくなった。テーブルに置いていた肌色のクレヨンを手に取る。そして、スケッチブックを少し自分の方に傾け、おもむろに描き始めた。
「絵、好きなのかい?」
「うん。え、すき」
私はあやちゃんの背後に回り、軽く覗き見る。白い紙の中心に大きな肌色の丸。これは……顔の輪郭だろうか。
「じゃあ将来の夢は絵描きかい?」
死確者は片肘をテーブルにつけると体重をかけ、体勢を崩した。
「ううん」視線は紙に向けたまま、首を横に振る。「パチシエになりたい」
「パチシエ?」
パチシエ……聞いたことない。
「なんでだい」
「ケーキすきだから」
それって……
「ケーキ作る人かい??」
「うん」
パティシエか、なりたいのは。
もう顔を覚えているのか、あやちゃんは死確者を見ることなく、淡々と描いていく。黒いクレヨンに持ち替え、目を加えていく。死確者の少し細め目つきをよく捉えている。
「似顔絵描くのは初めて?」
「ううん、ママとパパはかいたことある」
「なら、他の人には初めてか」
死確者は顔を綻ばせた。次は眉。濃く描いている。
「友達とかには描いたことあるのかい」
「……ない。ともだちいないから」
少し虚になった瞳を見て、死確者はハッと表情を変えた。気まずく流れる空気。他とは異なり、重苦しい。あやちゃんは今度は鼻を。なんとも小さく描いたな。
「へんなこ」
「え?」
「わたしへんなこなんだって」
「なんだってって……変な子だなんて言ってくる輩……友達がいるのかい」
「……うん」
いつのまにか、耳に取りかかっていた。福耳の特徴を捉えようとしているのか、大きめに描いている。
「どこのどいつだい?」
あやちゃんは死確者を見る。「なんできくの?」
右の拳を左手のひらにぶつけ出す。
「一発ぶちのめしてやるからだよ」
眉間にしわを近づけ、おっかない台詞を吐いた。
「ごめんなさい、ここにはいないの」
「謝るこたないよ。あやちゃんは悪くないんだから」
黙々と描き続けてはいるのだが、どこかあやちゃんの指先からは力が無くなっている気がしてならなかった。
死確者はじっとそれを見つめると、椅子をあやちゃんの方へ。
「あやちゃん」
手を止め、顔を上げた。
「実はね、みーんな変なんだ」
目線と人差し指を遠くに向ける。
「あっちの坊主もあっちのおばあさんも、アタシだって勿論。この世界にいる誰もが変なのさ。けどね、それを変だとは言わないの」
「なら、なんていうの?」
「個性、だ」
「こせい?」
「ああ。この世界にその人にしかない、その人だけの、たった一つのもの。だから、それを馬鹿にするような奴はなーんも分かってないのさ。自分も変な子の一人だってことに」
「みんな、へんなこ……」
「まあ、人に迷惑をかけるような変な子は、ちょいと違うんだけどね」
「なら、なんていうの?」
「クソ野郎」
口の悪いことを子供に教えて……
「だから、あやちゃんを仲間外れにするようなガキは、そいつが悪い。個性でもなんでもないクソ野郎だから、気にすることはないからね」
第一、死確者が言うか。私は思わずつっこみそうになったが、ぐっと堪える。
「手を止めさせてすまないね」
そう死確者が話した言葉を許可のように、あやちゃんは再び手を動かす。茶のクレヨンを手にしたと思えば、描き始めたのは顔に浮かぶしわ。なんとも細かい作業に入ったものだ。
「さちこさん」
「ん?」
「さちこさんはなんでひとりなの?」
死確者は「今の子はなかなか痛いとこ突くねぇ」と口角を緩めると、虚空を見た。
「他の人のことを嫌いになったら、嫌われちまったのさ」
「おとうさんとおかあさんは?」
「もうとっくに死ん……いや、空の上に行っちまった」
「しんじゃったの?」
「なんだい」小さく笑う死確者。「今の子はもう生死を学んでるのかい」
赤色に持ち替えて、口元にとりかかる。「えほんでよんだ」
「随分と物騒な絵本だねぇ。今はまだメルヘンでいい年頃だろう」
何を言われてるのか分からないといった表情で、あやちゃんは口を真一文字に閉じた。
「じゃあ、かぞくはもういないの?」
口元を歪める。罰が悪そうに「むすめがひとり」と応えた。
「どこにいるの? ここにいるの?」
「また質問が多くなったね」
「だめだった?」
「いや。むあ、冥土の土産に教えてやるかね」と一瞬私に皮肉な視線を向け、「ここにはいない。日本のどこかにいる。もしかしたら世界のどこかかもしれない」
「あったりはしないの?」
「向こうが嫌がるからね」
「なんで?」
「そうだね……ま、アタシが悪いのさ」
「ふーん。さちこさん、やさしいのにな」
死確者は瞼を開き、目を丸くした。「優しい? アタシが?」
「うん」
あやちゃんは黒いクレヨンに変え、擦るようにして、最後の部分である髪を描き加えていく。
上下に絶えず動かし、かしゃかしゃと音を立てている。頭の天辺から額に生えている感じや、耳を貫いて口の位置辺りまで伸びた毛の雰囲気が、なんとも幼子らしい描き方であった。
「どこがだい?」
「うーんとね……」あやちゃんは肌色を手に取り、顔に色をつけ始める。「おはなししてくれて、いろいろおしえてくれるところ」
「初めてだよ、そんなこと言われたの」
「そうなの? ことばはわるいけど、さちこさんはやさしいひとだよ」
死確者は高笑いする。
「ほんと今の子は大人びてるね。言葉が悪いって分かってるってかい。そうかいそうかい」
死確者がどこか満足そうに頷く。
「あっ雪だ」
どこからか、幼児が叫んだ。死確者は窓に視線を向ける。
気温差で白くなりつつある小さな窓からも判別できるぐらい、大粒の雪が絶えずに降っていた。いつからだろうか、気づかなかった。
「できた」
死確者は再びあやちゃんを見た。
「どう?」あやちゃんはスケッチブックを裏返す。
そこには拙いながらも特徴を捉えた、けれど見たことのない笑顔で立っている死確者がそこにはいた。顔を大きく描き過ぎたのか、それともそもそも描く気がなかったのか、手足胴体は直線。顔以外は棒人間スタイルとなっている。
「おー、上手だねぇ。よく特徴を捉えてる。私にそっくりだ」
「えへへ」
あやちゃんは少し照れ臭そうに、けど嬉しそうに俯くと、嬉しそうにスケッチブックの紙を掴んだ。そして、端にある小さな丸い穴に沿って上から破っていった。
「あげる」
「いいのかい?」
問いかけに、あやちゃんはこくりと縦に頷いた。
死確者は受け取った。「ありがとね、大切にするよ」
「うん」
差し出された似顔絵を少し遠ざけてまじまじと眺めている。「こんなに上手いんだ。パティシエじゃなくて、絵描きになりゃいいのに」
「えはすきなことのままでいたいの」
「なんだい、小さいのに社会の不条理さを分かってるんだね」
あやちゃんは手を止め、ここで死確者を見た。「ふ、じょう……り?」
「……無視してくれ」
すると、「はーい、それじゃみんな、そろそろ帰るよー」と、幼稚園の先生が口元に両手で丸を作り、叫んだ。
「「「はーい」」」
一斉に聞こえる園児たちの返事。その中にはあやちゃんも。
方々で別れを告げている。今日が最後だからか、皆どこか名残惜しそうだった。
「そうだ」
死確者は何か閃いたように手を叩くと、「ちょっと待ってな」と慌てて部屋に戻った。
どうしたのだろうか。
引き戸を開け、姿を消してから数十秒。死確者は何かを持って出てくると、小走りで戻ってきた。
「外は雪が降ってるらしいから、これ使いな」
小さな毛糸の赤い手袋。手首の辺りが一本の紐で繋がっている。
「わたしもうこないから、かえせない」
「返さなくていい」
死確者は半分無理矢理に、手につけていく。
「絵のお礼だ、持っておきな」
「でも……」
「子供が遠慮なんてすんじゃないよ。ほら」死確者は手の甲を見せる。「アタシには小さくてもう入らない。使ってくれる人の方が手袋だって喜んでくれるさ」
手袋の中で手を数回開いたり閉じたりして、あやちゃんは顔を上げ、笑みを浮かべた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「さくらさーん、集まってくださーい」
名前を呼ばれ、「ばいばい慌てて去っていく。
「ばいばい、またあおうね」
死確者の眉が動く。「ああ、またね」
手を振りながら、遠ざかるあやちゃん。
「また、か……」ぼそりと呟く死確者。「あの子が次来るの、月曜日って言ってたよね」
「……あっ、私に声かけました?」
人差し指で自分の顔を指さす。一瞥し、「そうだよ」と一言。
「ええ、確か月曜日でした」
「そうか……アタシにゃもう来ない曜日、だねぇ」
そうだ、寿命はもう明日一日だけなのだ。
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