第4章 冷たい刃 2
波が引いている。
いったいどれだけ外にいたのだろう。遠のいていた意識を戻し、体を起こした。
あたりはすっかり静まっている。パーティーはもう終わったのか。人の気配のなさにほっとしながらも、罪悪感を抱く。
(そろそろ戻ろう。みんなに迷惑がかかっちゃう。お父様も、今頃私にがっかりしなさっているだろうな)
足が船内への入り口へと向く。その時、急にざわあっと人々の声が聞こえてきた。
(よかった。まだまにあう)
安心して空を見上げると、月はさほど動いていない。
でも、とシーは夜空から目を離したときに、見えてしまった光を眺める。その、星に似たたくさんのきれいな光は、島にともる光だった。
祭りの本番は夜。島中の船が港湾に結集し、おのおの明かりをつらねている。帆柱にかかげられる、色ガラスのランタン。まるで、海の上に町まるごとを作っているみたいだ。人々が平和に生きていることを示す、明るい星。
あの光を、いつか守りたい。
その時、首にひどく冷たいものを感じた。
「動くな」
低く、鋭い声。
シーはぶるっと寒気におそわれた。背後に誰かがいる。明白な殺意をもって。
動くな、という言葉には従えず、反射的にふりかえる。
そのほんの一瞬、二人の目が合わさった。
全身が黒い外套で包まれ、フードの中の闇から、らんらんと赤い目がのぞいている。その黒い布の、裾からでている手が、シーの首筋に突きつけられた刃を握っている。背の高さはシーに近い。まだ子どもだ。
(ルラー・ガト)
血のような瞳にその言葉が思い浮かんだ。
強い海風が吹く。
フードが目深に被され、その目は消えた。だが、シーはフードの奥を凝視したまま、動けなかった。
黒い人物はシーに刃を向けたまま躊躇している。
そのとき、たくさんの人の足音が床から響いてきた。船板が小さく振動する。それは上へと、こちらへと向かってくる。
「こっちへ来い」
押し殺した声で、黒い人物はシーの手を即座につかみ、ひっぱった。
シーは半ばされるがままについていく中、その人の動きを目で必死に追う。
追えば追うほど、刃の冷たさが首にしみこんでくる。今すぐにでも突きはなしたいぐらい冷たいが、それはできない。
その冷たさが、どうしようもなくシーを悲しくさせた。
船首へついたとき、両開きのドアが大きく開け放たれ、たくさんの兵士らが船上へなだれこんできた。
そしてシーともう一人の姿をみとめると、顔を蒼白にさせる。
「姫さま!」
何人かが叫ぶ。一人が慌てるように船内へ戻る。
きっと、お父様に報告に行くのだろう。こんな状態でいる自分を見られたら、どう思われるのだろうか。全部自分のせいだった。勝手に逃げだし、あまねくは何者かに捕まって人質にされている。
「お前、シャルリーの姫なのか」
不意に耳元でささやかれる。その人の殺気が強くなったように、シーは感じた。腕の拘束がきつくなる。刃がさらに首におしあてられる。
シーは唇を強くかみしめ、顔を隠すようにうつむいた。
「おい、くせ者め。今すぐ姫様をはなせ!」
兵士の頭が声高にそう告げる。
「姫の命が惜しくば、国王をつれてこい。話がしたい」
黒い人物は冷静に答えた。
船首に立った黒い人物と、その周りをとり囲んだ十数人の兵士たちが対峙する。双方一歩も動かぬまま、じれじれと時は過ぎる。そのうち、また大勢の足音が上へとあがってくる。
(大ごとになっちゃったな)
シーはのんきにそんなことを思う。
どくどくと心臓の音がはねあがってくる。でも、シーはいたって冷静であった。心臓の音の主は黒い人物のものだ。
足音が迫り、開け放たれたドアから見知った人達が現れる。
「お父様」
その中央に、自分の父親がいた。背後からの強い視線が、シーを通りこして国王へ向けられる。自分への殺気が全て抜け、やっと息が吸えた気がした。
国王が、船首に立った二人をみた。
シーはとっさに目をそらした。でも、いたい視線をきつく感じる。それを拳を握りしめて、じっと耐える。
足音が重く響いた。視線をわずかに上げると、国王が数人の兵士を伴って歩いてくるのが見えた。
緊張しているのだろうか。相手の心臓がばくばくと音を立て、刃を握りなおすのがわかる。
シーは刃が首に食いこまないように顎をあげた。
すると、相手のフードの中がのぞけた。
闇に包まれながらも、輪郭がおぼろげながら浮かんでくる。赤い目が、激しい炎となって、燃えさかっている。炎は風に吹かれようとも、怒りで勇ましく燃え、揺るぎない意思を示している。
「娘を返せ」
王が短く命ずる。それもまた、冷え冷えとした声だった。それが娘を心配する口調なのか、シーはよくわからなかった。
黒い人物が声をあげる。
「ならば、ディリ族を解放しろ。五年前、お前らが犯した罪をこの島中に明かせ。これ以上、海に生きる者たちを……消すことをやめろ!」
刃ががたがたと震えている。男の声は必死で、怒りがこもっていた。
少しの間、沈黙がおちる。が、国王がゆっくりと口をひらいた。
「君の言っていることは理解できない。娘を―」
「―嘘だ! お前らがすべてやったんだ。お前らが、わだつみさまを怒らせた。海を敵にしたんだ! 罰がくだるぞ」
少年の最後の言葉が響かぬままに、王が叫んだ。
「何を言っている。何が罰だ。何を知っているんだ!」
我を忘れたように王が激怒した。どこか焦りが見える。
シーは自分の父親、そして少年の声を静かに聞いていたが、はっとして船縁の方に目を向ける。
誰かが隠れている。何かを手にし、少年の方に先を向けていた。矢だ。矢をつがえて放とうと、狙いをさだめている。そんな光景がありありと思い浮かぶ。
少年は気づいていない。
「とぼけようとするな。姫を殺すぞ」
男がシーの首に刃を立てた。月光と波の反射に、冴え冴えと刃が光る。
少年一人に剣を向け様子を見守る兵士らに、悲鳴のようなざわめきが広がる。
刃が食いこむ。
今まで冷たさしか感じなかった首あたりが、急に熱くなった。滴が、首筋を流れていく。
痛いと感じた。その痛みがまた冷たさを増していく。
「やめてくれ、お願いだ」
王が懇願するが、視線は少しずれた先にある。知っている。刺客がそこに忍んでいること。シーは助かるということを。
(このままじゃ、この人は助からない)
シーはもう一度、フードの中へと視線をもどす。その人は、呼吸を苦しくして、口をもどかしく動かしていた。吐きだせない怒りと戦うように。
(お願い、気づいて)
思いが届いたのか、赤い目とばっちりと合う。
「逃げて」
真っ先に口からでた言葉はそれだった。
「はあ? 何を言っている」
ささやき声の疑問符。それといらつき。目つきがさらに鋭くなる、
「お願い、逃げて。今逃げないと、あなたはつかまる」
「俺は逃げない。もう決めたんだ」
はっきりとした口調だ。てこでも動きそうにない。シーは強い口調でささやき返した。
「南東の方角のへりの方に刺客がいる。あなたを狙っている。弓で撃とうと。今にも殺されるかもしらないわ」
「ふんっ、そんなこと誰が信じるか。何もいないじゃないか。俺をだますつもりだろ」
「違う、海が教えてくれたの。私は海の耳をもつ者。リャオト家は代々その力をもってることを、あなたは知っているはず」
シーは焦りながらも、言い聞かせるように反論する。刺客の人数が増えていく。闇に紛れた船がどんどん島からやってくる。二人の周りが固まれていく。それは、海から来た情報だった。波の上での不穏な動きが、目となり、耳となり、シーの体に伝えてくれる。
「逃げるなら今しかない。信じてもらえる証ならここにある」
ためらうように揺れる赤い瞳を見て、シーは背後にある手を握り、それを手渡す。
少年の表情が苦虫をかみつぶしたような顔に変わる。そのとき、外側から声がかかった。王の声だ。
「何をやっている。娘を殺しても何にもならない。お前は死ぬことになる。もし、お前が娘を解放してくれるなら、我々はお前を見逃そう。それでどうだ」
王が一歩一歩こちらへ近づいてくる。
(罠よ。おねがい、逃げて)
そっと、腕の拘束がとかれた。刃が当たっている感触がなくなった。薄桃色の貝殻が、手の中から消え去った。
体から冷たさがのぞかれると同時に、手の中の温もりが消え、心がもっと空虚になる感覚がした。
「ありがとう、あのとき、助けてくれて。嬉しかった」
シーは正面を向き、呟いた。
「……ああ」
聞きとれないほど小さな返事だったが、シーは聞きとれた。ばっと布がひるがえる音が響き、赤い髪の少年は去った。
シーは空を仰いだ。
正体を隠していた黒い布がはためきながら、風に吹かれてパラリオ号の上に舞い上がる。ばしゃんと水のしぶきの音がした。
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