第4章 冷たい刃 1

まわりの動きが、せわしい。

 でもシーは気にもせず、手の中で包みこんだ貝にずっと見入っていた。

(また、会えるかな)

 考えることはそればっかり。その奥深くには、冷たく黒いずしりとしたものがあった。後から考えるとそれは、ばばさまの言葉や、海の予言についての不安が知らぬ間につのっていったのが原因だったかもしれない。

 貝を転がしては、つつき、また転がす。そうやって手の中で貝をもてあそんで、心に海のように広がる不安の上に、あの時のドキドキ感が波のように被さる。

 こんなに貝がらに夢中になったことなんて、いつぶりだろうか。思いだしてふふっと笑う。

 そういや、小さい頃、砂浜でよく貝がら探しをナギサとあきもせず時間を忘れてやったけな。きれいな貝がらを見つけたときの感動はとびっきりで、逆にかにに指を挟まれたときはがっくりで。そうして日が暮れるまで砂浜で過ごし、カイに怒られてようやく城に帰る。母さまがいたあの頃が、なつかしい。

「……さま、シーさま。聞いてます」

 遠くから怒った声がする。

「ええ。聞いてるわ」  

シーは急いで相づちを打つ。

 現実に引き戻され、目の前の鏡面台の鏡に自分の姿が見える。藍色のドレスを着て、おめかしをしている自分が。その後ろには、侍女の格好をしたシーの幼なじみの少女がいる。       

ナギサは不満そうに口をとがらせながら、しゃべりだした。

「人の話はきちんと聞いてください。私はなんどもシー様のこと呼んでましたからね。ずっと考え事にふけって、こっちが忙しいってことも理解してください。そうじゃないと今日のパーティーの支度が間に合わないんですから。……そもそも、お昼にかってにシー様が城を抜け―」

「―ねえ、ナギサ」

シーは長々と続きそうな説教をさえぎる。

「なんでしょうか」

 物言いたげなナギサはシーの髪に櫛を通し、返事をする。

「昔、よく砂浜に貝がら、探しに行ったの覚えてる?」

 鏡に映るナギサにそうたずねる。

「はい、よく覚えてますよ。シー様になんどもなんども浜辺に連れていかれましたので」

 ナギサはふっと怒った表情をゆるませる。

「なにそれ、まるで私が無理矢理連れていったみたい。一緒に行ったじゃない」

「いいえ、シー様だけが行きたがってました」

 ナギサは「だけ」をわざと強調する。

「ナギサ、楽しそうにしてたし」

「それは、シー様がずっとはしゃいでたから、私も楽しかったんです」

すました声でナギサは言う。

「じゃあナギサも楽しんでたんでしょ」

 そうシーが言うと、ナギサはだんまりを決めこむ。でも、笑いをこらえるような顔だ。鏡を見て、そんな様子を見て、不思議とシーの気持ちは穏やかになった。

「ツンデレめ」

と、シーがこそこそ、くすくす笑っていると、ナギサも笑いだした。

(きっと、だいじょうぶ。ばばさまの話も、海のことも、今日は忘れよう。今だって、こんなにばかみたいにふざけあって、幸せなんだから。せっかくのお祭りなんだから。誰にも、心配かけちゃいけない)

 シーはころころと手の中で位置が定まらない貝がらを、両手で包みこんだ。

 他の召使いが部屋から退出していく。最後の一人が去り、二人きりになるとシーは呟く。

「……あの宝石箱、どこしまったっけ? 子どもの頃のおもちゃっていきなり無くなっちゃうね」

 シーはふりかえってナギサに聞く。

「まだ子どもじゃないですか。宝石箱が怒っているんじゃないですか。何十年も貴重な宝石を入れていたのに、そこへただの貝がらを放りこんだので」

 ナギサがつっこむ。

「そうなの? 絶対貝がらの方が私だったら嬉しいわ。あーあ、早く大人になりたいな」

 シーは手を広げて体を伸ばしながら、また鏡の方に顔をもどす。

「それなら、もうちょっとしっかりした人になってください。……失礼します」

 ナギサは櫛を台におき、シーの片方側の髪をすくい、編んでいく。次に、髪飾りを手に取り、慎重につける。

 大粒と小粒がたくさん連なった真珠の髪飾り。それはシーの母親の形見だった。記憶の中でおぼろげな母親のものだったが、シーが譲りうけた。藍色の髪に白く映え、いつしかシーの宝物になっていた。

 慣れた手つきだな、と思う。櫛で髪をとくのも、髪を結うのも。でも、この髪飾りをつけるときは、ナギサはとても気をつかう。慣れたはずなのに。

 窓から届く静かな波の音と、真珠がしゃらしゃらとこすれる音が、響いている。

「ありがとう」

 シーは立って、鏡の中の自分をのぞきこむように見、髪飾りにふれる。

(まだまだ子どものシーだな)

 背伸びして自分を見るが、子供っぽさは隠せない。どこか不安げな表情も。

 すると、ナギサが隣に立って言った。

「今日はシー様が主役なんですから、もっとぴしっとしてください。それがシャルリーの姫としての姿なんですから、がんばってください」

 ナギサが力強くほほえむ。その笑顔が、まぶしくて、あたたかかった。


 船はゆるやかな海の動きとあわせ、揺れている。シーは船の上に出て、甲板へと向かう。船べりから身をのりだした。

 この船、パラリオ号では、パーティーが開かれていた。この国の高貴な人たちが参加している。シーも本当はその真ん中あたりにいなければならないが、途中で疲れて抜けだしてきた。

 波が立つ。共に、風が吹く。夜の風は、今の海とおんなじ色のシーの髪をなびかせ、またおんなじ色のドレスのスカートをふわりと浮かせる。

「つかれた」

 そうシーはぼそりと呟き、ゆっくりと体を沈めてへりに頬をついた。

 ナギサの落胆する顔が目に浮かぶ。でも、どうしてもパーティーにいることが我慢ならなかった。

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