第9章 出航 2

 鏡の前にいる。

 そこに映るのははさみをもった自分だった。いつもよりずっときりっとした目をしていて、強く見える自分。

(やるんだ。もう後には引かない。甘ったれて、ただ見ている、何もしない私なんてだいっきらい。私は堂々と歩いて、堂々といきる。らしく生きるんだ) 

 背中を押してくれたサンの一言。あの笑顔が、シーの心を強くしてくれる。

 ぱちんと音が響いた。長い髪がばさりとおちた。

「それじゃ、次の月宵の日に」

 別れ際、サンは言った。

 その言葉に驚かされた。シャルリーが彼らを裏切ったというのに、協力してくれると約束してくれた。シーに話をする前、漁小屋で「行こう」と言ってくれた。みんなで行こうと。その時から、サンの決意は決まっていたのかもしれない。

 なんで、と去っていく背中に、思わず聞いていた。そしたら、

「島に大切な仲間がいるからさ。もう仲間は失いたくない」

 そう、笑顔で言うのだ。真っ直ぐ前を向きながら。

「待ってる。初めて会ったあの場所で」

 明るい声が響く。

 早朝、あの崖の上で、シーは黙ってその背中を見送った。

 はさみを置く。そして、髪飾りに手をのばす。

 カイとは話した。

 髪飾りを前髪にあてがい、シーはその悲しそうなほほえみを思いだす。

「そうですか。全てサンから聞いたのですね。本当に行くつもりなのですか」

 シーはうなずいた。

「私は行く。わだつみさまの所に。島を守りたいの」

「あなた一人で行こうとしないでください。シーさまが生まれた時から一緒だったんですから、俺も行きますよ」

 カイは胸に何かを刻む仕草をし、シーを強い眼差しで見つめた・

 真珠を髪に結う。

(三人での旅か) 

 大変な旅なんだけど、冒険にいくみたいでわくわくする。

「よしっ」

 準備はオッケーだ。鏡に映る自分をもう一回のぞく。髪をいじくってみたり、横をむいてみたり。

「サン、驚くだろうな。っていうか、気づいてくれるのかな。鈍感だもんね」

 反応が楽しみだ。一人呟いていると、とんとんと、ドアが叩かれる。

「……だれ?」

 やばい、と身構えていると、控えめに声が響く。

「シーさま、ナギサです。入ってもよろしいでしょうか」

「ナギサ? いいわ、入って」

 入ってきたナギサは顔をあげて驚いた。

「シーさま!! 髪が……!」

 あんぐりと口をあけるナギサに、シーは口に指をそえて静かに、と合図をしてほほえむ。

「髪切ったんだ。どう、にあってる?」

「え、ええ。かわいいです」 

 とまどいながらナギサはうなずき、不安そうな表情で聞いてきた。

「どうかされたのですか。それに、その恰好」

 ぽつぽつぽつと沈黙が続く。いいたいことはわかってる。なぜなら、シーはドレスを着ていなかったからだ。

 白いシャツに茶色いジャケット。その下に濃紺のズボンをはいている。どう見たって、お姫様という恰好ではない。むしろ少年と言われれば納得がいく。

「実はね、私今からでかけるの。少し城を留守にするわ」

 ナギサなら、事情は話してもいいと思った。小さい頃から友達だから。

「どこへ行かれるのですか?」

「海の神さまに会いに行くの。幻の島へ。最近おかしなこと多いでしょ。小さな嵐で下の村が水没したり、魚が南へ向かっている。それは全部、海の力が集まっているせい。だから頼みにいく。海の神さまに、どうか、島をお助けくださいって。ごめんね、ナギサに迷惑かけるかもしれない」

「な、何を言っているのですか! シーさま!……」

「お願い、おかしな事しか言ってないけど、私を信じて」

「……シーさまは昔からおかしな事ばかりしていましたけど……。でも、城から離れるなんて危ないです! それにたまにありますよ。海が荒れることだって。わざわざ海の神さまにお願いしにいくだなんて。やめてくださいよ」

 不安そうなナギサの手を、シーは両手でつつみこむ。

「安心して、私は必ず生きて帰ってくる。ナギサは何も知らなかったふりをして。城が大騒ぎしても、私がどこへ行ったかは秘密にしてほしいの。お願い」

「……わかりました」

 ナギサはしぶしぶうなずいた。

「ですが、約束ですよ。シーさまの帰りをお待ちしていますから、必ず戻ってきてください。お城の人たちには秘密にしておきます」

「ありがとう、ナギサ」

そういえば、ここにくる前にばばさあの家によった。行く前に挨拶しておこうと思ったから。ばばさまは、あの部屋にいた。いつも修行をつけてもらったなじみぶかい海の部屋。

「ばばさま」

 海の前に座るばばさまの背中に、声をかけた。

「シーかい」

 ばばさまはこちらをふりむかない。

「はい。今日旅立つので、お別れを言いに」

「そうか。無事を祈るよ、シー」

 ばばさまの背中が昔より小さくなった気がする。今日は特段、弱々しげだった。

「……ばばさま。私、知ってしまったの。すべてを。ばばさまの昔のことも」

「お前の父親を、嫌いになったのか」

「えっ?」

 驚きもせず、ばばさまは聞いた。

「ううん、嫌いじゃない。でも、お父様のとった行動は間違っていた。もっと違う方法があったはず」

 シーは答えた。

「それならよい。あやつは、根はわるい人ではない」

「わかってる。民にはとても優しいお方よ。でも、なんで、ルラー・ガトを殺したの。お父様が人を殺すなんて」

 それだけは、嫌なことだった。父親を真っ直ぐに信じていた自分もいた。

「あやつはな、根は優しい。それはシーもわかっておる」

「うん」

 シーはうなずく

「じゃがな、一生懸命ゆえ、罪を犯してしまうこともある。大切な人を守ろうと、気持ちが強かった。守りたい物があると、人は恐怖に襲われることがある。そして凶暴になる」

「だからって、人を殺していいの?」

 ばばさまはシーを手招きした。隣に座ると、ばばさまは海を指さす。

「ごらん、あの海を。きれいじゃろ?」

「うん、きれい」

「この美しさを、みなが知っていれば、いつも心の中に留めてとけば、きっと誰もが幸せだろうな」

「……そうだね」

 ゆっくりとうなずいた。

(お父さまも、この海を知っていたら、ルラー・ガトを殺すことはなかったのかな)

「シー。元気にやっていきなさい。わしも、マリンも、お前を小さい頃から知っていた人たちが見守ってくれておる。安心なさい。魂が星となり、空から守り、側にいる人々もお前を支えてくれる。この先、暗いことが起ころう。辛く、苦しむだろう。じゃが、お前なら立ち直れる。困ったときには、わしの教えたことを思いだしなさい」

 一瞬、ばばさまが顔をゆがめた。それはまるで笑おうとしたが、失敗したような顔だった。

 そして、シーを抱きしめた。ぎゅっと。

「いってきなさい、シー」

「いってきます。ばばさま」

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