第3章 ばばさまの予言

南の草原の丘と真反対、北端を目指してシーとカイは歩いていた。

その途中で、島一番の丘を通る。ここからパールの街が見渡せる。大通りを囲むように、白い家に水色の屋根をかぶった家々が建っている。それは国旗と同じ色だ。そして大通りの先端には大きな港が、遠くかすんで見えた。 

 一見、美しい島の街だと思うが、あたりには貧民区が土の色にまぎれて点在している。昔から見ているこの景色だが、土の色が増えた気がする。実際、犯罪は増える一方だ。さっきも、祭りの中で兵士に追われた貧しい身なりの人を見た。それに加えて、賊に襲われたこと。

もう平和な国ではない。

その事実が、シーの弾んでいた心をしぼませる。

シーは立ち止まり、地面にしゃがんだ。土が不自然に盛り上がっている。影の草を脇にどけると小さな穴が現れた。二人はそこになれた様子で入っていく。

 真っ暗な中、壁の感触だけを頼りに降りていく。

 すぐに光が見えた。地上の光が地下に漏れ、土の空洞を明るくしている。その部屋には他の部屋とつながるトンネルがある。蟻の巣のような家だ。

「ばばさま、こんにちは」

 シーが呼びかけると、トンネルの方ではなく、部屋の床隅にある木板が動いた。出てきたのは老齢の女性だった。長いローブを肩にかけている。

「シーかい。カイも来ているようだね。こっちへおいで」

 シーたちを手で招き入れると、また床の下にひっこんでしまった。二人はまたさらに狭い穴をくぐり下へと潜る。そこからは土から岩へと壁が変わる。

 穴を抜けた途端、最初に波の音が耳に入ってきた。その次に、淡く光る波が目に飛びこんでくる。地上で見るあのまばゆい海とは違う、どこか暗くて大人しい雰囲気をもつ海の姿がそこにはあった。岩壁が周りをとりかこみ、大人一人分の隙間から光と水が出たり入ったりしている。

 ばばさまはその洞窟の中で目を閉じて座っていた。

「ばばさま、相談したいことがあるの」

ばばさまはゆっくりと首を縦にふる仕草をする。

 足のおぼつかない気分がする。朝悪夢で飛び起きて、昼には賊に襲われて、なんだか不吉な事ばかりが起こっている。

 体が地についていないような、浮遊感を感じながらも、話す。

「最近ずっと変な夢を見るの。そこには魂が青いカメの姿でさまよって、大きな海が覆いかぶさってきた。なんだか、ただの夢ではない気がするの。」

 耳を傾けていたばばさまは、口を動かす。

「不思議な夢じゃ。海がお前に何かを伝えようとしておる」

「海が?」

 シーは聞き返す。

「そうじゃ。魂は心を失った悲しき女のもの、海は自然の脅威」

 ばばさまの目はずっと海に向けられている。いつも問いの答えを海から導きだす。

「あの魂は女の人のものなの?」

 シーが聞くと、ばばさまは普段通り、感情を表にださずに答える。

「リャオト家のおろかな女性のものだ。その心は魚のまま永遠にさまよう。誰かが元の姿に戻すまで」

 ばばさまの声は低いが、海の水によく響いた。

「それじゃあ、自然の脅威は?」

シーは眉をひそめて聞いた。

海が襲いかかってくることが一番怖い。海は膨大な水をたたえ、大気をも動かす。恵みをくださる反面で、天罰を与えることもある。

「これはものすごく厄介なことじゃ。ほれ、座りなさい」

 ばばさまも深刻そうな声色で、その隣の席をすすめる。岩が少しくぼんだ、シーの定位置だ。シーもばばさまをまねして、海の前に座る。すーはーと深呼吸をする。そして目を閉じた。

 すぐにその声は聞こえた。海の声だ。決して波の音や水の音でもない、海自身が発する声。遠くから、だんだんと近づいてくる。シーの元へ、近づいてくる。

「はっ」シーは顔を上げた。

「聞こえたかい?」

 ばばさまの顔が目の前にあった。いつも閉じられた瞳の上に、くぼんだまぶたがある。

 シーはこくりとうなずく。

「聞こえた。海が騒いでいる声が。すごい、ざわざわしている。あれみたい。……猫が毛を逆立てているような。……何かが来る」

「そう。海は緊張しておる。急激な変化が来るからの」

「急激な、変化。……どうなるの?」 

「何が見えた。夢の中で」

ばばさまが問う。

「えーっと。……海。光の柱。青い光の魚。魂。最後に、高い波がきて、私は海からでられなくて。閉じこめられたの、海に。私の世界は海だけになった」

 思いだすだけでぞっとする。シーの額に冷や汗が浮かぶ。

「ではそれがお前の未来じゃ。そして、この国の未来でもある」

 不安になってシーは背後をふりかえる。いつものようにカイが側に仕えてくれている。カイはシーの視線に気づいても、見返すのみだった。

「どういうこと?」 

シーはまた顔を戻す。

「感じたじゃろ。海のうごめきを。海が大きく変わろうとしている。その変化が、お前の見た未来」

「……つまり、海に閉じこめられるってこと?」

まさかと思い言ってみた。

「そういうことじゃ」

しかし、ばばさまは肯定する。

「そんなわけ……ないじゃない」

 シーは顔をしかめる。

(海に閉じこめられる? 私が? この国が?)

 いったいぜんたい、どんな冗談だろう。今までばばさまのどんなに不思議な言葉でも信じ、心の中に大切にとどめていたが、こればかりは無理だ。

「じゃが、お前は夢の中で実際に見ておる。一番に信じるのは自分の目で見たことじゃ」

「けど、夢の中でのことよ。そんなもの」

 シーは言いかけて黙る。

ザーッと海のささやきだけが洞窟にこだまする。

「海はこの星のすべてを語る。過去も、今も、そして未来も。全てを我々に教えてくれる。お前はそのすべてを見たことはあるかい?」

 ばばさまの言うとおりだ。海は全てを知っている。この星が生まれた時から今までを。さらには未来まで予知する。

 海が夢の中でシーに語りかけた。それが事実なのだ。

 シーは首をふった。みる勇気なんてない。全てを知ることは怖い。

 

 などか人は生まれたか

 海に生の源あらん 母なる海は聖なり

 新たな光 うまれおち  海に広がる あまたの命

 どこまでゆこう 命の結び  大地に達した命の行方

 双の世界は 見つめあい  我ら生まれた 陸の地で

 海はふるさと 生き物のおかえり

 

 小さな頃、子守歌としてよく聞いた歌。リャオト家に古くから伝わる海の歌。リャオト家の人間は、全て知ってきた。人の始まり。海の始まり。星の始まりを。

 はたして、シーが全てを知ろうとすることは可能なのだろうか。今だって、魂が海にのまれてしまいそうなのに。

「ばばさま。私、どうなるのかな? どんどん海の力が強くなっている。私も、その女の人みたいに海に心を奪われるんじゃないかな」

「お前なら大丈夫。元々の海の声の力が強い。海の力が今までにないほど増しているのは当たっておるが、お前が海ときちんと向きあうならば心は奪われん」

 ばばさまは落ちこんだシーを安心させるが、こうも言う。

「その可能性は五分五分じゃ。しかも、今のお前ではかなり危うい。心が強くなっておらん。まずは、その弱い心を鍛えることから始めたらどうだ」

「はい」

 少し厳しめの口調で言われてしまった。しゅんとうなだれたシーは、膝を抱えてうずくまる。小さく呟いた。

「それで……島が海に閉じこめられるのは本当なの?」

「その答えはお前が知っておろう」

 シーはうっすら開いていた目を完全に閉じた。海はずっと騒いでいる。今にも水たちが蜂起して島を大きな波で丸呑みしてしまいそうだった。   

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