第8章 ルラー・ガトの真相 4
「じゃあ、ばばさまは今……!」
シーは息を呑んだ。
「うん。優しさだけが取られてしまったんだ」
「そんな! ばばさまにだって優しさは残ってる。きっと」
「本当の話だ。全てルラー・ガトで話は受け継がれている。ヒサマが、フネさまと相思相愛だったって。二人は愛し合っていたんだ。でも、二人の恋は叶わなかったんだ。海の民の間では、フネさまが天使のような心をもっていたとも言われている。でも今は違う。優しさだけが欠けている。ひどい人物になった訳じゃない。ただないだけなんだ」
「なんなの、それ。人の心を、物がないみたいに扱って。ばばさまもだよ。物みたいに心をあげて。どうしてそこまでしたの」
シーは憤慨した。心がなくなると、どれだけ苦しいのか。それを想像すると息が詰まりそうだった。
「人のために優しさを失うほど、それだけの大きな優しさがあったんだ。広い心が」
あの言葉に含みがあったのは、ばばさまが昔失う勇気をもったからだ。心を失うあの虚脱感を受けいれ、今の状態となった。
シーにはとても考えられない。自らあの闇へと飛びこむ勇気なんて。みんなのために捨てる自分なんて。とてもいそうにない。
「不幸なばばさまと、ポセイドンの間に産まれたのが母さま。そして母さまの子どもが私。……私、本当はばばさまに恨まれてたのかな。いらない孫。ううん、ばばさまを苦しめてしまう存在なんじゃないかな」
シーはいう。下をうつむくと、足のすぐ下に闇が見える。
似ていた。夢の中で落ちた闇と。
今ばばさまはこの中にいて。だったら私が落ちるかわりにばばさまと場所を交代させてもらえればいいのにな、なんて思う。
「それは違う」
シーの考えを、きっぱりとした声が否定する。うつむいていた顔をわずかに上げると、強い視線に貫かれた。
「フネさまはシーのこと大好きだ。愛してる。俺にはわかる」
「なんでわかるの。……そんなこと」
サンの紅い瞳は太陽の下でのように、いつものように光を発していた。シーの目は、海の近くなのに青くはなく暗くよどんでいる。
「わかるから。俺が昔両親にたくさん愛をもらったから、わかるんだ。フネさまの目は、閉じられていても俺には見えるんだ。そこに愛があるって。優しさと愛は違う。似てるけど違う。フネさまはお前のことを愛してる」
寂しげな炎が、震えるように燃え立った。その炎がシーの瞳に灯される。青い瞳がほのかに内部から発光した。その色の灯る滴がぽつんと海に落ちた。
「ありがとう」
ほほえんでシーは泣く。必死で涙を手でこすって、でも途中で涙が必然と止まる。
「待って、じゃあなんでサンは生き残ったの? シャークが島をおそったのは五十年以上も前のことよ。その前にルラー・ガトは消滅した」
サンの年齢と生き残ったという言葉が結びつかない。それにサンはこの崖が父親が死んだ場所なのだと言った。ルラー・ガトは五十年前、大虐殺から逃れ生き残った者たちがいたのか。そして、死んだとはどういうことなのだろう。イロの言った生き残りの最後とは、どういう意味か。何が起こったのか。
「そう、もう一つ話があるんだ。ここからは、俺が本当に体験した話をする。けど、なるべく話したくなかった話なんだ。うまく話せるかわかんない。それでも聞いてほしい」
「わかった。聞くわ」
顔の表情からも、サンの悲しげな様子がうかがえる。これでやっと、全てを知るんだ。そう確信した。頭がいっぱいいっぱいのまま、周りの空気だけがすがすがしい。
サンが深呼吸をし、今度はこちらに顔を向け居住まいを正す。悲しげな笑みを息を吐くと同時に言葉も吐く。
「いなくなったと思われたルラー・ガトは、実はまだ存在していたんだ。十年ほど前までは。五十年前のあの戦いでは、海の民の名誉をかけて戦っただけだ。ヒサマは少数の男、子どもや女はみな、違う海へと逃げさせたんだ。俺はその人たちの子孫なんだ。そして、遠い海で幸せに暮らした。人々の悲しみも薄れ、元どおりの生活になったんだ。海の民大量虐殺はだんだん過去のものとなっていった。
父さんもその遠い海で産まれた。俺の父さんはすごい人だったんだ。前も話したろ、世界一周したんだって。海の民には遠い航海へ旅立つ風習があって、一年に一度、一人の若者が旅立つんだ。その旅の途中で、母さんに出会ったんだ。父さんが帰ってきたとき、おみやげに若い娘も一緒に来た時は仰天したって、じいちゃんが話してたな。父さんが帰ってきて、数年後には俺が産まれた。幸せな生活だったんだ。でもそれは、長くは続かなかった」
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