第10章 鳥の示す旅 3

海に飛びこむ。

 波に一気に流された。どぼんと上で音がする。サンが猛烈な勢いで追いかけてきた。

「ふざけんなー!」

 サンの怒鳴り声が水の振動を伝わる。さすがはイルカと生活を共にした人間だ。でもシーも負けてられない。そもそもイルカ流の泳ぎを教えてくれたのはサンだ。それに海の声がある。

 シーは波の動きにそうようにすいすい進む。が、サンはなおも追い続けてくる。

(あっ、いた)

 青いカメがシーの目の前に現れた。風が吹くように、海でも波が吹く。シーの短い髪が広がった。

 ふりむくと、サンは荒波にのまれて消えている。サンが船に乗って、三人とも無事に嵐をのりきってくれますようにと祈り、シーはカメを追って、深い深い海の底へ潜っていった。

 真っ暗だ。海底にシーは足をつける。カメの姿はない。それどころか、自分の姿さえ闇にのまれている。

 だが、一つだけ見えるものがあった。海の下、海底の砂のもっともっと下にあるもの。足にどくどくと心臓のように脈動するそれは、この星の核だ。

「海はこの星のすべてを語る。過去も、今も、そして未来もすべてを我々に教えてくれる。お前は、そのすべてを見たことはあるかい?」

 脳内で、ばばさまの言葉が響く。

(海はこの星のすべて……)

 数ヶ月前、見る勇気なんてないと思った。海にとりこまれるのが怖いから。でも今はちがう。シーには守りたい人がいる。共に助け合う仲間がいる。

 勇気をもらえた。

 だから今は怖くない。海と向き合うのならば、まずは知らなければいけない。海の誕生を。

 シーは手を広げて、心を海にゆだねた。ふっと魂が浮いた。まわりで景色がゆがむ。闇がゆがんで、青がまじり、波が作られていく。

 シーは宇宙のように大きな渦の中にひきこまれていった。


 赤の中にいた。真っ赤に炎が燃えている。遠く遠く地平線の向こうまで。

「海?」

 じゅっと火が暴れだす。ザーザーと強い雨が降ってきた。豪雨は降り続いた。火は消え、地表に水がたまる。

 そのうち、空から星がふってきた。彗星だ。大量の彗星が地球に衝突した。彗星は水の一部となる。

 いく年の月日をかけ、水は冷まされていった。やがてそれは海となる。

 その海へと落ちた。

 水が私をすり抜ける。誰もいない。何もいない。そこは寂しそうな海だった。

(これが、始まりの海)

 あるところで止まった、

 光が一つ、灯っている。シーは海にすけた手をかかげる。ちょうのように、光が漂って手に止まる。その光を両手で包みこむ。

 生命の始まりだ。

 命が海にあふれでる。そして陸に、空に、命がまたさらに生を産みおとす。そして、今ここに私がある。


 シーは海底に戻ってきていた。魂が体にかえる。

 目を閉じて、手を胸にあてる。どくどくと心臓が動いている。これがあの光。太古から永遠(とわ)につないできた命。そして、次につなぐ命。シーが感じる、胸の鼓動。きっとこれが命の重みなのだ、

 ふと懐かしい気配を感じて目を開くと、青いカメがいた。

 カメの碧の瞳の中にシーがいた。そっと甲羅に触れると、水が細かに震え、カメが姿を変えた。みるみるうちに水が大きくなり、美しい女の人になった。

「お母さま?」

 言いかけたが、シーはすぐに首をふる。そっくりだ。けど違う。母さまじゃない。

「ばばさま、だよね」

 その女性は首を縦に、ほほえみうなずいた。

 そうだ。この人はばばさまの魂の一部。主の元から離れ、広い海をさまよう優しい心。

 シーは両手をばばさまにさしだす。

「ばばさま」

 シーがばばさまに抱きついた時、光があふれだした。ばばさまの魂は丸っこい光となり、シーの体を明るくてあたたかい光で満たした。

まるで母親に抱かれた時のように。ばばさまに抱きつかれたことは一度もないのに、なつかしい気持ちがした。

このままずっと抱きついていたい。お日様と海の匂いに囲まれていたい。だけども、シーはなごりおしげにそっと手の中に光を封じこめる。

「そっか。魂は海の始まりと同じなのね」

 シーの手の中におさまった光。シーは光に頬ずりすると、そっと手を広げた。

「さあ、おもどり。シャルリーに」

ばばさまの優しい心は、泡のように水面へと昇っていった。

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