第5章 イルカの声 4

二人は奥へ奥へと進んだ。さっきのいたずらが結構怖くて、シーはさっきと同じようにおばけにくっついていくはめになった。

 ぽちゃっ、ぴちゃん

 水のはねる音がする。洞窟は奥に行くほど水びたしだった。大小、水たまりもたくさんだ。小さな湖ほど大きい水たまりだってある。全て海水だ。カイの言ったとおり、確かにここならイルカがいるかもしれない。

 また、水がはねる音がする。

 二人は洞窟の道を進むまま、その音に近づいていった。 

 バチャバチャ

 水の音が暴れだした。

 二人の歩みは自然と速くなっていく。

そこへとついたとき、あの音は消えていた。しんとした中、頭上から水がしたたる。地面がぽっかりと穴をあけていて、その中に黒い水がたまっている。

 何かがいる。

 黒い水たまりの中で、うごめいているもの。おばけではない、とシーは確信する。少し経つと、水面に波紋が立ち始めその影が浮かび上がってくる。

 小さく見えたそれは、近くにつれて大きくなる。なんだろう。細長くて、表面がなめらかそうで、背が弓のように曲がっている。

イルカだ。

「ほんとだ、イルカがいる」

 カイがつぶやき、火をそれに近づけ、光をなげかける。赤々しい光の中に、イルカが映しだされた。

(あのイルカだ)

 間違いない。見なくても、そこにいる存在でわかった。

イルカは水の上に半分顔をだし、怪しげな二人を見た。だが、丸っこいつぶらな瞳が、今は怯えに変わっている。傷つけられた目だ。苦しくて、苦しくて、どうしていいかわからない。一寸先は真っ暗闇。

「いたいよ。いたい。サン!」

イルカの声が不思議と耳に聞こえた。

「姫さま、早く手当てを」

カイにささやかれ、はっとする。

イルカの顔は、ひっかき傷でいっぱいだった。違う、それだけじゃない。背中にも、腹にも、深い傷を負っている。

「早く手当をしないと」

 シーは急いでその影へと近づく。が、そのときイルカが暴れだした。しぶきが勢いよく飛び散る。

 視界が一瞬闇になる。

 その水しぶきに、イルカの強いおびえがある。深い悲しみも伝わってきた。同時に痛みがしぶきの細かな粒につまってて、熱湯を一気にふりかぶったようだった。

 シーはどうしていいか、わからなかった。

 また炎がよみがえる。その光で、イルカの顔が照らされる。丸っこい目。苦しそうにあえぐ少しとんがる口にじゃりみたいに小さな歯が並んでいる。

「うう、いたい!」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 シーはおそるおそるイルカへと手をのばす。

「来ないで!」

 またしぶきがとびちった。シーはびしょぬれになった。イルカはさらに傷を増やした。

「姫さま」

 カイがかけよろうとする。シーは首をふって、近づくなと伝える。カイは一旦後ろへ下がった。

 ふーっとシーは深呼吸する。

(怖がるからだめなんだ。私が、イルカを安心させないと)

 今度はためらいなく、手をのばす。最初に水にふれる。そのまますうっと、右手をイルカの頭にのばした。

(だいじょうぶ。安心して。わるい奴は、もうこない)

 水に、思いをのせた。

「だれ?」

イルカはたずねた。

「私はシー。あなたを助けに来たの」

 イルカはまだ怖がっている。でも、もう暴れようとはしなかった。こちらを、見ている。誰だろうと、敵か味方か、見わけるように。

「本当にぼくを助けてくれるの?」

「うん、そうだよ」

 そうっと、シーはイルカの頭らへんに手をふれる。イルカはじっとして、シーの手を不思議そうに見ていた。イルカの怯えが水の中に逃げていく。

(やわらかい)

 初めてさわったイルカの感触に少し驚く。しめっていて、とてもやわらかい。

 イルカはくぐもった鳴き声をだし、ひかえめにシーの手に頭をこすりつけた。

「ふふ。きもちいい」

 シーは顔を近づけ、ひたいとひたいをこすり合わせる。涙があふれだしそうだった。夢の中で実際にこの子の痛みをわかちあった。恐怖も、悲しみも、苦しみも知っている。夢での、あの時の経験は、シーの魂にしみついている。

イルカはひょっこりと顔をだし、自分からシーの方へきてくれた。

「ねえ、ぼくを親友のとこに連れていってよ。海に、案内してよ。ぼく、迷子なんだ」

 イルカは痛みに目をぎゅっとつぶりながらも、明るい声で言った。

 ふりかえると、カイがすぐ近くにいた。

「かなり怪我がひどい。すぐに手当をしましょう」

「姫さま、その子の側によりそってあげてください。そのほうが、イルカもおちつくでしょう」

「うん、でも、どうするの? 海に帰してあげないと」

 シーは水たまりの中にしゃがんで、イルカにぴったりよりそって、カイを見上げる。

「ここで焦っても仕方がないです。潮が満ちてきています。ほら、ここにも流れこんでいる。水が十分たまって、イルカが移動しやすくなるまで待ちましょう。このイルカは成人に近い、私と姫さまの力ではむりに運べない。イルカの力も少し借りて、浜辺まで誘導しましょう」

 カイはしゃべりながらも、着衣の一部だった布を傷の深い場所に巻きつけていった。イルカは不安そうだが、じっとしている。助けてもらえると、理解してくれているようだった。

 その後は、イルカに話しかけながら、カイがもっていた薬の葉をぬったりしながら、満ち潮をまった。

 そうしてやっと浜辺に出られたときには、シーはくたくただった。

 浜辺はもう、海の中に消えてしまった。隅の方で漂っているボートをカイがつかまえにいっている。

 その間も、イルカはずっとシーから離れない。

「きみはこれからどうする?」

 シーは話しかけた。このイルカは、雄だそうだ。

「ぼくの名前はスピンだよ。今からサンに会いに行くよ」

「そういえば、親友のサンって子がいるんだよね。どんな子?」

 シーはずっと、サンというイルカの子がいるのだろうな、と想像していた。

「サン」という名前をだすと、イルカはきゅっと反応した。

 そのときだった。

 カイの怒鳴り声が聞こえた。もう一つ、ちがう声が聞こえる。

 はっと目線をあげると、ボートが見えた。カイが操っているものだ。その隣に、別の船がある。いかだに似た、しかし使い勝手は良さそうな小舟である。

 そして、二つの船が対峙するように、カイともう一人の誰かが、不穏な雰囲気で向かい合っていた。

「カイ!」

 シーが叫ぶと同時に、イルカも鳴いた。

「キュー、キュー」

 二人がばっとこちらをふりむく。

「姫さま! 見つけましたよー、あの少年を」カイの声だ。

「スピン!! 無事か!!」

 その一人とは、あの少年であった。勇み立つ赤い髪に、燃える紅の瞳。

 イルカ、スピンの親友。サンと再会した。

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