最終章 私たちの故郷 1

 海からはじきだされた後、何度も押しよせる大波小波に呑まれながら、二人は固く手を結び、そうして流れ着いた先はわずかに地だけを伴ったシャルリー城だった。

 起きあがると、月明かりで海の下にある呑みまれたパールの街、ディリ族の高床住居、母さまのお墓、ばばさまが住んでいた場所が見えた。

 残っているのは外壁に囲まれた、鉄壁のシャルリー城。そしてもう一つ、孤島のようにぽつんと取り残されたあの崖だった。

「シー、城へ入ろう」

 シーはうなずき返し、遠くで大波に転覆した船々を目の端に追いやり、城への隠し扉から中へと入る。

 城へと入った瞬間、シーの胸は人々の不安で押しつぶされる心地がした。顔をあげると、松明があちこちで焚かれる中、民の暗い表情が照らしだされていた。ただ赤ん坊の泣き声がおぎゃあおぎゃあと聞こえる。

 二人はその間を縫い進む。

 はっとふりかえる者もいるが、多くはうつむいたまま、二人に気づかない。庭にいる大半は村人と貧民区の住民と、ディリ族の民だった。

 扉にたどりつくと、兵士の一人が立っていた。シーたち二人に礼をすると、城への扉を開ける。

 城内は明るかったが、人々の表情は庭にいる人たちと同様だった。

 パール街の人々がぎゅうぎゅうに押し込まれている。城の高いところを目指し、少しでも助かろうと、殴り合いをしている男たちに、子どもや女が争いを避けようと隅でうずくまっている。

 怒号と泣き声が騒々しかった。

 それを兵士が止めようとして、また喧嘩沙汰になろうとしている。

「みんな、やめて!」

 シーは必至に叫んだ。

 シーに皆の注目が集まり、騒ぎがだんだん静まっていく。

「争わないで、おねがい」

 一人一人の目を見て見回していくと、人々は落ち着きを取り戻したようだった。

 中にはサンの姿を見て、ルラー・ガトの名をささやく者もいた。

「姫さま、おかえりなさい」

 イロが駆けつけてきた。

「よくぞご無事で。陛下がお待ちですよ」

「うん、今行く。イロ、崖への地下トンネルを開いておいて」

「トンネルを?」

「うん」

 イロはあやしげな顔をしたが、すぐにうなずいた。

「わかりました」

 そのうちに人々が城の上階への道を開けてくれ、サンと一緒に歩き出す。

 そして、王の間へと出た。

 ウオが玉座に座っていた。その背後にカイが控えている。

 シーはウオと目が合う。

「帰ってきたか」

 ウオが立ち上がる。カイはほっとした表情を後ろの方で浮かべた。

「お父様、ただいま帰りました」

 シーが頭を下げると、そっと肩に手を置かれた。 

「よく帰ってきてくれた、シー」

 それからシーを抱きしめる。シーは目を驚きにしばたかせ、おずおずとウオの背中に手を回す。久しぶりに感じた、父親の力強いあたたかみだった。

「どうでした?」

 カイがウオの後ろから顔をだす。

「私、わだつみさまに約束してもらいました。海に生きれる体にしてほしいと。島の運命を変えられないのなら、私たちが変わるしかないと思いました」

 ウオから体を離し、シーは口早に話す。

 ウオは驚いた顔をした後、鷹揚にうなずいた。

「それも一つの選択肢かもしれない。船に乗れるのはパール街ほどの人数だ。ディリ族や老人は船には乗らないと、言い張っている。嵐の中、海に出た富裕者の船は、全て沈んだ」

「やりましたね、姫さま」

 カイは歯を見せて笑った。

 サンがウオと顔を見合わせる。

「俺は海で生きます」

「そうか」

 ウオはうなずくと、カイに目を向ける。

「ディリ族も海で生きます。新しいシャルリー国と共に歩んでいく覚悟です」

「では行け」

 カイは去った。

「さようなら、ウオさま」

 そう言い残して。

 シーとサンも後を追う。

 大広間に戻ると、

「シー、サン!」

 ヤドが走ってきて、急いで言う。

「これじゃ、みんな船に乗れないよ。っていうか、嵐の中で海に出たくないって言ってる人たちも城に残ってる」

 大広間にはさっきと同じように人々がいる。が、絶望に沈んだような表情だった。

 シーが現れたの見て、一人の男が顔を上げた。

「シー姫様、俺たちはもう死ぬしかありません。あの嵐の中で海に出たら死にますよ。でも、波は城まで近づいてる。逃げ場がどこにもない」

 シーの周りに、わらわらと人が集まってきた。

「姫様、姫様だけでも城の高い所に逃げてください」

「そこの赤い髪の少年は?」

「僕の家が沈んじゃったよ」

 男も女も次々としゃべりだす。中には小さな男の子がシーの服の裾をすがって、言う。

「みんな、大丈夫。大丈夫だから」

 シーは周りを見渡す。

 しがみついてきた男の子の手をぎゅっと握ってほほえんだ。

「大丈夫。私たちは助かる」

 そして、シーは大広間の中央に進んだ。

 何十、何百、何千もの目が、シーに集まった。

「みなさん、聞いてください」

 シーは一人一人の目を見るように全てを見渡す。波紋が広がるように静けさが伝染する。

「今、シャルリー島は海に沈みかけています。もうすぐこの城も沈みます。ここにいたままでは、みんな助かりません。私はシャルリー国のみんなを何とかして守りたかった。信じれられない話ですが、私はわだつみさまに会ってきました」

 大きなどよめきが起こる。

 シーは真っ直ぐ前を向いた。深く息を吸う。

「一度目は、島を救ってほしいという願いでした。断られました。島が沈むのは太古からの運命だそうです」

 もう、ざわめきは消えていた。

「ですが、私は諦めきれませんでした。では、島人が変わればよいのではないか、と私は思い、二度目は島人を海に生きれるように変えてくれと頼みました。つまり、私たちは魚のように生きるということです。わだつみさまは、私の願いを受け入れてくれました」

 数秒の沈黙の後、蜂の巣をつついたような騒ぎに転じた。

 サンが叫んだ。

「シーの話を聞け!」

 しんとあたりが静まる。サンはシーの隣に並んだ。

「俺はかつてこの地に住んでいたルラー・ガトの子孫だ。ポセイドン王によって俺の先祖は殺された。そして、俺が幼かった時、家族も殺された。だが、死んでしまった人の魂は、殺してきた王のことは恨むかもしれないけど、お前たちシャルリーの人々は恨まない。ずっと昔から仲良くしてきて、助け合ってきた仲間だったから。それに、シーはシャルリーの人々をとても大切に思っている。きっと死んだ魂は俺に幸せに生きることを望んでいる。だから、俺はみんなと生きたい」

 朗々としゃべるその言葉に、視線が集まった。

「ありがとう」

 シーは再び話し出す。

「デイリ族はもう海へと出立しました。ここにはパラリオ号しか残っていません。そのパラリオ号に、乗れる人数は限られています。乗っても、行き着く先はなく、海上で餓死または渇水する確率が高いです」

 そこで言葉を切る。見渡すと、みな不安そうな表情をしている。大人たちは悩み、子供はきょろきょろと親、シーの顔を見比べている。

「それでも、陸の生活を愛する者、海での生活を嫌だと言う者は、パラリオ号に乗ってください」

 外では嵐の風がごうごうと鳴り響いている。

「ですが」

 シーははきはきと、強い意志を青い瞳にこめる。

「私は海で生活します。ルラー・ガトの、サンと一緒に、暮らします。そして、そこに新たなシャルリー国を建国します」

 民衆の顔には、かわりに驚きが広がる。

 サンとシーは固く手を結んだ。

「俺はこれから、みんなと、ディリ族、シャルリーの民と向き合っていきたい。仲良くしたい」

「だからお願い。私とサンと共に、みんなで同じ道を歩いていきましょう。それがたとえ苦しい道でも、その先に希望があると信じ、みんなで進んでいきましょう」

 二人の子どもがそう宣言するのを、民衆は見上げた。

 ある女がシーに近づいた。

「姫さまが、今までとは違うけど、今まで通り海から恵みをもらって生きていく生き方を見つけてくれたなら、私たちは嬉しいよ、ねぇ?」

 それに次々に女たちがうなずいた。

「そうそう、海は体の一部だしねえ。わだつみさまが生きろとおっしゃってくれてるなら、行きたいわ」

「ここで子供たちを死なせることがないなら、一安心だわ」

 一人の男性が言う。

「俺は行く。ここで死にたくない」

 家族を連れ、人混みをかきわけ城の扉へと歩きだす。

 一斉に人々が動き出し、次々に扉へと向かう。ありがとう、ありがとうとシーは何度も泣きながら呟いた。


 結局、パラリオ号に乗るものはいなかった。城の外に留め置かれ、ゆうらゆうらと揺れている。その横で、崖への続く地下トンネルへ人々が移動していく。

 わだつみさまの約束のおかげか、シーの話が伝わったのかわからないけど、皆安心して移動している。荷台も使って大移動していく様は、全員で引っ越しをしているようだった。

 時々、子供たちの笑い声が聞こえ、雰囲気が和んだ。

 みんなで生きることができる、それだけで心が熱くなってくる。

 そうして大広間に舞い戻ると、ちらほらと数人が残っているのみだった。

 人気がない中、サンとイロが二人で話していた。シーは駆けよって言う。

「イロ、早く移動して。もう時間がない」

 すると、イロは首を横にふる。

「もうおらは年です。この老いぼれた体は新しい土地に慣れていける体じゃない。生まれ育った故郷が死ぬことが本能ですよ」

 はははと豪快に笑うイロ。

 そういえば、と見渡すと、ここに残っているのはほとんどお年寄りだった。

 シーは声をひきつらせ、説得しようとした。その前に、イロが言う。

「おらはこの島が好きなんですよ。好きで好きでたまらない。妻も若く死に、家族のいないおらには島が唯一の家族です。どうか、幸せにサンと生きてくださいな」

 シーはうつむいてその言葉を聞いた後、顔をあげた。

「うん、がんばる。私、イロのこと忘れない。イロは、私の大事なおじいちゃんだった」

「ありがとう、姫さま。ずっと姫さまのことを孫のように思っていた。こんなにも立派に成長してくれて、おらの自慢の孫だ」

 シーはイロにそっと抱きついた。サンは深く礼をし、二人はその場を立ち去った。

 

 城の階段を上ると、ナギサとヤドがいた。

「シー様! さっきのお話、とても立派でした。将来、すてきな女王様になられますよ」

 ナギサがシーにほほえんだ。

「サン、すごかったぜ! 」

 ヤドがサンにとびついた。

「お前まだここにいたのかよ」

 サンがあきれると、ナギサが言った。

「この子はあなたと一緒に行きたいって。私はシー様とご一緒したかったから」

 シーはナギサにほほえんだ。

「ありがとう。急いでトンネルを通って。もうすぐ太陽が昇る」

「シー様は?」

「先に行ってて」

 ナギサはいつものように力強くほほえんだ。ヤドはこの数カ月間で成長したのか、精悍そうな顔つきで、うなずいた。二人で閑散とした庭へと走っていった。

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