第3話
「ほれ、糸をここを通してやるんだよ」「わぁー、鶴さんだ」「大きな桃が流れてきました」
食堂と広間の方々に老人と幼稚園児が散らばっていた。ある所ではあやとりを教えており、またある所では数人の幼稚園児へ絵本を読み聞かせ、そのまたある所では折り紙で鶴を一緒に折っていた。
それぞれに飛び交う笑い声、園児の無駄に大きな声や軽い足音がよく聞こえる。
「人質ならぬ物質を取られちゃいましたね」
賑わいを見せる場所から少し離れた、ベンチソファで腰かけている死確者へ声をかけた。正確には、証言質というべきか。
「うるさいよ」
背もたれがないためか、足を組み、太腿に肘を立て、手のひらに顎を乗せた前傾姿勢であった。
「せっかくですから、参加してみてはいかがです?」
「乗る気じゃない」
嫌だと言うことだな。座っている場所も、わいわいしている食堂や居間から少し離れた廊下。まあ、聞かなくても分かることであったか。
「けど、いいんですか」
「何が」
「いや。みなさんと一緒に遊んでおかないと、バラされてしまうのでは? ほら、今そこで立って周囲を見回している方ですよね、部屋で煙草を吸っているのを見られたの」
言った後に私は少し後悔をした。言い方に誤りがあったからだ。別にあのヘルパーから脅されたわけでも何でもない。煙草を消し、「分かったよ。行けばいいんだろ、行けば」と死確者自ら言ったのだ。
「いいんだよ」
「いいんですか?」
「ああ。アタシは行くとは言ったが、参加するとは言っていない」
おぉ、屁理屈だぁ。
「残り二日あるようですが、その際もここにずっといるつもりですか」
「面倒臭いけど、ま、これからも部屋で吸うために必要なら、多少は我慢する腹積もりではいるよ」
おぉう……
まったく、煙草というのは本当に凄い力があるよな。巨岩のように動かぬ人をごろごろと動かせてしまうのだから。天使の我々にもできない。まるで、そう魔法のようだ。
もしも喫煙者から煙草を取り上げたら、どうなってしまうのだろうか。もしや、死んでしまうのではないか。そんなことが脳裏をよぎる。
「ねえ」
ん?
死確者も私も視線を向ける。私の反対側に女の子がいた。ツインテールだ。少し弛んだゴムを顎にかけ、赤白帽を被っている。赤い面を上にしている。服は体操着で、胸元の名前のところには、さくらあや、と平仮名で書かれていた。
「おばあさんは誰と話してるの?」
あやちゃんはじっと死確者の目を見て首を横に傾げる。
「誰だろうね。似合わない白い格好したヤツってことぐらいしか分からないね」
胸にぐさりと刺さる。勿論、肉体的な痛みではない。
「おばあさんはなんでここにいるの?」
死確者は深いため息をついて、視線を逸らす。
「別にいいだろう」
そんな答えになっていない答えを面倒臭そうに言った。姿勢は全く変わっていない。
「おばあさんはみんなといっしょにいないの?」
「そうだよ」
赤い帽子のせいで、まるで赤ずきんの問答のように見えてきた。物語ではこのままいくと食われてしまうが、今この現実では無視されるか怒鳴られるかのどちらか。それはそれでひやひやする。
「わたし、さくらあや。おばあさんは?」
死確者は一瞥し、「やはぎさちこ」と名乗る。
「よろしくおねがいします、さちこさん」
「下の名はっ」
死確者は睨みつけるも、すぐに目線を泳がせ、「もういい。好きにすればいいよ」と半分諦めるように言った。なんで許したんだろう……
「うんしょっ」
あやちゃんはおもむろに隣に腰かけた。少し高い位置にあるため、両手をソファにつき、地面を蹴って跳ねた。
「つきまとうんじゃないよ。ほれ、向こうで他の人と遊んできな」鬱陶しそうに、言い放つ死確者。
「どうして?」
「どうしても何もあるか」眉間にしわを作る。「理由なんかないさ。とにかく、独りのババアにつきまとうな」
「おばあさんもひとりなの?」
ん? おばあさん“も”??
死確者は片眉を上げる。どうやら言葉の違和感に気づいたらしい。
「……なんだい。お嬢ちゃんもかい」
あやちゃんは何も答えない。けれど、静かにコクリと頷いた。
「なんでひとりなんだい?」
あやちゃんは交互に足を動かし始める。その動きを俯いたまま、じぃっと見つめていた。
「わからない」
「分からないことはないだろう」
「だってきけないんだもん。そばにこないから」
「そりゃあ、腫れ物扱いされてるってことか」
「はれ……もの?」
死確者を見る目は丸かった。どうやら言葉の意味を知らなかったらしい。
「近寄っちゃくれないって意味。アタシみたいなやつのことさ」
「おんなじなの?」
「ああ。アタシなんかはもう、腫れ物も腫れ物。会う人全員から鬱陶しく、疎ましく思われてる。お嬢ちゃんより、遥かに深刻だよ」
「しんこく?」
「ひどい、なら分かるかい」
あやちゃんは頷いた。歳の割には色々と言葉を知っている。どこか達観しているようにも見えるのはそのせいかもしれない。
「そういうこった」
鼻でふっと笑うと、死確者は女の子にしっかりと視線を向けた。
「お嬢ちゃんとは気が合いそうだねぇ」
おっと、まさかの急展開だ。
「いかがでしたか」
部屋に戻って、私は死確者に声をかけた。
あれから小一時間、死確者はあやちゃんと話をしていた。あんなに偏屈なのに、何故かずっと話していたのだ。偏屈だからこそ私には分からぬ、ひとりという良い引っかかりがあったのかもしれない。
内容は、驚くことなかれ。好きな物は何か、とか、趣味は何か、とか、母親の誕生日に父親と花を買ってプレゼントした、とか。ただの当たり障りのない雑談なのだ。
自分の部屋に戻った死確者は真っ直ぐ窓へと向かい、開けた。眩しい太陽が夕陽に変わり始めていた。
「普通、だね」
意外な反応だった。二人は楽しげに面白げに話していたからだ。
「じゃあ、明日は行かないということですかね」
くわえた煙草を一度手に持ち、離した。
「いや、その……」
ん? 歯切れの悪い口調になる。
「明日も……まあ行ってみる、ことにした」
「え?」
「いや。ほら、その、言ったろ? これからもこうやって部屋で吸うために、多少我慢しないといけないことがあるって。明日のも、そういうことさ」
死確者は再びくわえると、慌ててライターで火をつけて、吸い始めた。深く深く吸い込み、ゆっくり煙を吐いた。口から鼻から、白い煙が外へと、天へと昇っていく。
「仕事の後の一服は格別だ。最高に旨いねぇ」
仕事……あっ。
今更になって、大事なことを思い出す。私が来た理由について何も話せていないことに。
さて、いつのタイミングで話そうか……というか、今でいいんじゃないか?
「お煙草中、すいません」
そう声をかけると、死確者は軽く振り返る。「何?」とは言うものの、眉間にしわは寄っていなかった。
「お話ししておきたいことがあるんです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます