第2章 お祭り 2
—死はこない。
と、喉がナイフでひきさかれ、首に当たっていた固い感触が瞬時に消え去った。
誰かの叫び声が上がった。
目を開けると、男はいなかった。首を手で確かめると、よかった、ただのかすり傷だ。
急いで体を起こすと、そこには二人の人物がいた。あの男が少し離れた所で倒れている。もう一人は……。
「大丈夫か」
シーに手をかす少年だった。髪は炎のように赤く、瞳は真紅だ。きれいな赤に、一瞬見とれた。
「は、はい。大丈夫です」
シーはその手を借りて起きあがる。それから、その少年を注意深く観察した。
同い年くらいの少年は、短パンのみのカイに似た恰好だ。でももっているのはナイフだった。シーが無事であることを確認すると、少年は男に目を向けた。
男はすでに起きあがっている。
「何だよ、小僧。邪魔すんなよ!」
ナイフを横に構えると少年に迫る。
少年はシーの一歩手前にでると、銀色のナイフを腕にさげたまま立つ。
「やめて!」
シーは叫ぶが、男は少年に刃を下す。
信じられないことに、少年は男の刃をさっと受け止めた。男はまた斬りかかる。が、少年は大人の重みがかかった刃をやすやすとはらう。
数歩男は後退する。それを少年は許さない。飛ぶような身軽さで間合いをつめ、一撃を放つ。
血がとび散る。
男の傷はまだ浅い。少年のナイフが下へかすったのをチャンスに、少年の肩にナイフをつきさした。
—はずだった。
少年は信じられない身のこなしで体を低くし、さらに柔軟な動きで男のもう片方の手から逃れる。そこから一旦距離をとる。
シーはごくりと唾をのみこむ。不思議なことに、体格の良い男より、少年の方が優勢に見えた。だが、なぜシーを救おうとしてくれるのかがわからなかった。
少年の横顔は鋭いが、先ほど手をかしてくれた時はほほえんでいた。なんだか見覚えのあるような気がする。だが、赤い髪の人間は島でも見たことがなく、やっぱり気のせいだとその考えを打ち消した。
両者はお互い距離をとり、じりじりと対となって動く。両方の刃が陽光に鋭くきらめく。
動きだしたのはほぼ同時だった。互いに迫る体、凶器の刃。
シーはぎゅっと目をつぶった。
がっと刃がかみあう音が響いた。
目をうっすらと開けると、男が力で押そうと体重をかけるが、少年は耐えている。
一瞬少年が体を浮かし、その勢いを宙で右足をかます。顔面を殴打された男は膝を折り、バランスを崩した。急いで体勢を整えようとしたその男の体に、少年はナイフをつきつけた。
「動くな。去れ」
少年が低い声で言う。
男は自らの動きをふうじる。
男の体は波に打たれ、徐々に衣服に水がしみこんでいく。数秒サンを見、ナイフを懐にしまいこむ。
「くそっ!」
少年が刃を向ける中、その命令に従いじりじりと後退し、逃げるように丘をこえて去っていった。
少年は男がいなくなった方角を眺めた後、ナイフを払う仕草をし、腰にはさむ。
「ありがとう」
こちらをふりむいた少年に、シーは急いで頭を下げた。
「助けてくれてありがとう。助かったわ」
「無事か」
少年は短く問う。
「ええ」
シーがうなずくと、少年は背を向け歩きだした。
「あっ、あの。……お礼を」
「いらない」
シーの言葉をはねのけると、さっさと海にはいっていく。しかし、途中で立ち止まる。彼は波打ち際で何かを見つけたようで、それを拾いあげた。
「あっ、それ……」
シーは声をあげた。
「これ、お前のか」
少年はひきかえしてシーの前に立つ。
その手にはびしょぬれになった紙袋があった。中身が見える。さっきお祭りで買ったものだ。母さまのお供え物にあげるはずだった焼き菓子。小さい頃、お祭りの時はよくこれを一緒に母さまと食べていた。
「うん」
シーはこくんとうなずく。涙ぐみながら。
ちょっぴり悲しい。
この焼き菓子を一緒に食べることが、母さまとの毎年の約束だったから。優しい母さまはもういないけど、せめてお供え物ぐらいはしたかった。
すると、少年はだめになった菓子を地面におくと、ポッケをごそごそし始めた。不思議に思いながらも待っていると、何かを見つけたようで少年は笑顔になる。
「はい、やるよ」
そう言ってさしだされた手の中を、シーはなんだろうとのぞきこむ。
「わあー、かわいい」
貝だ。きれいな桃色をした三つの貝が、お日様に照らされて光っていた。シーは顔をほころばせた。
「いいの?」
その貝の色は、母さまの好きな桃色の花と同じだった。焼き菓子のかわりに、これをお供えしてもいいかもしれない。
「興味ないから。やる」
太陽の瞳が、浮きたつように燃えた。少年は顎でしゃくると、またさっさと立ち去ろうとする。
「ありがとう」
シーがその背中に声をかけると、少年は不意に立ち止まった。
「なあ、俺のこと覚えてないか」
顔だけふりむかせて言う。不安そうな顔をして。
「……えっと」
シーが返答に困っていると、少年は笑った。
「そっか、ごめん。何でもない」
そうして赤い髪の少年は海に潜り、姿を消した。
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